December 2006
December 24, 2006
【Erehwon】=理想郷
メリーアサオです。
イブだというのに教会にも行かず、私は事務所にサービス出勤です。
ちなみに奥方はバイト。
こんな年末に休んでられまっせん!
というか、正直最近ぜんぜん余裕ありません。
とにかく自分と向き合う時間がない。
世渡り下手なのが災いしていろいろ背負い込んでしまい、
パンクしかかってるところを救ってくれたのは何を隠そう奥方でした。
結婚してよかったなぁ〜なんてのろけつつ、
彼女自身もまた私の重圧になってたのはここだけのヒミツということで…。
(けっして体重のハナシでは……ゴホッ、ゴホッ)
いえ、私が勝手に背負い込んでただけなんですけどね。
そんなわけで、今月は月イチUPすらままならないので、
過去の日記ツールで掲載した文章でご容赦をば。。。
それにしても、ほとんど誰も来ないこのブログを更新しないと…
と思う気持ちは何なんでしょ。
そもそもHPやブログで日記を公開する意味は?
これまで旅について書いてきたけど、webというものも旅に似ている。
webとは空間である。
仮想とは言え、webページを所有する者には空間が与えられている。
そして仮想だからこそ、webは居心地の良い逃げ場所ともなる。
仮想の世界なら自分が何者であろうと構わない。
名前も職業も国籍も家族をも捨て、何者でもない自己、純粋な自身となり得る。
旅も同じだ。
日本を出て一人になってしまえば、余程のことがない限り、
誰も私の正体など知りはしない。
誰も私が何者なのかと追及もしない。
そこにいるのは誰でもない、ただの“私”だけ。
webを仮想の空間と呼ぶなら、旅は仮想の時間かもしれない。
私はなぜ旅に出るのか?
私が求めているのは、何者でもない、何にも囚われることのない、
純粋な“私”となれる場所。
此処ではない何処か。
それは理想郷と呼ばれ得るものなのかもしれない。
かつて理想郷をエレフォンと呼んだ人がいる。
【Erehwon】逆に返せば【Nowhere】。
すなわち「何処にも無い」。
しかし、私はその何処にも無い理想郷を見付けてしまった気がする。
何処にも無いそれは、何処でもない場所にある。
此処でもない、其処でもない。
むしろ此処と其処の間。
移動の最中にこそ私が真に“私”となれる気がする。
ルアンパバーンからウドムサイを目指し、ソンテウに乗った。
荷台の両端に簡素なベンチを設置し、幌を被せた乗合いトラック。
人と物を満載したところで、小雨の降る中、山道に向けて出発した。
ラオスは山の中にある国だ。
とりわけヴィエンチャンより北は、隣接する中国・雲南省に向けて
標高を上げながらひたすら山が続く。
トンネルなんて洒落たものはない。
ただひたすら山を上り、下ってはまた上りながら進む。
途中車外に目を向けると、山々の頂が眼下に拡がっている。
もちろんガードレールなんてものも無い。
舗装されている筈の道路はぬかるんで沼と化し、また長雨による山崩れで塞がれ、
七難八苦を乗り越えながらソンテウは前へと進む。
私の向かい側にアカ族の親子がいた。
銀色の兜を被り、独特な民族衣装に身を纏った母親と子供2人。
その子らが私の顔を凝視していた。
「○X△◇……」
私に何か話しかけて来たが、何を言ってるのか分からない。
隣のおばさんが訳してくれた。
「……ティナイ?」
ティナイ(何処)という言葉しか解らなかったが、
この状況から何処から来たのかと聞きたいのだろうと判断し、
ジープン(日本)だと答えると、車内がどよめいた。
皆、好奇の目を私に集めた。
アカの子供たちは初めて見た日本人にやや興奮気味でさえある。
皆めいめいに「おい、ジープン」「ヘイ、ジープン」と声を掛けて来たが
何を言っているのか解るはずもない。
知っているタイ語を並べてラオ語は解らないと答えると、皆が笑った。
彼らにとっては日本人の方が明らかに少数民族なのだった。
途中の緩やかな下り道で車が止まった。
道端で何やら売っている。
運転手も客も、皆わらわらとそこへ群がって行く。
戻ってきた人々の手にはヘチマのような野菜があった。
車は再発進し、車内の人々はナイフを取り出して食べ始めた。
「それ何?」
隣りのおばさんに聞いてみた。
「マックァ。」
と答えて、竹割りに切ったマックァを私にくれた。
かぶりつくと、甘いキュウリだった。
「セアップ!(旨い)」
と言うと、また皆に笑われた。けっして嫌な気分ではなかった。
暫く走り、再び車が停まった。
途中の民家から男性が追いかけて来て荷台に飛び乗った。
「○×△◎!」
奥の方からその男に声が飛んだ。
見るとズボンのチャックが全開に開いている。
全員が大きな声で笑った。私も笑っていた。
景色が過ぎ行く毎に、私の中を風が抜けて行く。
私を定義付ける鎖が解け、足枷も外れていく感覚。
翼が生え、何処にでも飛んで行けるような錯覚。
この時、私は“私”だった。
現実逃避だなんて分かってるけど、たまのことなんだからいいじゃない。
(今日の写真:天高く馬肥ゆる… at 神戸市役所前の公園)