February 2008

February 29, 2008

One-way Trip.



バンコクで帰りの航空券を捨てた時の爽快感を今もよく思い出す。
いつ帰国するのかは自分次第。
自由を手にした瞬間だった。

もしも人生に後戻りが許されるなら、
自分は今、何処で、何をしているだろうか。

法善寺横丁にある小さなバー「タロー」にて、
父がキープで置いてあるサントリー・ロイヤルを兄と2人で飲みながら、
家で飲むよりも外で飲む酒が美味いのは何故かという話になった。
マスターは言った。
適度な緊張感こそ酒を美味しくするエッセンスなのだと。

己の生命は誰の為にあるのだろうか。
己の人生は誰の為にあるのか。
己の為とする回答は余りに独善的で傲慢極まりない。
そんな人生はマスターペーションに変わりない。
与えられた自由を履き違えてはいけない。
適度な制約こそ、自由を自由たらしめるエッセンスに違いない。
制約のない自由など、ただだらしがないだけだ。

我々には、もう後戻りは許されないのか。

2001年春、私は会社を辞め、貯めた金で旅に出た。
格安航空券でタイに入国し、帰りの航空券を捨ててタイとラオスを周遊した。
再び戻ったバンコクのカオサンでオーストラリア行きの片道航空券を購入し、シドニーへ飛んだ。
そこから3日3晩バスに乗り続け、当時ワーキングホリデーに出ていたカノジョに会うためにケアンズへ向かった。
ケアンズで1ヵ月ほど過ごしたのち帰国を決意し、
成田までの片道航空券でケアンズを発ったのは9月10日の深夜のことだった。

グアム経由成田行き、コンチネンタル航空。
2001年9月11日未明、米国領グアムに到着。
折しも大型台風が東京を襲い、成田行きの飛行機は出発を見合わせることとなった。
ボーディングゲートに表示している待ち時間は、3時間、4時間、5時間…と延び続け、
最終的に10時間まで表示されたものの、結局8時間遅れで搭乗を開始した。

大阪出身の私が成田に向かったのは東京で友人と会う約束をしていたからだったが、
飛行機の遅延のため誰とも会うことが出来ないまま、最終の新幹線にて帰阪。
大阪駅から自宅まで歩いていると、カノジョから国際電話がかかってきた。
「無事に着いた!?今、ニューヨークが…!!」
21世紀の世界を方向付けた瞬間だった。

我々はどこまで愚かなのだろうか。

アダムとエバはエデンで何不自由ない生活を約束されていた。
彼らは死からも守られ、自由だった。
ただ一つ、エデンにある1本の樹の実だけは食べてはいけないという制約を除いて。
結果として、その制約を破ったために彼らはエデンから追放され、
産みの苦しみと死の苦しみに束縛されることとなった。

何かを得る為には、何らかの代償を支払わなければならない。
生を享受する為には、死でもって支払わなければならない。
我々の生命は確実に死に向かって滑落している。
後戻りはできない。

世界は、どこまで滑落して行くのだろうか。
後戻りはできない。

ならば、新たな一歩を前に踏み出すしかない。

己の生命を他者のために費やしたならば、その生命は多くの者に受け継がれる。
たとえ非力であっても、たった一枚の葉の働きが大樹に栄養を提供しているように、
無意味な働きなど無い。
生命の大樹を支える一葉のごとく、使命を果たし終えるその日まで生きて行けたなら、
それに勝る幸福などあり得ない。

振り返ることの許されない旅路に、新たな一歩を。


(今日の写真:「カゥミンクワンユームァンビァンカム」くん at ルアンパバーン/ラオス)

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scott_street63 at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)  | ラオス