September 2006
September 19, 2006
タイムトラベラー II
三次元に足りないのは時間軸の概念らしい。
幅・奥行き・高さの三次元から構成される空間に時間をプラスすることで
四次元となる。
ならば四次元の世界では時間軸上の移動、すなわちタイムトラベルが
可能なのだろうか…?
久しぶりに訪れたバー「シャヴィ」でグラスを傾けながら、
ふとそんなことを考えた。
客は私ひとり。
静かな店内に、手の平で弄ばれる氷の軽やかな音が響く。
琥珀色の澄んだ液体に、張り詰めた神経も溶けていく。
17年の時を経て私の前に注がれたウィスキー「響」。
彼の17年を噛み締めるようにちびりちびりと胃に流し込む。
これもまたタイムトラベル。
バンビエン発ルアンパバーン行きのバスは白人だけでほぼ埋め尽くされた。
約60人を詰め込んだ超満員のバスだが、眼前に拡がる広大なアスファルト舗装の
大地の上ではほんのひと摘みの人数に過ぎない。
ベトナム戦争時に米軍が使用した飛行場跡。
バンビエンの町はこの飛行場に沿って展開されている。
あの枯葉剤を積んだ飛行機もここから飛び立ったのだろうか。
当時に想いを馳せてみる―――何十台ものプロペラ機の耳をつんざく轟音が
脳裏に響く。
ベトナム戦争がラオスも舞台としていた事実はあまり知られていない。
バンビエンを発ったバスはルアンパバーンまで約8時間、
国道13号線を延々と走る。
山の中を駆け回るなら話は別だが、ルアンパバーンへ通じる道は
この一本しかない。
かつてこの道をほうほうの体でベトミンから逃げたモン族の姿が目に浮かぶ。
ベトナム戦争は、ベトナムからラオスに浸透する共産主義を食い止めるために
アメリカが起こした戦争だった。
敗戦を喫した米軍兵はさっさと本国へ帰還すればしまいだが、
米軍に傭兵として雇われた少数民族・モン族は、戦後、
ベトミンによる凄惨な掃討戦に追われることとなった。
多くの血がこの13号線で流され、
米国への憎悪を抱きながら果てて行ったに違いない。
凹凸の激しい国道に疲弊しながら、夕刻、ルアンパバーンに着いた。
ルアンパバーンの町の中心部には小高い山があり、
その頂上には「ワット・プーシー」と呼ばれる寺がある。
328段の階段を上り、ワット・プーシーからメコンに沈む夕陽を拝む。
その寺の裏に回ると、樹木に隠れるように重機関砲の砲台が今も残っている。
砲台の前は見晴らしが良く、故意にそこだけ樹木を取り除いているように思えた。
これもベトナム戦争の名残なのか。
目を閉じれば重機関砲の凄まじい爆音が聞こえて来る。
何も知らない子供たちは、公園の遊具のように砲台を回して遊んでいる。
9.11から5年。
ハワイの真珠湾を除き本国を狙われたことのない米国民にとって
あのテロによる衝撃は我々の想像をはるかに上回るだろう。
しかし、日本に未だ残るヒロシマ、ナガサキ、オキナワの傷跡は
紛れもなく彼らによって作られた。
韓国と北朝鮮も然り、アフガニスタン、イラクも然り、
過去を遡れば、米国民のテロに対する憎悪以上に、
世界中の憎悪が米国に向けられている。
9.11は起こるべくして起きたものなのかもしれない。
それを事前に察知しておきながら放置していたブッシュ大統領の策略も
酷いものだが。
タイムトラベルは過去を遡るだけではない。
未来に想いを馳せるのもまたタイムトラベル。
歴史を知ることで、未来への理想もより具体的なものとなる。
実現まで一千年かかってもいい。
一年に一歩でもいい。
より理想的な未来へと続く旅路を歩みたい。
……とりあえず、ブッシュ大統領、イッとく?
あ、ミャンマーの写真アップしました。
よければHPから見たってください。
(今日の写真:宙(そら)を想う at なんばパークス/大阪)