February 2007

February 28, 2007

Capitalism


神戸の舞台芸術を主とした批評紙「Splitterecho」のブログ版
「しゅぷりったあえこおnano」の11月16日の記事にいたく感銘を受けた。

たび重なる児童の自殺を「こどもたちの自爆テロ」と表現した文章は、
的確に社会を刺していると思う。
大人、あるいは政治家が造り出した社会の歪みを身をもって指摘する悲報の数々。
今もどこかで敢行されているかもしれない児童による自爆テロ。
いじめる・いじめないの問題ではなく、
社会あるいは大人たちの歪みに要因があるのではないか。
親は子の鑑となるべきだが、子は親の<鏡>でもある。
モラルの欠如した大人を見、子供はそれを模倣する。
競争社会に生きる親を見、教室で優劣を競う。
資本主義による競争社会は小泉政権の改革によって激化し、
その歪みが次代を担う子供たちに現れる。
ソ連の崩壊により共産主義は敗北したが、
資本主義に代わる経済体制を創造する必要があるのではないか。

ある子供の目が私の脳裏から消えない。

ルアンナムターから2〜3km離れた所にランテン族の集落がある。
少数民族と言えば独特な民族衣装を容易に連想するが、
普段から民族衣装を身に纏っている人はそう多くない。
ルアンナムター周辺のアカ族の集落では、独特な“すず”の兜どころか、
短パンにタンクトップ姿の男が軒先で煙草をふかしている程度であった。
しかしランテン族の集落に入ると、大人から子供まで皆、
伝統的な藍染めの民族衣装に身を包んでいた。

真夏の最も暑い盛りに自転車で集落の中を走っていると、
池で水遊びに興じている子供たちが、
 「サバイディ〜(こんにちは)」
 「カモーン、カモーン。」
と手を小招いてくるから近寄ってみると、首からぶら下げた私のカメラと
自分とを交互に指差し、
 「フォト、1ダラー」
と商売を始めた。
1ドルくれたら私の写真を撮ってもいいわよ、と言うのだ。
 「ノーサンキュー」
と断ると、今度は目を指差し、
 「ユールック、ハーパンキップ」
私を見たでしょ、はい5,000キップ(=0.5ドル)、などと言い出す始末。
彼らは観光客の需要を満たすべく民族衣装を着ているに過ぎない。

現実を目の当たりにして愕然とする私の前を、
猛スピードで砂埃を巻き上げながら1台のオートバイが走り過ぎた。
ヒップホップな帽子を被り、キュートなアップリケを貼り付けた洒落たジーンズに
流行の厚底ブーツで全身をキメた女の子が、妹か友達かと2ケツして
集落の奥の方へと消えて行った。
親が都市部か外国に出稼ぎに出ているのだろう。
同じ集落にあって、貧富の差が明らさまに見せ付けられる。
子供たちが必死に1ダラーとせがむのも当然と得心する。

集落から出る際に、一軒の家の庭で喋っている姉妹に
写真を撮らせてくれと頼んだ。
やはり1ダラーと言われたが、素直に支払った。
 「ヌン、ソン、サン!(1、2、3!)」
と写真を撮って、彼女らの姿を液晶モニターで見せてあげる。
笑顔で喜ぶ彼らを見て私も喜んだのも束の間、困った事態に陥った。
いちばん上の姉がしどろもどろに英語と標準ラオ語とを混ぜて私に言った。
 「この写真をください。」
見せることは出来ても手にすることの出来ない写真に何の意味があろうか。
私は本当に申し訳なく、渡すことは出来ないと伝えた。
その時の彼女の哀しげな目を、私は一時たりとも忘れたことがない。
彼女らを喜ばせるどころか、私は、身をもって彼女らに
貧富の差を見せ付けたに過ぎないのだ。

きょうフェニックスツアーにて盆休みの航空券を申し込んだ。
彼女らに写真を届けに行こうと思う。

(今日の写真:ランテン族の姉妹+弟 at ルアンナムター近郊/ラオス)
070228

scott_street63 at 23:12|PermalinkComments(6)TrackBack(0) | ラオス