July 2006
July 24, 2006
ナカタとの思い出
人生とは旅である―――英雄を馬鹿にするわけではないが、
今さら誰も口にさえしない使い古された常套句を敢えて語ったのは、
語るに相応しい強さを有しているからだと考えていいのだろうか。
「世界のナカタ」
思えばあの頃の彼はイタリアのセリエAに籍を置いていたのだろうか。
アナウンサーが興奮ぎみに「ナカタ」の名前を連呼していたのを聞いたのは、
アルへシラスのうらさびれたレストランだった。
イベリア半島は大きな台地である。
おおよそ「スペイン」と言われる街々はその台のてっ辺に、
首都マドリーを中心に点在している。
山らしい山の無いその大地では、風が常に吹き荒び、風車を回す。
マドリーから超特急「AVE」で飛ぶように走ること約1時間半、
かつて西のアテネとまで謳われたコルドバで2泊した後、
急行列車でスペイン最南端の街・アルヘシラスを目指した。
列車はしばらく大地を走るものの、後半はひたすら坂を下り続ける。
どこまでも続く下り坂に、誰もが「スペイン」から降りて行くことを実感する。
下ること約2時間、坂を下り切ったところで鉄路も終わる。
終着駅・アルヘシラス、そこはもう「スペイン」ではない。
街の至る所にアラビア文字が溢れ、街を行き交う男たちは肩から足まで
すっぽりと被る“ジュラバ”という服を身に纏っている。
ジブラルタル海峡を挟んで北アフリカのモロッコと対峙する町。
かつてイベリア半島のほぼ全域を制圧したイスラム軍は
この町から上陸したのだろうか。
今はただうら寂しい港町に過ぎない。
中東系のセニョーラが経営するオスタルに3泊分申し込み、夕食に出かけた。
宿から少し歩いた所にある、あまり流行っているようにも見えない
板張りのシーフードレストラン。
テレビが置かれ、ネクタイを締めたアナウンサーがニュースを読み上げていた。
「Ensalada de Hueva」
と書かれたメニューから、ゆで玉子を刻んだサラダだろうと思って注文した。
料理が出されるまで待っていると、他の客がテレビのチャンネルを回した。
サッカーの試合が映された。
スペインの選抜チーム対イタリアのセリエA。
セリエAの選手がドリブルでぐんぐんとスペインチームの陣地に斬り込んでいる。
アナウンサーが興奮ぎみに一人の名前を連呼していた。
「ナカタ!ナカタ○×▲□※…!!ナカタ!ナカタ!」
こんな辺鄙な所まで来てテレビから流された日本人の名前を耳にし、鳥肌が立った。
チャンネルを回した男たちが話しかけてきた。
「ヘイ!ハポネス(日本人)かい?」
「そうです。」
「言っとくがな、スペインのナショナルチームは弱いんだ。レアルマドリードならナカタなんかメじゃないんだぜ。」
こんな地域の住民にまでナカタの名前が憶えられているのは驚きだった。
しかし何よりも驚いたのは、運ばれた料理だった。
卵サラダは卵サラダでも、私のニガテな魚の卵のサラダなのだった。
鶏の卵は「huevo」で男性名詞であり、
魚の卵は「hueva」で女性名詞であると、
持って来ていた辞書を後で調べて分かった。
以来、ナカタの名前を聞くたびにこの日のサラダを思い出す。
語るだにくだらない、私とナカタの思い出。
じゃー語るなよ。
(今日の写真:新聞と老人 at タイ国鉄車内/タイ)