August 2005

August 29, 2005

Furo


アサオです。

時々ふっと、片道航空券でタイを訪れたことを思い出す。
バンコク国際空港で入国審査を済ませ、残りの航空券をゴミ箱に捨てた。
身体を地に縛り付ける重力から解放された快感。
自分はどこにでも行けるんだという錯覚。
それから4ヵ月後、やっぱり私は日本に帰ってきた。

旅は、帰るべき所があるからこそ旅と呼べるのかもしれない。
“旅”【tabi】と、繰り返すという意味の“度”【tabi】。
漢字が大陸から伝わる以前の日本語は、
恐らく音や響きで意味を分類していたんじゃないかと思う。
たとえば、相、会、合、逢、愛… 
すべて【ai】と発音できる二者あるいは複数の関係を表す言葉。

今でも女の子の名前は意味よりも響きを重んじる傾向が強い。
日本語って美しい。
そう気付いた時、あぁ、やっぱり日本っていいなぁ、と思える。

ラオスやタイなど東南アジアでは、
身体を洗う際、「風呂に入る」という概念がない。
男はパンツ一丁で、女は巻きスカートを胸まで隠すようにたくし上げて、
水道や井戸で水をかぶる。
全裸にならないのだから人前でも堂々と身体を洗う。
ラオスを周遊していた2週間は私もその生活を余儀なくされた。
井戸の水を被るなんてことはなかったけど、
シャワーが付いてると良い方で、ドラム缶に貯めた水を掬って被ることもあった。
湯を被ることなんてない。
東南アジアの住人らはこう思うんだろう。
なんで暑いのにわざわざ熱い湯なんて被るんだ、と。

ラオスに入国して2週間目、ビザが切れる直前に私はフエサイから出国し、
メコン川を渡ってタイに入国した。
タイ側の入国地はチェンセン。
そこからバスで3時間ほど走るとチェンライという観光都市に着く。
ラオスでは1ドル、すなわち約100円でさえ無駄にしない旅をしていたから、
チェンライでは、到着したのが夜遅かったからというのもあって、
10階建てぐらいの豪華なホテルに飛び込みで泊まった。
ポーターに部屋に通されるなり、私はすぐに服を脱いで風呂に入った。
蛇口からふんだんに放出される熱い湯を浅い浴槽に貯めて、
肩までしっかりと浸かる。

かーっ、たまんねェー!

身体の芯に溜まった疲れが横隔膜を刺激するのか、
堪らず声を出さずにはいられない。
この感動を知らないアジアの人々が可哀想に思えるほど、
日本人で良かったと心の底から感嘆した。

また奥多摩の温泉に行きたい…。

(今日の写真:雑多屋さん at ルアンパバーン/ラオス)

050829

scott_street63 at 23:31|PermalinkComments(4)TrackBack(0) | ラオス

August 19, 2005

プーシーに思う


アサオです。

お盆休みを利用して、3泊6日(機内2泊)でタイへ行ってきました。
ついでに足を伸ばして4年ぶりにラオスの古都ルアンパバーンまで行ったり。
バンコクからPG(バンコクエアウェイズ)でルアンパバーンまで直行。
…なんとゆーか、カオサンみたいになっててちょっと残念。
メインストリートを歩行者天国にしてナイトバザール開いてたり。
といってもしょせんラオスですから、
タイのパッポンに較べたら1/100ていどの規模なんですけど。
欧米のヒトが出資してるのか、
築100年近い家屋をリフォームしたオサレなショップがいくつか開いてた。
ラオスってなんにもないのが魅力でもあったのに、
賑やかなルアンパバーンにちょっとヘキエキ。。。

ルアンパバーンはカーン川とメコン川が合流する地点に開けた街。
かつてランサーン王朝の首都が置かれた街で、
その王宮には「パバーン」と呼ばれる守護仏が祀られている。
偉大な(ルアン)守護仏パバーンという意味でルアンパバーンと名付けられたらしい。
毎年1月4日にそのパバーン仏を王宮博物館からワットマイという寺に移送される際には
古式ゆかしい行列とともに輸送され、読経や潅水の儀式が行われるらしい。
一度行ってみないと。

ちなみにルアンパバーンは街全体が世界遺産に登録されたスゴイ街。
なのに日本人にはまだまだ知名度が低いみたいで悲しいような嬉しいような…
日本人のおばちゃんらが集団で闊歩するよーになること想像すると、
正直ゾッとするかも。
でも欧米人はホントに多い。
欧米人の中でも意外に年配のアメリカ人が多い。
きっとベトナム戦争時代のこととか思い出すんだろーなぁ。

今回は上らなかったけど、
街の真ん中にプーシーという小高い丘に立つ祠がある。
そこに上ると重機関砲のごっつい砲台がある。
ルアンパバーンの北側のずっと向こうまで見渡せるスポット。
そこから敵の侵入を狙い撃ちしたんだろうか?
今では子供が乗ってくるくる回る遊具と化している。
子供たちは知らなくても、たとえ砲台が無くなったとしても、
歴史の傷跡は消えない。

太平洋戦争が終わって60年。
何年経っても、たとえ戦争を知らない世代だけになっても、
歴史に刻まれた傷を忘れてはいけない。
語り継がなくちゃいけない。
同じ過ちを繰り返さないために。
今年の夏は特に核の被害者としての放送が目立ったけれど、
日本が行った残酷非道な行為も忘れてはいけない。
…なんて、終戦記念日にタイに行ってた人間が言えることじゃないんだけれど。

いまNHKでやってる『アウシュヴィッツ』に釘付け。

と言いつつ、帰国後すぐに録画しといた『スローダンス』に飛びついた。
『スローダンス』、胸に滲みるわ……

(今日の写真: 南無 at 吉野/奈良)

050818

scott_street63 at 10:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0) | ラオス

August 10, 2005

hottokenai


アサオです。

http://hottokenai.jp/
「ほっとけない 世界のまずしさキャンペーン」

貧困に喘ぐ世界の人々・国を救おうという趣旨の運動が行われている。
食糧や水がなかったり、先進国からの債務返済で手一杯だったり、
あるいは正当な貿易ができなかったり…
20年前に行われたアフリカ救済イベントで集められた280億円もの寄付は
先進国への返済でわずか1週間で消えたという。
これはもはや人災である。
貧困の克服こそ国家としての優先課題にしよう。
その運動に参加するために、白い腕輪を身に着けよう。
…という趣旨のキャンペーン。
腕輪は紀伊国屋やタワレコなどでも取り扱ってるから、
あした入手するつもり。

…インドのカーストによる貧困も、やはり人災なんだと思うけど、、、

バラナシから夜行列車でカルカッタに戻って来た日の午後、
バンコクへ帰る便のリコンファームをしにチョウロンギ通りの
インディアン・エアラインへ行った。
そのビルの前に一人の女性が座っていた。
ビジネス街であり、且つ地下鉄の出入口の前ということもあって
人々が黙々と足早に過ぎ去る歩道の脇で、女性は汚れた衣服をまとい、
膝の上で眠る赤ん坊の背中を優しく叩きながら座っていた。
彼女の前を通り過ぎる際に横目で見てみると、その赤ん坊の顔はクシャクシャの猿のようで、
明らかに生後2〜3日と見て取れた。

何か…何か自分に出来ることはないか…!
余りにも小さく弱いその嬰児を見て、やたら焦燥感に駆られて考えた。
現金を渡すに越したことはないのかもしれないが、
しかし今すぐにでも必要なのは母親の栄養ではないか。
そう思い立ち、果物屋を探し回り、バナナを一房と100ルピー紙幣(約250円)
1枚を彼女に渡した。
「可愛い赤ちゃんですね。」
と英語で話すと、恥ずかしそうに微笑んで、
「Thank you.」
と答えた。こんな貧しい人でも英語が通じるのだから驚いた。
「…あなたは、この路上でこの赤ちゃんを産んだんですか?」
「Yes...」
信じられなかった。路上で出産するなんて…!
元気でね、と言って立ち去りながら、目頭が熱くなって涙がこぼれてしまった。

翌日、私は失敗したと思った。
あれほど貧しい人だと100ルピーのような高額紙幣を渡されても返って困るのだ。
買い物をしても、店に細かい釣り銭がなければ売ってもらえないか、
あるいは釣り銭をちょろまかされる。
日本円にすればたかだか250円程度なのに、
それだけで彼女のような身分なら1週間は食べて行けるはず。

サダルストリートの両替屋で米ドルを両替し、
さらに100ルピー紙幣を細かくしてくれ、と両替商の親父に言った。
「なぜだ?」
そう訊かれて、昨日会った貧しい母子のことを話した。
外で強烈なスコールが降り出した。
私の話を聞いた親父は10ルピー紙幣を10枚に分けて私に渡してから話しだした。
「…ワシも昔は両替屋を自分で営んでいた。それが交通事故を起こして全て失った。
今はこうして雇われ店長となってる。全ては神の意思のままに、だ。」
と言って、彼は壁にかけてあるモスクの絵に触れ、その手を額に当てて目を閉じた。

雨が止んで、途中の道で粉ミルクを買い、
またインディアン・エアラインへ行った。
彼女は、私を待っていたかのように立っていた…夫と娘と共に。
彼女は夫に私を紹介し、彼は私の手を握って何度も有難うと言ってくれた。
5〜6才ぐらいになる娘も同じくサンキューと微笑んだ。
彼らは粉ミルクのお土産に喜んでくれた。

これくらいのことで彼らを貧困から救ったことにはならないし、
焼け石に水程度のものに違いない。
所詮は自己満足に過ぎないのかもしれない。
両替商の親父の祈る姿が瞼に焼きついて離れなかった。
飢えも貧しさも、全ては神の定めたこと、
その真意を理解することなど人間には出来ないのだと。

運命を神の意思と言い換えるなら、人間はどこまで運命に、神に抗えるのだろうか。
ヒューマニズムは世界を変えられるのだろうか…。

(今日の写真:燈籠 at 極楽商店街/大阪)

050809

scott_street63 at 01:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0) | インド

August 04, 2005

雨の記憶


アサオです。

先日は久しぶりに大雨でした。
バケツをひっくり返したような大雨の中、
後ろにドラムを積んで湾岸線を飛ばしまくり…
目的地に着いてから、よく死ななかったなぁ、と青ざめたり。。。
もう先行車からの水しぶきのすごいこと。
みんな気を付けて走ってるから高速でも100km/h出してなかったんですけど、
それじゃー初めっから追い越し車線走るなって感じです。
こっちはめちゃくちゃ急いでるってのに。

なんとなく一昨年のタイを思いだした。

一昨年のお盆は、タイに行ったはいいものの、
タイ到着後の予定をなんにも立てずに行ってしまったため
6日間なんにもせずに過ごしてた。
昼過ぎに起きて、ルームメイキングとランドリーに掃除・洗濯を言いつけて、
チャオプラヤーに面したカフェで遅いブランチしたり、
人を満載して危なげに揺れる渡し舟をぼーっと眺めてたり。
脳ミソは完全にOFF状態。

その最終日、母が友だち2人を連れてタイに来た。
その2人はタイが初めてだと言うから、熱帯の夜をエキサイトしてもらおうと
アジアホテル内にあるカリプソ・ニューハーフショーに連れて行った。
23:59バンコク発の深夜便だから、終わってから空港に行けばいいや、と。

…予想以上に時間がかかった。

終了して会場を出たら21:30。
外は大雨が降っていた。
混雑する出口を抜けて通りでタクシーをつかまえた。
「ドン・ムアン空港まで。」
「チェックインは何時だい?」
「9時59分。」
車内の時計を見るともう9時45分。
こいつぁおったまげた、とでも言うように運転手は口笛を鳴らした。
すぐにでも発進してくれるのかと思ったら、
タクシーは人で混雑する狭い路地の市場へと入って行った。
…抜け道なのか?
運転手が声を張り上げて何か言っている。
何だろうと見てると女がカゴを持ってタクシーにやってきた。
仏陀に捧げる白い花輪がそこに並んでいた。

雨の降りしきる中、タクシーは高速道路を飛ばした。
ルームミラーに掛けられたジャスミンの花輪が右に左に揺れる。
私は安心して背中をタクシーに預けた。


どんなに急いでても神仏に祈る余裕を残してる。
やっぱりタイって大好きかも。

(今日の写真:あるかいっくすまいる¥0- at バンコク/タイ)

050804

scott_street63 at 12:16|PermalinkComments(2)TrackBack(0) | タイ