January 2007

January 29, 2007

Stray Sheep


孔子は齢五十にして天命を知ったと言う。
論語を学習した高校時代はその遅さに驚いたものだったが、
新年を迎え今年で33歳になろうとしている自分自身を省みると、
やはり孔子はスゲェと思わずにいられない。
五十まであと17年。
五十どころか死ぬまでに天命を知り得る自信がない。

全人口約1億5千万人のこの日本で、
一体どれだけの人間が,己を知っていると言えるだろうか。
この世に生まれて来た理由、自身の存在意義、そこまで大袈裟でなくてもいい、
自分が何をしたいのか、本当に理解している人間はごく僅かに違いない。

人は希望だけで生きていけるものではない。
諦観や妥協は世を生きる上で生まれた知恵と言えよう。
環境や状況が希望の芽を摘み続け、いつしか望むこと、あるいは考える習慣すら
失ってしまう。
そういう意味において、妻は己を熟知している。
私は、何がしたいのだろうか。

ユダヤ人の荒野彷徨に想いを馳せる。
モーゼに率いられたユダヤ人たちはエジプトを脱出し、
荒野を約40年間さ迷った後、ようやく約束の地・カナンに辿り着く。
しかしエジプトからカナンまでの距離は、実はそれ程遠いものではない。
徒歩であっても、長く見積もって2週間もかからない程度の距離に過ぎない。
彼らの意志の弱さ、愚かさが何度も道を迷わせ、誤らせたのだった。
その様はまさしく飼い主を失った迷える羊。
夏目漱石はその著『三四郎』でストレイシープ(迷羊)と何度も書いた。
我々もまたストレイシープ。
道を求めて旅を続ける。

正月は妻と二人でスペインへ渡り、ミハス(Mijas)で数日を過ごした。
太陽海岸を望む白壁の小さな村。
老人が多く、過疎が進んでいるのか村の中では売家が目立った。
村の収入源は9割方観光に依存しているようだが、その割に宿泊施設は乏しく、
ホテルと呼ばれるものは1軒しかない。
あとはオスタルと呼ばれる民宿だけ。
それもそのはず、村を訪れる観光客のほとんどはオプショナルツアーか
エクスカージョンでちょろっと寄り道するぐらいでしかない。
ミハスと言えばキャノンのデジカメ「IXY」のCMで撮影された場所でもあるが、
テレビで放映された美しい坂道から一歩離れると、
着飾っていない日常を垣間見ることが出来る。

村ですれ違う住民はほとんどが老人である。
現役を引退し、もはや何もすることがないのか、
家に居場所のない老人が朝からバル(Bar)で酒をひっかけては
スロットマシーンに興じている。
私と妻の行きつけのバルはまさにそんな老人の溜まり場であった。
そのバルを経営するのもまた年老いた老夫婦。
セニョーラ(奥さん)が朝の掃除を終える時間を見計らって
いつもの面子が集まってくる。
何も話さずただエスプレッソを飲んですぐに出て行く老人、
何も言わなくても「いつもの」が出される老人、
スロットを回す老人、話好きな老人。
店の主人などは手酌でワインを注いではタバコを吸い、
セニョーラが掃除した床に灰を落とす。
彼女はそれを見て怒るわけでもない。
何もかもがルーティンな毎日。
彼らはどう考えているのだろうか。
彼らは幸福なのだろうか。

朝、妻と二人でバルのカウンターに並んで座った。
彼女はカフェ・コルタード(ミルク入りエスプレッソ)とサンドウィッチ、
私はカフェ・コン・レチェ(エスプレッソ:牛乳=1:2)とタパス(小皿料理)
を注文した。
タパスは、ショーウィンドウにバットに盛られて並ぶ6品から選ぶ。
 「このポテトのと、このトマトソースと鶏肉の。」
と指差すと、
 「こっちは"Patata de Pobre"(貧乏人のポテト)、こっちは"Pollo de Sangre"(血の鶏)って言うのよ。」
とにこやかに説明してくれた。
その2品を小皿に盛り、バゲットを料理の上に乗せて出来上がり。
どれも美味であった。

スペインはまたコーヒーが美味い国でもある。
スターバックスなどアメリカ資本の優等生では真似できない、
クリアではなく、ヨーロッパ独特の濁ったエスプレッソと乳脂肪分の高い牛乳。
悪く言えば泥臭い、言い換えるなら濃厚な薫りに、
欧州の長く深い歴史を覚えずにはいられない。

スペインのコーヒーと言えば基本的にエスプレッソ。
エスプレッソに砂糖を山盛り入れて掻き混ぜないのが“通”の飲み方だと
何処かで聞いた。
苦くてたまらない黒い液体が、やがて甘味を帯び、
最後には甘ったるくて堪らなくなるその変化が人生と似ていると言う。
イタリア人だったかもしれない。

そう考えれば成る程とも思えて来る。
つまりバルに毎日集うあの老人らは、
いま人生の最も甘い部分を堪能しているというわけだ。

ならばこうも言えるだろう、
やがて誰の上にも訪れる死は、人生という名のフルコースにおけるデザートなのだと。
焦ることはない。
生き急ぐことも、ましてや若くして早々と絶望することもない。
甘いデザートが運ばれて来るまで大いに迷えばいいのだ。

甘く麗しい死よ来れ。


(今日の写真:陽が昇る側の出口 at ミハス/スペイン)
070129

scott_street63 at 20:47|PermalinkComments(2)TrackBack(0)  | スペイン