August 2007

August 31, 2007

がつん旅


生きる為に働くのか、働く為に生きているのか―――
既定の盆休みに先駆けて有給休暇を取った8月10日(金)、ルアンパバーンへ向かうトランジットの待ち時間は会社や取引先への国際電話に明け暮れた。

歩を止めた時点で旅は終わる。
夜行便で大阪〜バンコク〜ルアンパバーンへ1日の内に飛び、翌早朝にはすぐルアンナムターへバスで移動。
ルアンナムターで2泊した後、今度は中国雲南省の南部・西双版納に入って景洪(ジンホン)からバンコクへ飛ぶ。
7日間しかないニッポンのサラリーマンの休暇を生き急ぐように移動し続けた。

ルアンパバーンから途中ウドムサイでの昼食休憩も入れて計8時間バスに揺られ、ルアンナムターに着いたらもう夕方の5時を回っていた。
ルアンナムターは相変わらず寂しい町だった。
必要以上にやたら広い道。
数が少ない上に道を照らし切れない暗い街灯。
夕刻になると町の中央のスピーカーからぼそぼそと響く意味不明のアナウンス。
寝不足や移動に次ぐ移動で疲労する所為か、この町に来ると必ず鬱な気分に陥る。
孤独と疲労に堪えかねて、こんな旅に出るんじゃなかったと、夜、小汚いゲストハウスの一室で泣きそうになったりする。
なのにまた来てしまったルアンナムター。
実は自分はマゾなんじゃないかなどと本気で考え込んだこともあったが、
そんな心配を杞憂に終わらせてくれる言葉があった。

―――がつん旅。

ひそかにほぼ毎日チェックしてるツマリョコ!ブログ(本サイト名:妻は旅行がお好き。)のえびさんのお言葉。
がつん旅とは、まったりじゃない旅。
ソウル=魂をがつんと揺さぶってくれるような、否、むしろがつんとぶん殴ってくれるような衝撃を与えてくれる旅。
体力的・精神的にきつければきついほど旅度がアップする、そんな旅。
私は知らずそんな衝撃に飢えていたのかもしれない。

翌朝、レンタサイクルで以前訪れたランテン族の集落へ向かった。
3年前に撮った姉妹の写真を手渡すために、わざわざ2L判に印刷した上ラミネート加工まで施したのだ。
喜んでくれるだろうか?
歓迎してご馳走なんかしてくれたりして…なんて淡い期待を抱きつつペダルを漕いだ。

しかしランテン族の集落に入って驚いた。
集落の約半分が消えていた。
3年前には小川を挟んだ向こう側にも集落が続いていたのに、山が崩れて飲み込まれた様な形跡が伺えた。
今年の5月にタイ・ラオス・ミャンマーの国境付近でM6.3ほどの地震があったと聞いて心配していたのだが、その被害なのだろうか。

幸い写真を撮った姉妹の家は健在だったので訪ねてみたら、
庭先でお婆さんが一人、せっせと藁を編んでいた。
サバイディー(こんにちは)と挨拶して庭に入り、この子たち知らない?と写真を見せて聞くと、緩慢な動きでジェスチャーを交ぜながらモソモソと小声で話してくれた。
どうやら向こうの山へ柴刈りに行ってるらしい。
じゃまた後で寄ります、と言っていったんその場を離れ、小1時間ほど散策してまた訪問すると、ちょうど姉妹が帰って来た。
二人はまだ子供だと言うのに大量の枝葉を集めた布を頭から提げ、汗を流しながら家へ入って行った。
私が再び庭の外から挨拶して写真を渡しに入ると、ほんの少しだけ笑顔を見せて「コプチャイ(ありがとう)」と言ってくれた。
疲れていたのだろうか。
あまり喜ばれなかったのか、あるいは半ば呆れていたんじゃないだろうか。
彼女らがどれだけ働こうとも、彼女らは1度たりとも日本に来ることはないだろう。
にも関わらずこの男は2度も顔を見せやがって……というのは考え過ぎかもしれないけど。

恐らく彼女らは学校に行くこともなく大人になるのだろう。
貧乏人の子沢山とはよく聞く言葉だが、それは何故なら貧しい地域では
子供イコール労働力だからなのだ。
しかしそもそも、彼女らには「働いている」という実感があるだろうか?
重い荷物を持って遠い距離を歩きながら、時給の計算をすることはまず無い。
彼女らにとってその労働は、即ち生きることなのだ。
生きる為の労働だとか、労働の為の生などでは無く、「生きる=働く」なのに違いない。
彼女らの汗にガツンと魂を揺さぶられた。
日本に帰ったら、彼女らに恥ずかしくないぐらい真面目に働こう。
固く心にそう誓った。


そんなわけで来週は大連へ出張してきます。
もちろんおシゴトです。
頑張ります。


(今日の写真:ド迫力バス旅 at 磨憨〜モンラー間/中国雲南省)

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scott_street63 at 23:17|PermalinkComments(6)  | ラオス