May 2007

May 15, 2007

Internationalize.


普段あまりテレビを観ない私からすれば、実に久しぶりに杉浦太陽を見た。
別にここで婚前妊娠の是非を問うつもりはないけれど、私の極めて個人的かつ無責任な認識としては、いわゆるオメデタ婚は理想的だとさえ思う。
たとえ一時的なものだとしても、それが情熱あるいは本能の結果なのだとすれば、
オメデタ婚は極めて自然の流れに沿っていると言える。
結婚したが為に周囲からの圧力に負けて子作りに励むよりは遙かにマシだ。

それはともかく、私がこの杉浦太陽を最後に見たのは2年前、2005年に開催された「愛・地球博」、いわゆる愛知万博のリポーターとしての姿だった。
開催期間中の毎週金曜、30分だけの番組の中で彼が任された仕事は、海外から来た客をつかまえて出身国を尋ねる、というもの。
いくつかヒントをもらい、最終的に「ホエア・アー・ユー・フロム?」と質問するその企画に、以前の日記ツールで散々な事を書いた。
幾つかのヒントから出身国がブラジルであったりロシアであったりフランスであったり、とにかく英語を母国語とする国からの客でないことは明白だというのに、なお英語で質問するという行為に、日本はなんとイナカな国なんだろうかと嘆いたのだった。

外国人=英語という日本人の英語コンプレックス。
某英会話学校のテレビCMで金城武が言っていた通り、たしかに英語が話せれば世界の1億人と話せるかもしれない。
しかし言語は飽くまでも意思疎通を容易にするためのツールでしかない。
すなわち英語の能力は必ずしも国際化に直結しない。

欧州を地図で見てみると、実に大小様々な国々がひしめき合っているのが見て取れる。
にも関わらず彼らはそれぞれ独自の国語を維持している。
確かに都市部や若い人の間では英語は通じるらしいものの、地方や年輩の人々に英語は通じない。
それは彼らにとって英語とは単にイギリスという国の言葉という認識しかないと同時に、彼らはまた自分たちの言語に誇りを持っているからとも言える。
フランスで英語で道を尋ねたら仏語で返されたという話は実に有名だ。
言語によるアイデンティティを維持することで自国を誇る。
彼らは英語なんか話せなくても実に堂々としている。
外国からの旅行者に対して彼らの言語で捲し立てる光景も全く珍しくない。
対して我々ニッポン人は、世間では「英語は話せてトーゼン。」などと言われつつ、実際には未だに外国人から話し掛けられることを極端に恐れている。
我々ニッポン人は自国を誇れるだろうか?


私が大学4年の卒業旅行と称して行ったスペインツアーの最終日、私たち一行はバルセロナ空港でチェックインカウンターが開くのを待っていた。
皆は一箇所にかたまって旅の話に花を咲かせていたものの、私だけは皆から離れ、自動販売機でカプチーノを買ってベンチに座っていた。
長いベンチの反対側には白髪の、腰の曲がった白人の老女が私の方を見ていた。
彼女はおもむろに腰を上げると、杖をつきながら私のところに来た。
 「¿Que es ○X◆△.....?」
高齢のためかボソボソと力弱く話すので何を言っているのか解らなかったけれども、カップを指差していることから、これが何かと聞きたいのだろうことは判った。
 「カプチーノ。」
と答えると、彼女はまだ湯気のたつ泡にまみれたカップの中を覗き込み、手で鼻の方へ煽いでその香りを味わった後、また聞いた。
 「¿Donde ◆○X□......?」
やはり彼女の言う言葉は理解出来ない。
聴き取れないというよりも、まるで知らない言葉を話しているようにも思える。
何処から来たのか尋ねられているのかと思って、ハポン(日本)と答えると、がぶりを振って「No!」と言う。
もしかすると彼女は私の知らないカタルーニャ語(バルセロナ地方の方言)を話しているのかと思い、
 「カタルーニャ語は分からないんだ。」
と話すと、また「No!」と言われた。
もう無視して離れようかと諦めかけていると、彼女は私のカップと後方や遠方を交互に指差し、ようやくこのカプチーノをどこで買ったのかを訊ねてるのだと理解した。
私は彼女をすぐそばの自動販売機まで連れて行ったが、彼女は一向にお金を出そうとしない。
なにか困惑した表情で私を見つめた。
 「¿Como.....?」
なるほど、彼女は自動販売機での買い方が分からないのだと察し、カプチーノのボタンを指差し、80ペセタとデジタル表示された金額を出してこの穴に入れるんだと手振りで説明した。
彼女はゆっくり50ペセタ硬貨、10ペセタ硬貨と順に入れていったが、あと10ペセタになって機械は彼女のお金を吐き出した。
何度入れても吐き出してしまう。
彼女は驚きと焦燥を顔に浮かべて私を見つめ、無言で助けを求めた。
吐き出されたコインを見ると、5ペセタ硬貨なのだった。
彼女の財布にはあと5ペセタ硬貨2枚しかない。
そこで私はカンビオ(両替)しようと言って、彼女の5ペセタ2枚を取り、私の財布から10ペセタ硬貨を出して彼女の手の平に乗せた。
そして彼女がその硬貨を自動販売機に入れると、今度は吐き出されることもなく、
間もなくカップが落ちて液体を注入する作動音が聞こえた。
出てきたカプチーノを手に取った彼女の満面の笑顔と言ったらまるであどけない子供のようで、私は私で、理解し合えたことが何よりも嬉しく、二人して笑顔で喜びを分かち合った。
コトバが通じなくても、キモチを通わせればいつか必ず解り合える。
言葉は違えど中身はおんなじ人間なのだ。


国際化とはどの国とも公平な立場で手を取り合うこと。
そのためには互いの国の誇り=言語を尊重し合うことが不可欠。
にもかかわらずニッポン人は自国を誇れないだなんて、恥ずかしい限りだ。
英語を無意味に怖れるな。
英語を話せない自分を恥じる前に、自国について何も語れない自身を恥じよ。


ぶっちゃけ、日本で英語を話すガイジンが間違えてるんです。
なんて悟った私は、こー見えて外国語大学卒です。

(今日のしゃしん:そら色の船 at 日高/和歌山)
070516

scott_street63 at 00:48|PermalinkComments(8)TrackBack(0)  | スペイン