October 2005

October 20, 2005

ナトリウムランプが落す黄色い光


寝苦しい夜が続く。
最近なぜだか眠れない。
布団の中で無為に時間を過ごすことにも疲れ、
スッキリしようと一人深夜のドライブとしけ込んだ。

静まり返った街中を行く宛てもなく闇雲に車を駆る。
車窓を過ぎ行く景色がまるで身体の中を通り抜けるように、
走る程に身体の中に籠もる暗雲が晴れていく。
風が身体の中を浄化していくような錯覚に陥る。

何処に行こうか?
今何処に行けば最もスッキリできるだろう?
悩んだ末、湾岸線の湾を見渡すサービスエリアを目指した。
巨大な足のように聳えるジャンクションから坂を上り、
夜空へと駆け上がる。
ナトリウムランプの黄色い照明が右へ左へと蛇行しながら
湾に沿って彼方へと消えていく。
橋の真下の暗い水面に幾つも落ちている黄色い光が
ガンガーに映るガートの灯火を髣髴させた。


朝9時25分きっかりにコルカタ・ハウラー駅を出発した列車は、
11時間走ってムガル・サライに到着した。
バラナシまであと1駅。
しかし列車は動き出す気配をまるで見せず、客たちはホームに降りて
身体を伸ばしたり顔を洗ったりし出した。
まぁいつものことか、とのんびり構えていたが、
どうもホームのアナウンスが騒がしい。
窓から身を乗り出して駅員らしい男に聞いてみた。
 「いつ出発するんだ?」
 「さぁな。バラナシとここの間で事故だ。」
あと1駅まで来てこれか。相変わらずツイてない。
バックパックを担いで列車を降りるとすぐオートリクシャーの運転手が寄って来た。
500ルピーでどうだ?高ぇよ。200だ。などと交渉し、300ルピーで手を打った。

駅前のナイトバザールで賑わう道をオートリクシャーで軽快に走る。
色鮮やかなサリーやパンジャビドレス、道端に座り込む牛、
真面目な面持ちで店番をする子供らの姿が目に飛び込んできては
後方へと過ぎ去っていく。
バザールを抜けて暗くなった所で突然リクシャーは停まった。
なんだかカネを払っている。
 「さっきのはナンだ?」
 「ギャングさ。」
時々ここで通行料を取っていると言う。素直に払えば何も問題は起こらない。
しばらく走ってまた停まった。
 「ちょっとここで待っててくれ。」
運転手はクルマを放っぽらかして走って行った。小用か?と思ってみていると、
暗闇の中にぽつんと浮かぶ小さな店を数人の男たちが囲んでいる中に入った。
近寄って見てみると、タバコのようなものを買って吸っている。
 「お前もヤるか?」
マリファナか何かだった。どっちにしたって煙草の吸えない私には関係がない。
エネルギーを充填した運転手は戻って来て再びアクセルをかけた。

暗い道を行く。
なんだか懐かしい匂いが漂って来る。
子供の頃、石油ストーブの天板にいたずらに爪や髪を乗せた時の匂い。
橋の下を暗い川が流れている。
向こう側の水面に黄色い明かりが幾つも並んで揺らめきながら映っている。
運転手がエンジン音に負けじと大声で私に向かって怒鳴った。
 「これがガンガーだ。」
これが旅の目的地、ガンガーか。
水面を凝視し、その神々しさに感動してみる。
拳を握り、「I got it !」と叫んでみる。
しかしどれも白々しかった。
ラオスで出会ったメコンほどの衝撃が私には感じられなかった。
長く憧れていたガンガーを目の当たりにして、私はようやく悟った。
私の旅はメコンですでに終わっていたのだ、と。


午前2時、サービスエリアに着いた。
海を見ようと2階の展望階に上がろうとしたが、
防犯のため階段は封鎖されていた。
こんな時間に自分は一体何をやっているんだろう?
1階の窓から少し見える暗い海が、なんだか空しかった。

(今日の写真:明暗 at 天保山/大阪)
051020

scott_street63 at 23:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)  | インド

October 15, 2005

地に足を着ける。


アサオです。

今さら見てる人もいないと思うんですが、忙しくしてました。
月末月始のシゴトが立て込んでたのに加えて、
新居探しやら電化製品や家具の購入やら司会役との打ち合わせやら…。
まぁなんというかその……、そーいうワケです。

そんなワケで、旅に出る口実ができました。
来年の1月末〜2月初旬にかけてアルゼンチンへ…!
マルコ!
アメデオ!
宮崎っ!!

ちょっと気になって調べたんですが、
『世界名作劇場』で放送してた『母を訪ねて三千里』(1976.1月〜12月)って、
なにげに宮崎アニメだったんですね。

そんなハナシはともかく。

高校の時から可愛がってもらってた社会科の先生から常日頃、
地に足の着いた生き方をせよと諭されてきた。
私のように、
何処の土地にも属さず、旅(移動)の最中にしか自分の生命活動の意義を
見出せない人間には、それ以上苦に思えることはない。
家庭を持つことで定位置に束縛されることが幸福なのかと問われると、
今の時点ではまだ“そうだ”とは断言できない。


17人乗りの小さなセスナ機でルアンナムターに着いた。
煩雑な用件や仕事に忙殺される日常から脱出し、
観光客も少ない小さな町で静かに過ごしたかった。
掘っ立て小屋のような空港で帰りの便のリコンファームも済ませ、
市内に向かうトゥクトゥクに乗り込む。
私とラオス人の青年との乗り合いとなった。

雨季にも関らずその日の空は抜けるように青く、
日は遮られることなく燦々と降り注いでいた。
トゥクトゥクに揺られ後方へと過ぎ去る光景の中に、
日傘代わりに色とりどりの雨傘を差し、気まぐれに回しながら歩く女たちや、
何頭もの水牛を連れてゆっくりと歩く腰の曲がった老婆、
「ハロー」「サバイディー」と声をかけては追いかけてくる無邪気な子供らの姿が飛び込んでくる。
牧歌的にゆったりと流れる時間に心が洗われるようだった。

 「韓国人?」
乗り合わせたラオス人が英語で尋ねてきた。
 「いや、日本人。」
 「いつまでルアンナムターにいるんだい?」
 「1日だけ。明日のフライトでヴィエンチャンに戻らないといけない。」
 「なんで!?短か過ぎる!」
 「仕事が待ってるからね。日本のホリデイは短いんだ。」
彼はアメリカ人のように大袈裟な身振りで同情してくれた。
 「ところで、南の方には行ったことあるかい?」
 「いや、ない。」
 「いちどチャンパーサックにも来てくれよ。いいトコロだから。」
 「あれ?キミはルアンナムターに住んでるんじゃないの!?」
 「オレはチャンパーサック出身なんだ。ヴィエンチャンでエンジニアをしている。
 今日は出張でここまで来たんだ。」
そうだ。なぜ気付かなかったのだろう。私には非日常でも、彼らにはここが日常の生活の場なのだ。


 私は何故旅をするのだろう?
 もしかすると単純に、ありもしない理想郷を夢見ているだけなんじゃないだろうか?
 地に足を着けるとは現実を直視することだとは思うが、私は単に現実逃避しているだけなんだろうか?
 
 ……旅はしばらくおあずけかなぁ。。。

(今日の写真:突き抜けるほど晴れたある日 at 青海/東京)

051014

scott_street63 at 00:48|PermalinkComments(2)TrackBack(0)  | ラオス