July 2007

July 15, 2007

夢の住人


妻が6ヶ月に渡る語学留学のために韓国へ渡航した。
彼女は新天地での新しい生活を満喫しているらしい。
残された私には従来どおりの日常が続いている。
妻不在の不便はあるものの、その他は何も変わらない。

先日、母の高校時代の友人が亡くなった。
胆のう癌だった。
母の云う処に依ると、彼女は昔から人一倍辛抱強い人だったらしく、
病院で診察を受けた時には既に余命3ヶ月を言い渡される程の
末期症状だったらしい。
しかし彼女は抗がん剤治療を受けず、癌と共存する道を選び、
一年間生き延びた。
母は彼女とつい先週にも会い、一緒に茶を飲んだところだった。
 「痛くないの?」
と訊いたところ、
 「痛いけど、言っても始まらないから。」
と笑顔で答えたと言う。
もちろんモルヒネも打っていない。

彼女の夫は家事が何も出来ない人だった。
彼女が入院している間は常に家政婦を雇っていた。
夫は彼女が一時退院する度に、死なないでくれと泣いてすがったという。
二人の間には長男と長女がいた。
長女は既に結婚して家を出たが、長男は40近くなってニートだ。
彼女が死んだ今も、残された彼らには変わらぬ日常が続いている。

旅立つ者と残される者―――。

死を新たな旅立ちと考えるのは、ロマンチック過剰だろうか。
しかし時に私は思う。
華やかで色鮮やかな現世こそ夢であり、
死後にこそ真実の世界が在るのではないかと。

大学時代、夜の道頓堀を舞台に拙い小説のようなものを書いた。
結婚10年目にして新興宗教にハマった妻から三下り半を突きつけられた
真面目なサラリーマンと、弟にベタ惚れする花形ヌードダンサーの物語。
夜に華やかなネオンを映す道頓堀川が、朝になると汚いドブ川でしかない
その様が、当時の私には世の全てを物語ってるかの様に思えたのだった。

バンコクの夜の華やかさは道頓堀など足元にも及ばない。
バカンスやビジネスで滞在する外国人が我を忘れて夢を見る。

どんないきさつがあったのか、私はベトナム人の顧客2人とホーチミン大卒の
駐在員、そして何故かその従姉妹の4人と共に夜のバンコクを練り歩いた。
光とモノの溢れるバンコクに彼らは大喜びし、気が狂ったように
ショッピングを楽しんだ。
アラブ人街として名を馳せるソイ7のホテルのラウンジで飲んでいると、
ステージで歌っていた女性歌手から突然指名され、私はステージに上がって
スポットライトを浴びながら彼女と一緒に踊るハメに陥った。
酒の力も手伝って、私は腰をくねらせ尻を振りながら馬鹿みたいに笑った。
アジアホテルに場所を移し、地下で繰り広げられるニューハーフショーを
観に行った。
本当に女性にしか見えない彼らの美しくスマートなショーで何故か再び
私が指名され、ミラーボールから反射する色とりどりの光の吹雪の中で
また踊り狂った。
最後はパッポンのセクシーショーへ。
ステージ上では全裸の女性が次から次へと躍り出て、
股間に筒を差し込み、吹き矢の要領で風船を割ったりした。
もはやエロを通り越して奇人変人ショーにしか見えなかったが、
自分の舞台を終えたダンサーは裏から客席にやって来て、
目をつけた欧米人と少し話した後、二人で店の外へと消えていった。
ステージ上でポールダンスを披露する彼女らも、踊りながら客席を窺い
今夜の金ヅルを捜しているのに違いない。

死んで世界が終わるなら、人生は楽しんだ者勝ちだ。
同じアホなら踊らにゃソンというものだ。
しかし果たして死んで世界は終わるのだろうか。
魂の旅路が死後も続くのかもしれない。
閻魔様よろしく、死後には裁きの時が待っているのかもしれない。
三途の川への旅路は遠いのか近いのか。
幾ら考えたって始まらない。
死という名の新しい夜明けを待ち望め。

ところで、セクシーショーを出たところでベトナムの東大=ホーチミン大学卒
の駐在員(♀)に訊いてみた。
 「女性から見て、あーいうのってどうなの?」
彼女は答えた。
 「我々は共産主義国家なので、また国民の大半が農家なのであの様な娯楽を持ちません。何よりもまだ国自体が貧しいため……(以下略)」
そんな回答を期待したわけじゃないんだけど。。。

小難しく考えるよりも、やっぱり楽しんだ方がいいのかも。


(今日の写真:南大門市場にて at ソウル/韓国
       mixiでも載せたけど、ちょっと気に入ったかも、この写真。)
070715

scott_street63 at 05:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0)  | タイ