May 08, 2012
A long day in Varanasi. 2
何の自慢にもならないが、私は忘れ物が多い。
物忘れも多い。
その上遅刻・寝坊も頻繁なものだから、社会人として生活している現況は何かの間違いとしか思えない。
このインド旅行で忘れたのは腕時計だった。
1ヶ所滞在のバカンスならむしろ不要な物だが、移動に次ぐ移動を要する旅に腕時計は欠かせない。
時間を確認する度にポケットから携帯電話を取り出すのは煩わしいものだ。
そこで、途中に寄ったタイのバンコクで腕時計を調達した。
コルカタ行きの飛行機に乗る前に朝市に寄り、路肩にテーブルを広げて腕時計や目覚し時計を並べた親父に、
「一番安い腕時計をくれ。」
と言って差し出されたのは、ドラえもんの腕時計だった。
時計の文字盤一面に大きくドラえもんの顔が描かれ、赤い鼻を中心に3本の針が動いている。
100バーツ(約250円)と安く買えたものの、大人の腕に嵌めるには流石に恥ずかしく、結局カバンのポケットに入れて携帯することになったのだった。
とは言え、そうも言っていられない。
次の電話まで3時間という短時間のうちに出来る限りバラナシを堪能したい。
オートリクシャーで少し離れた所にも行ってみたく、時間を逐一確認するためにも恥を忍んで腕時計を嵌めることにした。

電話屋を出た私は一度クミコハウスに戻り、買ったばかりの服に着替えてスカーフも首に巻き、フィルムを5本バックパックから取り出して鞄に入れた。
川の中へと階段の続くガート沿いをパシャリ、パシャリと写真を撮りながら歩き、ゴードリヤ交差点でオートリクシャーを拾ってバラナシ・カントへ行ってみると取り立てて見るものもない閑静な住宅街を延々と歩く羽目になり、漸く旧市街へと向かうオートリクシャーを捕まえた時には既に3時間が過ぎていた。
歩き疲れて喉が乾いていた。
駅前の適当なカフェで降ろしてもらい、コーラを片手に店内の電話をかけた。
「ハロー?パスポートを失くした者です。日本人スタッフは帰って来ましたか?」
「マダデス。1時間後ニモウ一度カケテ下サイ。」
相変わらず問題は解決しない。
とりあえず空いている席に座って左腕を上げて腕時計を見た―――3時30分。
今日はもう諦めて明日コルカタに帰るとするか…と考えていると、一人の男が背後から首を伸ばしてきた。
「おい、これは何だ?」
男はすっ頓狂な声を出して腕時計を指している。
「ドラえもんだよ。知らない?」
私の質問には応えず男は友人を呼び、何事かと興味を持った他の客まで私の周囲に集まり出した。
大の男共がドラえもんの腕時計に興味津々となって互いに話し合っている。
「それ、メイド・イン・ジャパンか?」
一人の男が尋ねた。
「そうだ。…いや、バンコクで買ったからメイド・イン・タイランドかも知れない。」
「幾らで買った?」
「100バーツ。でも売らないよ?まだまだ必要なんだ。」
また男達が話し出す。
「バーツって何ルピーだ?」
「バーツもルピーもレートは同じだ。100ルピーだ。」
そんな声が聞こえて来る。
「ちょっと待って。売らないよ?まだまだ必要なんだ。」
「50ルピーでどうだ?」
「おれは60ルピー出すぞ!」
「聞いてないのか?悪いけどまだまだ使うから売ることは出来ないんだ。」
「幾らならいいんだ!?」
「だから売る訳にいかないんだ。」
そこまで言って漸く諦めて、男らは解散した。
店を出てまた最初の電話屋に戻った。
まだ少年が一人で店番をしている。
「4時半になったら電話を使うから、ここで待っててもいいか?」
と腕時計を見せて話すと、少年は突然外に出て大人の男を呼んだ。
父親だろうか、痩身の背の高い男がやって来て私の手首を取って腕時計を見始めると、またもや何事かと近所の男共に私は取り囲まれ、同じ押し問答を繰り広げることになった。

インド人はドラえもんを知らないのか?
あるいはドラえもんの腕時計を見たことがないのか?
それとも文字盤いっぱいにドラえもんの顔を描いたデザインが珍しいのか?
結局その疑問は解決されることはなかった。
時間が来て、電話をかけた。
「ハロー?パスポートを失った者です。」
「担当官ニ替ワリマス。」
終業前の5時前になって、ついに担当官が出た。
彼は言った。
「アサオケンジさんですね?先程あなたの泊まったホテルからパスポートを届けてくれましたよ。」
さすが一泊1,000ルピーも取るホテルだけある。
下手な安宿ならそのまま売られていても不思議ではない。
クミコハウスに戻ってパスポートが見付かった旨を久美子さんに話した。
「今なら6時45分の急行に間に合うかもしれないよ。今すぐ行きな。」
彼女はインドにあって日本の母ちゃんに違いない。
私は再びバックパックを担いで、日の傾き始めたガートを急ぎ足で歩き出した。
(つづく)

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March 28, 2012
A long day in Varanasi. 1
翌朝、居間を横切る足音で目が覚めた。
窓から外を見ると、まだ青白い空の下で赤と水色に塗られた小舟が一艘ガンガーを泳いでいる。

旅行前にはここで沐浴することを夢見ていたものの、自分の出自がメコンに違いないと悟った今、もうその熱は冷め切っていた。
外に出て川岸まで下りてみると、写真やテレビで観た沐浴の風景が広がる。
パンツ一枚で肩まで川に浸かる男たちやサリーを纏ったまま腰まで浸かる女性らに交じって、歯を磨く者や身体を洗う者、衣服の洗濯に精を出す者までおり、写真集で観たような厳粛な雰囲気はあまり感じられない。
意外とあっさりしているもので、満面の笑みを浮かべて写真を撮ってくれと頼まれる始末。
椎名誠はその著『活字のサーカス』でバラナシを訪れたことについて、意外にあっけらかんとした雰囲気だったと書いた。
「死を想う街」と呼ばれるバラナシだが、死を忌み嫌い敬遠する日本文化においてはよほど哲学的に思え、写真家も「如何にも」といった売り物として価値の出る写真を撮っているだけに過ぎないのだ。
そのエッセイ集を読んだのは高校1年生の時だったが、28歳にしてその光景を目の当たりにし、ようやく納得することが出来た。
ここに住む人々にとっては単なる日常でしかないのだ。

領事館が開庁する9時を待ち、電話屋へ行った。
昨夜歩いた迷路のような細道の角を幾つか折れた所に、電話の看板を掲げた店があった。
極めて簡素なコンクリート造りの小部屋を覗くと、中には机が1台と椅子が1脚、その机の上に電話機が1台だけ置かれ、椅子には小学生と思しき少年が漫画本を読んで座っている。
店の番を頼まれているのか、大人の姿は見当たらない。
「ナマスカール。長距離電話できる?」
「何処へ?」
「コルカタ。」
少年は何も言わずに立ち上がって椅子を勧めてくれた。
ガイドブックの巻末辺りに載っている緊急連絡先の頁を見ながらプッシュボタンを押して行く。
その間、少年は私の真横で頭が擦れ合うぐらいに接近して立っている。
何だろうか?
ジャパーニーの話すことにそんなに興味があるのだろうか?
5〜6回程コール音が鳴って、相手が出た。
「Hello?」
その途端、少年は手に持っていたデジタル式のタイマーを押し、私に見えるように机の上に置いた。
なるほど、その為に耳を傍立てていたのか、と納得する。
「Hello. Is that consulate of Japan?」
「Yes.」
「I lost my passport, maybe in Kolkata.」
「…アノ、日本ノ方デスヨネ?日本語デオ願イシマス。」
なるほど、私はよほど発音が悪いらしい。
インド訛りの英語も相当聴き取り辛いじゃないかと悔しく思ったが、よく考えれば日本領事館に勤めているのだから日本語が話せて当たり前なのだった。
「担当官ハ席ヲ外シテイマス。15分後ニモウ一度カケテ下サイ。」
机の上のタイマーは2分40秒。
「15分後にまたかけるから、ここで待たせてもらえないか?」
と聞くと、少年はまったく表情を変えずに
「Sure.」
とだけ短く答え、入口の縁に腰かけてまた漫画本を読み始めた。

私はこの部屋から道行く人をカメラに収めたりして時間を潰し、あっという間に15分が過ぎた。
もう一度領事館にかけてみる。
「ハロー?」
さっきの男だった。
「先ほど電話した者です。パスポートを失くした。」
「担当官ハタダイマ接客中デス。1時間後ニカケテ下サイ。」
なんといい加減な対応だろうか。
とは言え、そもそもパスポートを紛失する方が悪いのだ。
仕方なく街をぶらつくことにした。
ゴードリヤ交差点近くのマーケットへ行ってみた。
野菜や果物や服屋が道の真ん中で露店を繰り広げている。
5月のバラナシは暑い。
日差しも強く、乾燥した風が排気ガスと牛糞の匂いを運んでくる。
インドの男性はスカーフを首に巻いたり頭に巻いたりして日光を避けている。
私も1枚買ってみた。
アルカイダの一員が巻いていそうな白と紫の格子柄のスカーフ。
さらに何かの舞台衣装にでも使えそうな砂漠の旅人を彷彿させる服も買ってみた。
こうなったら1日だけでも思う存分バラナシを楽しまなければ損だ。
野菜売りに「ヘイ、ジャパーニー!」と声をかけられ、スイカを勧められた。
丸々1個勧められても食べられる筈がなく、4分の1にしてくれと言うと、値段も4分の1に負けてくれた。
当然と言えば当然だが、残りの4分の3を誰か買ってくれるのだろうかと申し訳なく思いながら、その場で平らげた。
そうこうしている内に1時間が過ぎ、電話屋に戻って電話をかけた。
また同じ男が出て、言った。
「担当官ハ外出中デス。3時間後ニモウ一度カケテ下サイ。」
(つづく)
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March 04, 2012
Kumiko House.
けたたましいエンジン音を響かせながらオートリクシャーはガンガーに架かる橋を渡った。
左曲がりにカーブした所でバラナシ市街へと続く道と交差する。
その信号で停まるや否や、運転手は後ろに振り向いた。
「宿は決まっているのか?」
「あぁ。」
「何処だ?」
「クミコハウス。知ってるか?」
運転手は少し考え、頭を横に振った。
著名な日本人アーティストが多く泊まったと聞く「久美子ハウス」。
日本人旅行者が多数泊まっているであろうことに抵抗があったが、逆にそこまで有名なら敢えて行ってみたい気もした。
バラナシで3泊する予定だから、嫌になったら他に移ればいいのだ。
午後10時、バラナシ観光の起点とも言えるゴードリヤ交差点に着いた。
夜も更けた真っ暗な時間にも拘わらず、ナトリウムランプの黄色い照明で道は煌々と照らされていた。
水道管でも破裂したのか、工事中のフェンスで囲われた周囲は水で溢れぬかるみ、そこに異常な程人が集まっていた。
インド人もいれば外国人も多く、どうやら何事かが起こったのであろうことが容易に想像できた。
「ここから先には行けない。誰かに案内してもらってくれ。」
オートリクシャーの運転手はそう言って私を降ろした。
誰かにと言われても誰に頼めばいいのかと困ったが、そんな心配は杞憂に終わった。
バックパックを担いで車を降りた途端、すぐに別の運転手が声をかけて来た。
「ハローミスター。リクシャー?」
どう見てもまだ小学生という少年だった。
彼は小柄ながらも大人と同じ人力車を引っ張っていた。
「クミコハウス、知ってるかい?」
と話しながらガイドブックを見せてみると、彼は小さな地図に食い込むように目を近付けて暫く見詰め、リクシャーの持ち手を地面に置いた。
「カモン。」
彼は私をこまねいて歩き始め、暗い細道へと案内した。
道は細く曲がりくねり、三叉路に突き当たる度に彼は人に尋ねた。
道の両脇の建物は高く、雑然と様々な物が其処此処に置かれ、時に行き止まり、時に牛が寝そべり、幾つかの角を折れた時点で私は既に方向を失った。
それでもなお道は続き、もはやこの若い運転手にこの身を預ける他なかった。
この案内人がいなければ、私は朝までこの暗い細道で出るに出られず途方に暮れていたに違いない。
クミコハウスは川へと降りる階段のすぐ手前にあった。
開け放たれた扉から光が洩れ、その中で人影が動いている様子が窺える。
少年にチップを弾んで金を払い、私はその建物へと歩み寄った。
建物の入口は台所だった。
そこに体格の良い婦人と、さらに体格が良く灰色の髭をふんだんに蓄えた老人が座っていた。
女性は編み物でもしているのか、何やら手を細かく動かしている。
「Excuse me. Can I stay here tonight ?」
と英語で話しかけると、婦人は手を止めて顔を上げ、私を見た。
「こんな時間にかい?」
すぐに私を日本人と見た彼女は日本語で答えた。
なるほど、この女性こそ日本からインド人に嫁いだ「久美子さん」なのに違いない。
やや迷惑そうに話す彼女の言葉に、私は「すみません」と謝るほかなかった。
「それじゃここで靴脱いで、パスポート見せて。」
上の階へと続く階段の下の下駄箱に靴を置き、たすきに掛けていた鞄からパスポートを出そうとした。
…が、無い。
バックパックを降ろしてパスポートを探した。
…が、やはり無い。
「あ、あれ?確かに入れていた筈なんですけど・・・」
と慌ててバックパックの底の方まで探りながら、今朝の出来事に思いを馳せた。
昨日コルカタのホテルでパスポートを預け、返してもらう前にサダルストリートを探しに外へ飛び出した。
今日は早朝に急いでチェックアウトし、半ば寝呆けたフロントスタッフに金を払って、
Thank you, bye.と送り出された。
そのまま私は急ぎ足でフリースクールストリートを抜け出した。
つまりパスポートは返して貰えていない。
旅慣れていたつもりが、とんだ初歩的なミスを犯してしまったことに漸く気が付いた。
その経緯を久美子さんに話すと、彼女は呆れたように溜め息をついた。
「じゃあ今日は泊まって、明日コルカタの領事館に電話しな。」
とりあえず1泊分の20ルピーを支払って、上の階へと案内してもらった。
2階はシングルルーム、3階は雑魚寝のドミトリーだった。
階段のすぐ手前にベッドが幾つか並び、数人が眠りに就いている。
その奥に卓袱台や本棚のある居間、さらにその奥もベッドの並ぶ寝室となっている。
後で説明を受けたところ、階段に近い寝室は病人用とのことだった。
「どうもこんにちは。」
インドまで来て日本人旅行者の集まりに異様な社会感を覚えながら、新参者として取り敢えず丁重に挨拶をしてみた。
彼らは意外にもフレンドリーに近寄ってくれた。
「パスポート失くしちゃったんですか!」
一通りの自己紹介などを終え、念の為に私はバックパックの中身を全部出してみたが、やはり見付かる筈がなかった。
「何処で?」
「コルカタ。」
「あちゃー、コルカタ。それはもう出て来ないかもですね。」
他の旅行者もその言葉に同調する。
ここに集まる旅行者は皆若く、学生であったりフリーターであったり、もう何ヶ月も旅をしている者もいれば、私と同じく連休の間だけの者もいた。
パスポート探しを諦め、トイレに入った。
日本人経営の宿の割に「手で拭く」式のトイレであることに少々驚いたが、つまりここに集まる旅行者は皆若くして旅慣れた猛者なのだと得心した。
水量の頼りない粗末なシャワーを浴びて寝室を覗いてみると、皆思い思いに読書に耽ったり絵を描いたりしていた。
恐らく私はこの中で最年長だったに違いない。
なんとなく仲間に入り辛く、私は居間で寝ることにした。
板の間で背が少々痛んだが、窓から入る風と目に映るガンガーの景色が心地良かった。
音も無く流れる漆黒の川を見つめる。
何も見えないけれども、そこに川が流れているというだけで落ち着ける。
明日すべきことを考えながら、眠りに就いた。
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February 01, 2012
Soul River.
鮭は如何にして帰るべき母川を記憶しているのだろうか。
日本で産まれた鮭は、生後わずか4年間という一生の殆どをベーリング海やアラスカ海など遥か離れた外洋で過ごし、産卵と死の為に日本の母川に回帰する。
それが鮭を鮭たらしめる本能ゆえと言うならば、我々人類も持ち合わせていた筈の本能は何処に消えたのであろうか。
我々は何処から来て何処へ行くのか、何人たりとも知り得ない。
何処で道を誤ったのか帰るべき母川を見失った我々の魂は、為す術もなく彷徨い続ける。
我々は知らず帰るべき川を求める求道者なのだ。
コルカタ・ハウラー駅を出発して約11時間後、列車はムガル・サライ駅に到着した。
バラナシまであと一駅。
しかし列車は動き出す気配をまるで見せず、乗客たちはホームに降りて身体を伸ばしたり顔を洗ったりし始めた。
まぁいつものことかとのんびり構えていたが、どうにも構内のアナウンスが騒がしい。
窓から身を乗り出して駅員らしい男に尋ねてみた。
「いつ出発するんだ?」
「さぁな。バラナシとここの間で事故だ。」
あと一駅まで来てこれか、相変わらずツイてない。
バックパックを担いで列車を降り、線路を跨いで出口へ向かう陸橋の上で、男がニヤつきながら寄って来た。
「ジャパーニー、バラナシへ行くのかい?」
草履に短パン、浅黒い胸を肌けさせながら水色のYシャツを羽織った男だった。
「そうだ。」
「500ルピーでどうだい?」
タクシーかオートリクシャーの運転手らしい。
「高ぇよ。200だ。」
「おいおい、馬鹿言っちゃいけねぇ。せめて400だ。」
「250。」
などと交渉し、300ルピーで手打ちとなった。
駅前のナイトバザールで賑わう道をオートリクシャーで軽快に走る。
色鮮やかなサリーやパンジャビドレス、道端に座り込む牛、真面目な面持ちで店番をする子供らの姿が目に飛び込んで来ては後方へと過ぎ去っていく。
バザールを抜けて暗くなった所で突然リクシャーは停まった。
なんだか男に金を渡している。
「さっきのは何だ?」
「ヤクザさ。」
時々ここで通行料を取っていると言う。
素直に払えば何も問題は起こらない。
暫く走ってまた停まった。
「ちょっとここで待っててくれ。」
道路脇の街路樹の下に停めると、運転手は車を放っぽらかして駆けて行った。
小用か?と思って見ていると、暗闇の中にぽつんと浮かぶ小さな店を数人の男たちが囲んでいる中に入った。
私も車を降りて近寄って見てみると、何やらタバコのようなものを買って吸っている。
「お前もヤるか?」
マリファナか何かだろうか。
どちらにしても煙草の吸えない私には関係がない。
エネルギーを充填した運転手は、車に戻って来ると再びアクセルをかけた。
暗い道を行く。
なんだか懐かしい匂いが漂って来る。
子供の頃、石油ストーブの天板にいたずらに爪や髪を乗せた時の匂い。
橋の下を暗い川が流れている。
向こう側の川面に黄色い燈火が幾つも並んで揺らめきながら映っている。
運転手がエンジン音に負けじと大声で私に向かって怒鳴った。
「これがガンガーだ!」
これが旅の目的地、ガンガーか。
水面を凝視し、その神々しさに感動してみた。
拳を握り、「I got it !」と叫んでみた。
しかしどれも白々しかった。
こんな所まで来ておきながら、ラオスで出会ったメコンほどの衝撃は私には感じられなかった。
メコンほどのインスピレーションは呼び起こされない。
長く憧れていたガンガーを目の当たりにして、私はようやく悟った。
恐らくメコンは、私にとって本能が呼び覚ます魂の母川なのに違いない。
即ち、私の旅はメコンで既に終わっていたのだ、と。
そんなことを考えているとは露知らず、運転手は上機嫌に人で賑わうゴードリヤ交差点へとリクシャーを転がした。
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January 07, 2012
1/10 Century.
上空3万4千フィート。
絶え間なく響く轟音が大気を切り裂く音と共に室内を充たす。
隙間なく居並ぶ座席に余す所なく着席する乗客。
消灯した機内の一席で閉塞感に耐えながら8時間前の世界に遡る。
冬のスペイン。
マドリードから9日間をかけてコルドバ、ミハスの3都市を巡る。
前回マドリードに降り立ったのは2001年。
約10年ぶりの訪問となる。
十年一昔―――。
ルーティンの積み重ねの中に起こった様々な出来事も、一昔の内に括られて霞の中へ薄れ行く。
10年前に遡るには地球をあと何周逆に回れば良いのだろうか。
一万光年をかけて光を届ける銀河の如く、我々の放つ生命の光を10光年かけて映す星があるならば是が非でも訪れたい。
懐古に浸る暇など与えぬ様に地球は非情にも回り続ける。
目にも止まらぬスピードで。
轟音と共に。
2001年4月。
22時30分グラナダ発バルセロナ行き夜行バスで、一路バレンシアを目指す。
約9時間の旅路。
余裕を見て1時間前に到着した我々は、バスターミナル内のレストランで時間を潰すことにした。
暇の供にカフェ・コン・レチェ。
話に興じている間にバスは準備が出来ていたらしい、定刻5分前に搭乗すると、我々が最後の客となっていた。
空席は最後尾から2列目のみ。
照明を落とし静かに出発を待つ乗客らの間を縫って奥へと進む途中、黒髪の女性と目が合い、思わず「あ。」と互いに声を挙げた。
「こんばんは。」
と日本語で挨拶を交わす私を、パートナーは不審に見ていた。
同じ匂いというものだろうか、相棒が気付かなかったそれを私と彼女は敏感に気付き、すぐに意気投合した。
夜のグラナダを駆る。
我々と彼女は憚りながら声を潜めて、何処を回って来たのかなど旅の話で盛り上がった。
彼女は単身モロッコを周り、ジブラルタル海峡を渡ってスペインに入り、これからバルセロナを経由してパリを目指すと言う。
その逞しさに我々は感心するばかりだったが、彼女はスペイン語はおろか英語もろくに話せないらしく、会話は専らジェスチャーだと言うものだから、更に驚くほかなかった。
バスは市街を抜け、農地とも荒地とも付かない大地を走る。
何も見えない漆黒の地面が高低の差をつけてうねり、それに合わせて車体も前後に傾斜する。
車内は平穏に静まり、我々も一定の話題が尽きて、眠りに就こうと目を瞑ったり、イヤホンで音楽を聴いたりして静かに過ごした。
外の闇の中にぽつり、ぽつりと赤茶けた瓦屋根を乗せた白壁の家が見える。
住居なのか納屋なのか、見当も付かない。
時折り我々と同じようなバスがすれ違い、その都度運転手は右手を挙げた。
互いに見えているのかいないのか、あるいは条件反射のようなものだろうか。
夜空の下、全てが静寂の中で営まれる。
漆黒の大地の上に散りばめられた星々が鮮明に煌めく。
静かに寝息を立てて凭れかかる相棒を尻目に、一人眠りに就けず呆然と夜空を眺めて過ごした。
いつの間に眠っていたのか、運転手の声で我に返った。
「休憩。トイレに行きたい方は外のバルでどうぞ。」
バスはこんな時間でも煌々と光を洩らすバルの真正面で停まっていた。
乗客の殆どが外に出る。
私も出る際に「休憩は何分間ですか。」と尋ねると、「15分」と運転手は簡潔に答えた。
にも拘わらずバルのトイレには長い行列が出来、とても15分で終わるとは思えなかった。
男性側は比較的待ち時間が短かったため、私はなんとか時間内に席に戻った。
相棒はまだ並んでいる。
はやる気持ちと裏腹に運転手は一向に戻って来ない。
見てみると、運転手も乗客と一緒にテーブルを囲んで笑いながら飲み食いしているのだった。
15分という話は何処に行ったのか。
私はバルでチョコレートを買い、車内に戻って3人で分けた。
再び旅の話に花を咲かせる。
バスはまだまだ出そうになかった。
November 02, 2011
Sanctuary.
コルカタ・ハウラー駅は、ターミナル駅の割には人でごった返していることもなく、意外に落ち着いていた。
アーチ状の高い天井の下、色鮮やかなサリーやパンジャビドレスを纏った女性らが並んで歩きながら会話に興じ、彼女らの端正な顔立ちや高い鼻、大きな瞳、そして風にそよぐスカーフに、天女とはこのような人種かと自然に思い浮かぶ。
不意に「ジャパーニー」と足元から呼ばれて目を向けると、元は白かったのであろう灰色に煤けたシャツを着た子供が 「ワンルピープリーズ」と手を伸ばして来た。
天女と餓鬼が行き交う駅。
私は周囲を窺い、他に子供がいないことを確認してからズボンのポケットに突っ込んでいた1ルピー紙幣を素早く渡した。
運が良かったのか他の子供が駆け寄って来ることはなかった。
午前8時50分。
私の乗る列車までまだ1時間強。
構内のレストランで時間を潰そうかと思って覗いてみると意外にも満員で、店員が慌ただしく動き回っていた。
駅の中が落ち着いているだけにその差に驚いた。
とりあえず9時まで待ち、公衆電話から帰りの飛行機のリコンファームを試みた。
が、何度かけても繋がらなかった。
ベンチはプラットホームにあるようだが、暑い日向で1時間も過ごす勇気は起こらない。
仕方なく柱に凭れて座り込み、朝起きてからの出来事を日記に書こうと筆記用具を出してはみたものの、屋根の下とは言えやはり蒸し暑く、どうにも気持ちが落ち着かない。
ここはひとつスカッとしようと、レストランに併設されたジューススタンドに行ってみた。
外からレストランの窓をノックすると、黄色いTシャツの男が顔を出した。
「ジュースを注文してもいいですか?」
「オフコース。何がいい?」
「セブンアップを。」
「ホワイ?」
思わず耳を疑った。
「え…、ホワット?」
と聞き返すと、彼は私が英語に弱いと思ったのかゆっくりと話した。
「何故キミはセブンアップが飲みたいんだ?」
軽い気持ちで注文したものにまさかそんな質問を返されるとは思ってもみず、驚いた。
何故自分はセブンアップを飲みたいのか?
確かに、別にセブンアップではなくコカコーラでも良かった筈だ。
いやしかし今の気分ではコカコーラよりも軽い味が好ましかった。
ならばスプライトでも良かったはずだ。
なのに何故自分はスプライトではなくセブンアップを注文したのか?
何故なら日本ではスプライトの方がメジャーだが外国ではセブンアップの方がメジャーだと、昔通っていた英会話教室で聞いたからだ。
つまり自分は本当はスプライトが欲しいのではないのか?
彼は回答に窮している私を真っ黒な濃い目で直視し、店内は忙しい筈なのにじっと私の回答を待った。
私は苦し紛れにシンプルに答えることにした。
「何故なら、私はセブンアップが好きだから。」
インド人は何でも理由を聞きたがるが、どんな回答でもそれが理由であれば納得すると、横尾忠則氏の著書で読んでいた。
だがこの店員は違った。
「ホワイ?」
つまり今度は、何故私はセブンアップが好きなのか、と。
彼は私の顔を見ているのではなく、まるで私という外殻の中に隠された私の核なる部分を見透かそうとしているように思えた。
後天的に学習した経験から形成される理性ではなく、先天的に生まれ持った真実なる自我。
海面下に隠れた氷山と喩えられるエゴ。
誰にも触れさせたくない、私だけのサンクチュアリ。
彼の瞳の漆黒の闇に飲み込まれるような錯覚から逃れたくて、私はまた苦し紛れに回答した。
「何故なら、セブンアップは世界的に有名だから。」
私の答を聞いた彼は一呼吸を置き、
「ふーん、なるほど。」
と言って、漸くサーバーのコックを引いてセブンアップを入れてくれた。
有名だから好き―――それは私が最も嫌悪する回答だった。
暫くして列車が入線した。
インドの鉄道は指定券を購入していても、座席は出発の間際にしか発表されない。
20両近い編成の各車両に張り出される名簿から自分の名前を探さなければならない。
各乗客の座席配置はすべて車掌に一任されているからだろうか。
出発の10分前になり、各車両の入口に模造紙が張り出された。
それぞれ特急券番号と名前が書かれている。
私は機関車を除く2両目から19両目まで目を皿のようにして探した。
先頭車両まで探したが見付けられず、また最後尾まで戻りながら探したが見付けられなかった。
車掌と思しき制服を着た男に聞いてみると、「もっと前の方じゃないか」と適当なことを言われたが、やはり見付けられない。
差し迫る出発時刻に焦りながら日差しの強いプラットホームを何度も往復している内に、奇妙な考えが浮かび上がった。
自分は本当にバラナシに行きたいのか?
ただ有名だからバラナシに行きたいと願っただけなのではないのか?
つまり自分はまだバラナシに呼ばれていないのではないか?
長く切望していた旅だけに諦められず半泣きになりかけていた時、何度も見た筈の9両目に漸く自分の名前を見付けた。
何故見付けられなかったのか、見えない力で目を閉ざされてでもいたのか、不思議に思うほど私の名前ははっきりと書かれていた。
聖地巡礼などと恰好つけず、ただ行きたいから行く、理由はそれだけで良かったのだ。
車掌の警笛とともにゆっくりと動き出す。
いざ、バラナシへ。
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October 05, 2011
Walk with His hand.
来たる10月9日、私の母は古希を迎える。
その記念として、彼女がコツコツと描き貯めて来た日本画の個展を開くことになった。
趣味で描いているだけの名もない一家人のため、茜屋という煎餅屋の2階にある小さく簡素なギャラリーを借りて開催する。(2011年10月5日〜10日迄)
彼女の名は「直生」と書いて「ナオミ」と読む。
クリスチャンであった祖父が、旧約聖書に登場するナオミからその名を取り、字を充てたのだった。
ちなみに私の父の姓には「生」という字があるため、入籍以降、姓名を書くと「生」の字が二つも連なることになり、一見生命力に富んだ名前にも見えるが、実は彼女は6歳までに死ぬと医師から告げられていたのだと祖父母から聞いた。
無事に小学校に入学したものの、卒業するまで持たないとも言われ、体育は常に見学、遠足の日は欠席だったそうだが、今も元気に生きている。
名は体を表すと言うが、案外馬鹿に出来ないものかもしれない。
ところで個展の案内状は私と兄で協力して作成したのだが、案内状を郵送するリストに不思議な名前があった。
「山本亀」
母に尋ねたところ、「亀」と書いて「すすむ」と読むのだと言う。
たとえ遅くとも、一歩一歩確実に前進する。
子供の頃は同年代の友人から馬鹿にされたであろうことは容易に想像出来るが、DQNネームが蔓延する昨今、年を経るにつれて味を出す名付けに感心する。
歩くという動作は凡そ人間にとって最も基本的な行為であろうが、ただ足を交互に前に出すだけの単純な行為が非常に困難に思えることがある。
心が折れそうな時、人は何を糧に更なる一歩を踏み出すのか、誰かに教えを請いたい。
未来に光無く、濁流に溺れ懸命に足掻く先にあるのは奈落の滝壺か洋々たる大海原か、誰ぞ知る。
案内人の差し伸べた手に必死にしがみついたことを思い出す。
北フンザとも呼ばれる地方にあるパスーは静かな村だった。

中国からクンジュラブ峠を越えたマイクロバスはカラコルムハイウェイを駆け下りた。
ハイウェイとは名ばかりの未舗装の砂利道には、左側に轟音と共に濁流を流す川、右側に樹木など一本も生やさない裸の山が聳え、山の斜面は乾燥した砂利に覆われ、いつ崩落に遭遇してもおかしくない様相を呈している。
落石にでも遭おうものなら、ひと溜まりもなく渓谷に突き落とされること間違いない。
パキスタン側スストでマイクロバスを降り、入国審査を済ませた後に車を捉まえ、パスーに到着した時には既に日が暮れていた。
中国の広大な大地は統べからく北京時間に統一されているため、ちょっとしたバス旅で3時間もの時差を越えることになる。
ツーリストロッジに泊まることにした私とW氏は、チェックインと同時に翌日のトレッキングを申し込んだ。
パスー氷河なら初心者向けだとバスの中で聞いていた。
W氏がスニーカーだが大丈夫かと宿主に尋ねたところ、「No problem. Easy trecking.」とのことだった。
翌朝、ガイドに導かれて私とW氏はパスー氷河へと向かった。
KKH(カラコルムハイウェイ)沿いとは言え車が通るのは5分に1台程度のもので、砂利道を歩く足音だけが妙に大きく聴こえる。
暫くKKHを歩いたのち、道から逸れて道なき道を行く。
小川を越え、草を踏み、上下にうねる大地を幾つか越え、いつしか両手両足を使って斜面を登っていた。
標高が高いせいか照り付ける太陽は灼熱を帯び、乾燥した空気に喉が張り付く。
足元は拳大の石ばかりで、気を抜くと踏み外すか石ごと落ちてしまい兼ねない。
見る間に汗が吹き出し、飄々と上るガイドを何度も呼び止めては休憩を取った。
とても「Easy Trecking」とは思えなかった。
斜面を上り切った所から漸く見えたパスー氷河は、氷河と言う割には規模が余りにも小さく、いささか拍子が抜けた。

この暑さにも拘らず溶けて無くなることはない雪の塊りが横たわっているのだが、よくテレビや雑誌で見るパタゴニアやアラスカを想像していると遥かに規模が小さい。
ガイドが言うにはパスー以外のフンザの氷河はもっと大きいらしい。
ロッジが持たせてくれたランチボックスで昼食を摂り、そのまま来た道を下りるのかと思いきや、ガイドはさらに山の奥へと進んだ。
山をぐるりと回って裏から下山するのだと言う。
緩やかな斜面を上って下山ルートに達したのは、山羊が駆け登る急斜面だった。
砂利で滑る斜面を腰を落としながら慎重に下り、遥か下に川を見下ろす片足1本分の幅の道を行き、僅かに足場の残った急斜面を飛び跳ねながら足を運ばなければならなかった。
ところで、私はトレッキング用の革のブーツを履いていた。
このブーツは底が頑丈な分、重かった。
いや、靴の重さの所為ではなかったのかもしれない。
私は最後の足場を跳ぶことが出来なかった。
一歩間違えれば山から滑落する恐怖からか、足がすくんで及び腰になっていた。
身体の疲労が更に勇気を削ぐ。
ガイドが手を差し伸べてくれるのだが、肝心の一歩が出せない。
ガイドを信頼出来なかった訳ではない。
今になって思うと、自分を信じる事が出来なかったのだ。
彼はそんな人の心理を分かっていたのだろう、笑顔で私を安心させながら「Come on!」と呼びかけ手を差し伸ばした。
結局彼の手にしがみ付くようにジャンプ出来たきっかけは、進む以外の道は無いという諦めに似た心境からだった。
時間は止まらない。
人生には前進しかない。
疲れている暇など無い。
それでも、一歩も踏み出せない程に疲労困憊した時に差し伸べられるのは誰の手か。
その手に導かれて行く道の先には光明が差すに違いないと私は信じている。
われ山に向かいて目を上げん。我が助けはいずこより来たるべきぞ。(詩編第121編)
自分を信じられないのは不敬虔ゆえだと、改めて思い知る。

(写真:(上)KKHを歩く (中)パスー氷河 (下)下山中の風景)
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August 08, 2011
Escape from Kolkata.
翌朝、私は6時にハッキリと目を醒ました。
あの青年が迎えに来る前に出て行かないと…!その気持ちで一杯だった。
30分で身支度と荷造りを済ませてフロントに行くと、ホテルの男たちがソファや床に布団を敷いて寝転がっていた。
声をかけると昨夜の髭の逞しい男が起き上がり、手続きをしてくれた。
彼は眠気まなこで宿泊費の1,000ルピーを数えると、
「OK, Bye...」
とだけ言って再びカウンター下の寝床に戻った。
タイでの午前6時は市が最も賑わう時間帯だが、インドではそうでもないらしい。
街はまだ静かなものだった。
路上生活者は軒下でまだ寝ていたり、ただ茫然と立ち尽くしていたりと、昨夜の騒がしさが嘘のように息を潜めている。

ひっそりとしたフリースクールストリートを写真を撮りながら足早に歩く。
中古で買った銀塩カメラの小切味良いシャッター音が響いて聞こえる。
街はまだ仄暗く、シャッタースピードを遅く、露出を大きめにしなければならず、撮る際にはブレないように細心の注意を払った。
昨夜チャイを飲んだニューマーケットを無事に抜けると、ひとまず胸を撫で下ろした。
それにしてもここの大人は本当に無邪気らしい。
異国から来た私に「ヘイ、ジャパーニー。」と気軽に声をかけては、写真を撮ってくれと頼んでくる。
水道か何かの工事をする男などは、わざわざ穴に潜ってツルハシを構え、いかにも真面目に働いているというポーズをとった。
それでいて自分の住所に送ってくれとも言わないのだから不思議だ。
写真というものは日本でも昔はハレの日にしか撮らないものだった。
そう考えると、撮られるだけで彼らは嬉しく感じるのかもしれない。
チョウロンギ通りを渡ってしまえばもう安心だ。
時刻は7時15分。鉄道の時間まであと3時間強。
有り余る時間の消化に困ったが、ゆっくり歩きながら駅に行けば大丈夫だろうと考え、
取り敢えず露店のチャイ屋で一服。
歩いていると、時間と共に徐々に人通りが多くなってきた。
コルカタはインドの中でも有数の商業都市らしく、市電は人で溢れ、地下鉄の出口からぞろぞろと人が流れ出て来る風景を見ていると、日本となんら変わらない。
やがて庁舎と思われる古めかしい英国様式の建物が幾つも並ぶ通りに出た。
イギリス統治時代の歴史を物語る苔生した外壁に感動しカメラを構えたところで、私を制止する声が飛んで来た。
インドでは珍しく髭を蓄えていない老人が私の方に向かって歩いてきた。
「ここはコルカタ・カントと言って、政治的な建物が多いから写真を撮ってはいけない。見付かったらカメラは没収される。そら、その古い建物は裁判所だし、あそこは議事堂だ。カメラは早くカバンにしまいなさい。」
なるほど、道理でここら辺は古めかしい建物が多いはずだ、とすっかりその男の言葉を信じこんだ私は礼を述べ、また歩き出したら彼も並んで歩いた。
「日本人かね?」
「いえ、韓国人です。」
日本人と言えばカモにされるかもしれないと思い、敢えてウソを吐いた。
「今から何処へ行く?」
「ハウラー駅からバラナシへ行くところです。」
「とすると10時半の急行だろう?まだ3時間もあるじゃないか。」
「だから写真を撮りながらゆっくり歩いてるんです。」
「カーリー寺院は見たかね?ヒンドゥの寺だから君は入れないが、私が一緒に行けば
OKだ。すぐそこだから行ってみないか?」
老人に促されるままに歩いて行くと、確かにガイドブックでも見た白い建造物が見えた。
彼はカメラを隠すように言い、辺りを窺いながら私を案内しつつ、今の内に撮れと指示したりした。
ひと通り見た所で外に出ると、彼は、
「おっと、私もお祈りをしていかないと…。」
と言って寺院に戻ったのだが、私の前に戻って来てこう言うのだった。
「お前さんの分も祈っておいてやったぞ。なに、お賽銭は300ルピーだ。」
そう言って手を差し出す彼の仕草に、暑さも手伝って私はすぐに頭に血を昇らせた。
「いつ俺がそんなことを頼んだ?余計なお世話だ。俺は払わない。」
と言うと、彼も興奮して見せた。
「儂は親切で案内をしてやったんだぞ。ガイド料を支払うのが当然じゃないか!」
「俺は頼んでいない。契約もしていない。だから払わない。」
すると彼は急に弱々しい悲しそうな表情に変え、
「儂は貧しい生活をしてるんだよ。この老いぼれにそんな酷いことを言うのかね。」
と泣き落しに入った。
彼を放って丁度通り掛ったタクシーを捕まえると、老人とは思えない素早さで彼も乗り込んできた。
「ハウラー駅の飲食物は殆ど腐っているから駅のレストランに入っちゃいけない。ここで買っておいた方がいい。そら、あの店だ。買って来てやろう。」
と彼は運転手に待っておくように指示したが、彼が車を降りた隙に私が「出してくれ。」と言うと、経緯を推してくれたのか運転手はアクセルを踏んだ。
私は後ろを見ないことにした。
彼が買い物を済ませた姿を見ると、哀れに思えて買い取ってしまうに違いなかった。
老人の事はもはや過去の事。
過去への執着など捨て去って、聖地バラナシを目指していざハウラー駅へ。
果たして、彼は本当に買い物を済ませたのだろうか?
自称ガイドの老人の事を思うと6年が過ぎた今でも胸が痛む。
そんな私はとんだお人好しだろうか。
執着はそう捨て切れるものじゃない。
(きょうの写真:早朝のサダルストリート入口)
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July 10, 2011
Hallelujah !
快楽にハレルヤ。
誉め称えよ、天地万物の創造主を。
快楽こそ神の御業なり。
あの山脈を見て神を信じない者は盲目か真の愚か者か。
あの造形を目の当たりにしてなお偶然の産物と言うのなら、その者の生命もまた偶然。
その生命に意味など無く、その者の存在は虚空に等しい。
あの素晴らしい光景こそ眼福、即ち目の快楽。
私は神を賛美せずにいられない。
ある生物学者によると、人間はDNAによって操られる容れ物に過ぎないらしい。
恋愛の9割は勘違いだと人は言う。
その生物学者に言わせれば、残りの1割こそDNAとDNAの運命的な出会い。
互いの不足を補完し合い、より強い種を産み出す。
本能による性の至福はその1割にこそ成せる業に違いない。
かつてエデンは快楽に満ち溢れた祝福の園であった。
快楽は人類だけに与えられた特権なのだ。
―――なんてことを国境を越えたパスーの宿で感情に任せて日記帳に書き殴った。
帰国してから読み返すと馬鹿なことを書いたもんだと赤面するが、その時の感動の強さだけはよく伝わるものだから、破らずに置いておくことにした。
また忘れた頃にでも読んでみようと思うが、きっとそのまま忘れ去ってしまうのがオチだろうとも思う。
5月1日、カシュガル南天路バスターミナルを出発したバスは、タクラマカン砂漠の北西端を横切った後、パミール高原に向けてゲイズ渓谷沿いの道をひたすら走った。
乾燥した大気、照り付ける太陽、憎い程に晴れ渡った青空。
気候はやはり砂漠地帯と変わらないらしく、川沿いでさえ緑は点々とあるだけで、河原と呼ぶよりも無数の岩石の中を水が流れているだけと言った方が相応しい。
山に至っては樹木など一本も生えておらず、筋骨隆々たる山肌を露わにして車道に差し迫る。
裸の山は巨大な岩石に等しく、頭上の太陽光を足元からも照り返す。
そんな灼熱の光景の中、やがて前方に万年雪を被ったとびきり大きな山が現れる。
標高7,649メートルのゴングール山。
辺境警備の検問所を抜けると間もなく視界が一気に開ける。
牧草を食む山羊、牛、馬。
天空と雪山を生き写す湖。
それこそはパミール高原。
世界にはまだこれほど土地が余っていたのかと、驚きのあまり日本の人口密度と比較して訳の分からない感傷に浸る。
白く着飾ったムズターク・アカ山(7,546メートル)を映すカラクリ湖の美しさに息を呑む。
これらの霊峰を見上げながら車内に流れた『北国の春』を耳にするのもまた一興。
全アジアに通じる名曲であると得心する。
標高3,600メートルにあるタシュクルガンという町で一夜を過ごした後、イミグレーションで出国手続きを済ませて再びパミール高原を駆る。
ゲルを張って家畜を見守る遊牧民を傍に見ながら、遥か前方に見える白い稜線を目指して広大な荒野を走り抜ける。
一直線だった道はやがて幾つも弧を描くようになり、少しずつ標高を上げ行く。
気付くと無意識に深呼吸を繰り返している。
後の座席のオーストラリア人は頭が痛いと訴えた。
それでも運転手は容赦なく坂を登り続ける。
幾つカーブを曲がったろうか、最後に大きなヘアピンカーブを廻って一直線に上って行くと、雪を被った山脈の稜線が遥か先まで眼下に連なっていた。
鋭い刃のような尾根や山裾に向けてカーブを描いて広がるシルエットが幾つも重なり合い、山麓の狭い谷が一本の道のように遥か遠くまで続く。
そんな光景が自分の足元で繰り広げられている。
何だこれは、何だこれは、凄い、凄い、と同じ言葉を何度も頭の中で繰り返した。
言葉を失うとは正にこの事。
その麗しさを表現する言葉が見付けられず、語彙力のない幼児のように同じ言葉を繰り返すほかなかった。
坂を上り切り、中国国境のゲートをくぐった途端、アスファルト舗装は途切れてバスが激しく上下に揺れた。
パキスタンに入ったのだ。
国力の違いか、これより先は未舗装の道が続く。
運転手は一旦バスを停め、乗客も皆、休憩や記念撮影のために車を降りた。
二つの国家を分かつクンジュラブ峠は標高4,934メートル。
とにかく寒い。
5月にも拘わらず雪が積もっている。
冷たい空気に晒されて男共は堪らず立ち小便で雪を穿ち、女は離れて尻を剥き出し雉を撃った。
富士山など足元にも及ばない山峰の美しさの中にあっては人間はもはや野の獣と大差なく、人の理性や知性など神の造形の前では糞便を垂れ流す赤子の戯言と何ら変わらないのに違いない。
約5,000メートルの高所で同じく熱いパトスを放ちながら、思わずそんなことを考えた。
これはこれで日本では出来ない貴重な経験に違いないと無理矢理自分を納得させるには、大して時間はかからなかった。
ところで、淫乱は本能ではなく理性に依る人為的な産物である。
アダムとエバが手を出した禁断の果実こそ理性の実。
快楽は天然だが淫乱は罪。
ソドムとゴモラはその罪悪のために神の業火に滅ぼされることとなったのだ。
聖なる快楽とは一線を画すものであることを、誤解を防ぐために最後に付け加えておく。
(きょうの写真:クンジュラブ峠/中パ国境)


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June 04, 2011
A long night in Kolkata 4
「また会えるなんて、なんてラッキーなんだ!一緒に飲もう!」
彼の登場はまさに渡りに船といったタイミングだったが、厄介な人間に遭ったという思いが脳裏を過ったことも否めない。
コルカタへ向かう飛行機の中で、彼は私のジュースがぬるいとキャビンアテンダントに掴み掛かったり、2本目のビールが遅いとギャレーへ怒鳴りこんだり、とにかく人騒がせな男なのだった。
彼は新聞紙で包まれたビール瓶を2本片手に持ち、見るからに貧しい身なりの女性を二人連れていた。
「それより、この人達はどうしたんだ?」
「向こうで会ったんだ。…お、そこの店で飲もう。」
彼は女性二人を連れて私の背後の食堂に入ったが、すぐに騒ぎが起こった。
「なぜ入店拒否なんだ?カネなら払う。」
「ダメなものはダメだ。」
「何故だ?料理だって注文する。何も損しないだろう?」
「ダメだ。出てってくれ。」
インドはカーストの国だ。
恐らくは連れていた女性の身分に問題があるのだろう。
「無理だよ。よそへ行こう。」
と私が背後から話しかけても、彼は決して諦めずに店の主人に喰いついたのだが、最終的に店の外壁脇なら構わないという許しが貰えた。
つまり結局のところ入店は拒否されたのだった。
四人で地べたに座り込んでビールを回し飲んだ。
と言っても女性二人はビールを口に含んだ途端にがい顔をして、二度と口にしなかった。
「で、子供が何人いるんだって?」
スペイン人が恐らく私と会う前までの話の続きを始めた。
「わたしゃ4人だよ。上の2人はあっちの駅の中で住んでる。下の2人はまだ小さいんだよ。」
「わたしは2人。小さい子供だけさ。」
「なんで子供なんか作ったんだ?金も家もないのに。」
「男がカネをくれると言ったから。」
恐らくこの二人はこのスペイン人に物乞いをして、さっきのような「何故だ?」攻撃に遭ったのだろう。
しかし二人の外見からではとても赤ん坊がいるような若さには見えない。
私は何も言えず黙ってビールを飲みながら話を聞いていると、スペイン人はとんでもないことを質問した。
「で、何回ヤッたの?」
思わずビールを吹きかけた。
いくら疑問に思っても普通聞かないだろう?文化の違いとかそれ以前の問題だ。
ところが、そんな不躾な質問をぶつけられた2人を見ると、驚いたことに少女のような気恥ずかしさを見せ始めたのだった。
顔を赤く染めてモジモジと俯きながら、
「7回。」
「アンタなんかまだいいわよ。わたしゃ4回さね。」
と短く答えた。
時間はもう夜の10時を過ぎていた。
スペイン人は2人に200ルピーずつ渡して帰らせた。
「さて、踊りに行かないか?」
老婆のように見える二人を帰らせた後、スペイン人は私にそう持ちかけた。
これだけ繁華街に近ければナイトクラブの一軒くらいあるはずだ、と彼は言う。
明日は朝早いというのに今から踊りに行くとなると帰れるのは一体何時になるだろうか…などと悩みつつ、かと言ってこのご機嫌な笑顔を見せるスペイン人の気持ちを挫くのも申し訳なく、結局私は意に反して「イイねぇ!」と答えてしまうのだった。
「ところで…これから宿を探さないといけないんだ。」
驚いた。
もう夜中近いというのに、しかも私と同じ時間にコルカタに着いたというのに、まだ宿を決めていないとは無計画にも程がある。
とりあえず踊りに行く前に宿だけは先に決めた方がいいと説得し、サダルストリートにある欧米人には有名らしい古い洋館のゲストハウスに行った。
門の前でさっきのリクシャーの爺さんが門番らしい男と話していた。
建物に入るとすぐに受付の男が出て来て、スペイン人は交渉し始めた。
私は洋館のリビングのソファで座って待つことにした。
仄暗い静かなリビングで、私の他に欧米人が二人、ひと言も話さず本を読んだり寝転がって天井を眺めたりしていた。
暫くして激しい口論が閑静な館内に響き渡った。
「何故だ?オレは一人で泊まるんだ。なぜ二人分も払わなくちゃならないんだ。」
「だから言ってるだろう。二人用の部屋しか空いてないんだ。」
「でもオレは一人なんだ。ツインの部屋しか無いからって、なぜ二人分払う必要がある。」
「イヤならいいんだ。宿は他にもあるだろう。」
かなり長く揉めた結果、部屋代を多少負けてもらうことで決着がついたようだった。
じゃあ踊りに行こうということになり、門番とリクシャーの爺さんに近くに踊れる所はないかと尋ねると、二人は考え、話し合い、一つの答が出た。
「あっちの方向にあるが、君らは入れてもらえないだろう。」
「何故?」
「上流階級の坊やの集まる所さ。そんな汚いカッコじゃ無理だ。」
実際に行ってみると、たしかに話の通り店の中には奇麗に着飾った青年が集まっていて、店の前にはスーツを来たガードマンが立っていた。
その前を彼は自然にスルーし、扉を開けて中に入った。
私は外から様子を見守っていたが、当然の結果として彼は中にいたガードマンから押し戻されて出て来た。
そしてまた「何故だ!?」の押し問答を繰り広げる。
更にあろうことか私を指差し、
「オレの友達は僧侶なんだぞ!」
などとウソを言う始末。
結局踊るのは諦め、私と彼はすぐ近くのやや高級なレストランに入ってカレーとパンを食べた。
私は彼の呆れるばかりの強引さに、もはや尊敬すら覚えていた。
「君はまったくグレートな男だよ。尊敬してしまう。」
「何故?」
「君ほどポジティブな奴は見たことがない。ぼくはネガティブだからね。」
「それはダメだ。キミ自身を変えないと。」
「分かってる。分かってるけど出来ないんだ。」
「何故?」
「……。」
「You must change.」
彼はまた、スペインに残して来た恋人のこととイスラエルにいる愛人のことを話し始めた。
「オレはいずれスペインに帰ってイザベラと結婚するつもりなんだ。だけど本当に愛してるのはこのサラなんだ。」
と、彼はノートに挟んでいた二人の写真を見せてくれた。
「愛こそ真実さ。君もそう思わないか?」
不貞を働きながら何が愛かと私は呆れたが、地中海に面した土壌では降り注ぐ太陽がそんな思考を生み出すのだろうか。
日本の湿っぽい土壌とは全く異なるのだろう、私は彼を苛めるつもりではなく、全く他意なく彼に答えた。
「違うよ。愛なんて夢さ。結婚は現実だ。」
私の言葉に彼は目を丸くして驚いて見せた。
彼は「Love is a dream... Marriage is the real...」と私の言葉を何度も復唱した。
彼のショックを受けた姿を見て、なんてネガティブなんだろうと私は自責の念に駆られた。
私の頭の中では彼の言葉が何度も響いていた。
「You must change.」
レストランを出て、私と彼は途中まで一緒に帰った。
真夜中のサダルストリートは静かで、野良犬の街と化していた。
彼のゲストハウスの前まで来たとき、彼は持っていたカバンからノートを取り出し、私に名前を書いてくれと言った。
書くと、今度は彼がそこに自分の名前を書き、そのページを破って私にくれた。
マルコという名前だった。
彼との出会いから6年が過ぎた今も、私が彼の名前を忘れたことは一度たりともなかった。
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