June 2007

June 11, 2007

地図とロマン


世界地図を眺めているだけで、1日は容易く過ぎてしまうに違いない。

先日、日本を代表する某大手船会社の営業担当者が私を訪ねて来社した。
私が勤めるような零細企業では利用する機会が年に2〜3回しかないのだが、
それでも彼はたまに私を訪ねては、小一時間ほど旅の話をして帰る。
ダイビング好きの彼がマレーシアのビーチについて熱く語っていたところ、
正確な場所を示そうと、アジアの地図を両面に描いた下敷きを鞄から取り出した。
片面は日本を含む東アジアから東南アジアまでを縦に、
裏面にはインド洋を囲む中央〜西アジアを横に描いたもので、
隅に彼の会社のロゴが印刷されている。
私が感激して「すごくイイ下敷きじゃないですか!」と言ったところ、
「こんなもので良ければ…」と、その下敷きを私にくれた。
なんだか申し訳ない気持ちになったものの、本心ではかなり嬉しかった。

思えばもう10年近く貿易の仕事に携わっている。
大学4年のころは葬儀屋にあこがれて冠婚葬祭の企業ばかりを回ったものの、
まさかの留年でご破算に。
5年目のときにはアナウンサーや食酢メーカーを受けたものの、
滑り止めのつもりで受けた海運業者からしか内定をもらえず、
しぶしぶ貿易に足を突っ込んだのだった。

社会人1年目の春、私は航空貨物を扱う部門に配属された。
ある日リスボンに送る貨物について先輩社員に教えを請うたところ、
彼はヨーロッパの地図の1点を指差して言った。
 「いっぺんでええからこの国に行ってみるのが夢なんや。」
指の先にあるのは、スペインとフランスを分かつピレネー山脈。
目を凝らすと、その山脈の真ん中に“アンドラ”という名が記されている。
初めて聞いた国名だった。
遠い国だけにアンドラへ行くには長期の休暇が必要になる。
いつか結婚したら新婚旅行で行ってみたい、と先輩は言った。
彼はおそらく業務的に地図に目を走らせながら、この小国に何度も想いを馳せていたに違いない。
この日から彼の夢は私の夢となった。


スペインツアーに参加した卒業旅行から4年後、
私と彼女は再びスペインに降り立った。
彼女も私も会社を辞め、つかの間の休息期間を今度はバックパッカーとして
スペイン周遊に費やすことにした。
街に着く毎に宿探しから始まる行き当たりばったりな旅。
私にとって、おそらく彼女にとっても“デビュー”の旅だった。

バルセロナから長距離バスに乗って北方を目指す。
都市部を後にして郊外に出ると、道路の両脇は何もない荒地が続いた。
遥か前方には5月だというのに雪で白く覆われたピレネーが構えている。
あの向こうに聞いたこともない小国がある。
昂ぶる気持ちと裏腹に、過ぎ去る景色に寂寥感を覚えるのか、
バスが進むほどに冷静になっていく自分に気付く。

人は何故旅に出るのだろうか。
東京での勤務を辞め3年間に渡る遠距離恋愛に終止符を打つべく帰阪した私と、
この旅の後にオーストラリアへ1年間のワーキングホリデーに出る彼女。
二人の関係は更なる遠距離恋愛に耐えるだけの価値があるのか。
そんな試練の意味を込めて、我々はこの旅に出た。
そのためにも二人で出来る限り遠くに行きたかった。
聞いたこともない国―――地理的な距離ではなく、意識的な距離として
アンドラ公国は当時の我々には非常に遠い土地だった。

木々に挟まれた山道を走ること約1時間、バスは国境を越えた。
国境と言ってもEU加盟国なのでパスポートチェック等はない。
ただ国境警備隊の見守るなか、高速道路の料金所のようなゲートをくぐるだけだ。
意外にあっけなくアンドラ公国に入国した。
やがて山道を抜け、のどかな田園風景が広がった。
畑の真ん中にぽつんと立つ一軒の小屋のような家を見つけては、
彼らの牧歌的な暮らしやドラマを想像してみる。
野を越え、川を越えてバスは走る。
終点である首都=アンドラ・ラ・ベリャまではまだ暫くかかった。

やがてバスターミナルに到着し、濡れたアスファルトの地面に降り立った。
寒い。
目の前に雪をかぶった山の斜面が聳え立つ。
濃厚な酸素に、真に美味しい空気は甘く感じるものだと知る。
市民の平和で牧歌的な生活を期待していたものの、街に出て驚いた。
バスターミナルから目抜き通りに踊り出ると、其処此処に貼り出された
「TAX FREE」の赤い札が否が応でも目に飛び込んできた。
目抜き通りに沿って電化製品から高級腕時計、貴金属などの店が
所狭しと並んでいる。
ホンコンやシンガポールと同じく交通の要衝たるアンドラは、
国内で販売される全ての商品を免税にすることで外貨を稼いでいるのだった。
私の勝手な期待と想像は儚く崩れ、結果はどうであれ、かくしてまた一つ
私の心の中の世界地図にレ点をチェックするに至った。

格別に美しいわけでもなく、格別に何かがあるわけでもない小国。

今日の記事を書くに際し、参考にしようと妻にアンドラ公国の思い出を
訊ねてみた。
 「あんまり憶えてない。」
真実はいつもどこか淋しいものだ。

ちなみに先述の先輩社員は未だ結婚されておらず、その夢は夢のまま今も大切に保存されているらしい。

(きょうの写真:お盆の旅の地図。ラオスから中国・雲南省に抜けます。)

  <皆さまのために補足>
   アンドラ公国は本当に自然ゆたかな国です。
   私らは何も調べずに無計画に行ったので知りませんでしたが、
  アンドラではスキーやカヌー、またハイキングなどのアクティビティで
  大自然を満喫できるそうです。
   興味のある方はゼヒいちど!!
070524

scott_street63 at 00:21|PermalinkComments(2)TrackBack(0) | アンドラ