June 2008

June 29, 2008

莎車へ。


カシュガルの街は意外に狭く、半日もあれば殆ど見回せた。
日本から北京、ウルムチと飛行機を乗り継ぎ、さらに鉄道で約24時間。
移動に次ぐ移動の果てに当初の目的地であるこの街まで辿り着いたものの、
残るもう1日をここで過ごすにはどうも物足りなく思えた。
明日のウルムチ行きの飛行機は23時15分。
ほぼ丸一日空いていることになる。
それまでに出来ること……私は部屋のゴミ箱から一枚の名刺を拾い上げた。
カシュガル駅から市内まで運んでくれたタクシーが、観光に行くなら
いつでも呼んでくれと渡してくれたのだった。
部屋に備え付けられた電話を取って、名刺の電話番号に掛ける。
 「明日ヤルカンドに行きたいんだけど。」
運転手はすぐに部屋まで駆けつけて来た。

翌朝9時、チェックアウトの手続きをしている間に運転手はやって来た。
タクシーに乗り込むと、助手席に手足の先と顔以外は赤く長い服で完全に覆った
ムスリムの若い女が乗っていた。
運転手は言った。
 「娘でさ。莎車(サーチャ=ヤルカンド)まで行くと言ったら私も行きたい
って言うんで。」
今日は夜まで貸し切ったのだから、ほとんど遠足気分といったところか。
漢民族の父とウイグル族の母との間に生まれたのだろう、彼女の団子鼻と丸い頬は
明らかに漢民族のそれだった。

解放南路を走り街外れの市場に出ると、まだまだ馬車やロバが現役で台車を引いたり
鞍から幾つもの麻袋を垂らして走っていた。
のんびりと走る彼らを軽く追い抜かし、日本の演歌にも似た中国の歌謡曲をBGMに
背の高いポプラ並木を抜けると、そこはもう砂漠だった。
地平線まで見渡せる砂漠の中に舗装された道路を駆る。
粒の荒い砂利が敷き詰められた不毛の大地に等間隔で電信柱が延々と立ち並ぶ。
次の街への送電線なのだろうか。
だとすると果ての無い辛い作業だったに違いない。

2時間ほど走った頃、大量の羊に道を遮られた。
くたびれたスーツにイスラムの帽子を被った羊飼いが杖を振って羊を追う。
待っている間に馬車ならぬラクダ車もタクシーに並んで羊の通過を待った。
街が近いのだ。
 「意外に早く着いたな。」
と言うと、
 「まだまだ。莎車はもっと先でさ。」
とのことで、さっさと町を走り抜けてしまった。
通過する際、運転手は路肩でジュースを売る若い男に道を聞いたところ
彼は中国語が解らないと見え、運転手の娘が土地の言葉に訳した。
この道を真っ直ぐで合っているらしい。
運転手は礼にペットボトルを3本買った。
 「シェーシェ。イールーピンアン。」
簡単な言葉なら解るらしく、彼は中国語で礼と旅の無事を祈ってくれた。

運転手が買ったのはファンタオレンジとペプシコーラ、そして緑茶だった。
ファンタは娘が取り、運転手は少し悩んだ末にコーラを取って
緑茶を私にくれた。

またポプラ並木を抜け、再び砂漠の中を走る。
雲一つない抜けるような青い空、どこまでも続く大地。
このままこの光景に吸い込まれ、拡散してしまいそうな錯覚を覚える。
 「一路平安(イールーピンアン)」
ジュース屋の男の少しクセのある声が心地よく耳に残る。
こんな所で平凡に一生を過ごすのも良いかもしれない、などと思うのは
単なる無いものねだりというものか。
ペッドボトルのフタを回し、よく冷えた緑茶をひと口流し込む。
刹那、思いも因らない味に吐き出しそうになった。
―――甘い!?
ラベルの裏の原材料を見ると、筆頭に砂糖と書いてある。
紅茶にさえ砂糖を入れない私がこんな緑茶を飲めるはずがない。
自分は所詮異邦人であり、この土地の人間にはなれないということか…。
私はフタを固く閉め、早くヤルカンドに着くことを願った。
前に見えるのは相変わらず地平線だけだった。


(今日の写真:途中で立ち寄った塩湖にて石を投げる運転手の娘 at カシュガル/中国)
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20080628


scott_street63 at 00:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)  | 中国