January 2009
January 15, 2009
鉄路に思う。
訃報と云うものは決まって突然訪れる。
正午を過ぎた頃、突然電話が掛かって来た。
用事の最中だったため取るのを一瞬ためらったが、出てみると遠方に住む後輩だった。
まだ出していない年賀状の返事の督促だろうかと呑気に考えていると、
沈んだ声で慌てながら、共通の知人の訃報を伝えてくれた。
自殺だった。
鉄道に飛び込んだのだと云う。
彼は何を絶望したのだろうか。
或いは何に恐怖し逃亡を図ったのだろうか。
かつてアッピア街道にはおよそ200kmに渡って沿道に十字架が立ち並んでいた。
渦巻く腐臭、朽ち果て崩れ落ちる死骸の数々。
後に第3次奴隷戦争と呼ばれるスパルタクスの乱。
スパルタクス率いる10万人余の奴隷軍は世界最強とまで謳われたローマ帝国軍による追撃を幾度となく打ち破り、栄華を誇るローマ市民をも脅かしたが、英雄ポンペイウスの登場により壊滅させられた。
再び捕囚の身となった約6千人の奴隷たちは悉く十字架の刑に処され、見せしめとしてアッピア街道に並べられたのだった。
その凄惨な光景はローマからポンペイにまで続いたと云う。
十字架は史上最も過酷な刑であると言われる。
十字に組んだ木に両手の平、両足首を交差させた箇所に鉄杭を貫通させて磔にする。
三箇所だけで支えられた身体は徐々に前方へ傾き、やがて両腕の関節という関節は外れ、全て伸び切ってしまう。
死への決定打が与えられないため苦痛は数日に渡って続き、たとえ苦痛に耐え兼ね気絶しようとも、目覚めれば再び地獄の苦しみが続く。
イエスが十字架を担いだゴルゴタへ続く道に想いを馳せる。
巨大な十字架を引き摺りながら、裸足で石畳の道を歩む。
嘲り野次を飛ばす者、唾を吐きかける者、手を合わせ泣き続ける者…
観衆の視線を浴びながら、一歩、また一歩と死地へ向かって足を運ぶ。
十字架刑はイエスが神から課せられた宿命だった。
宿命だからこそイエスは受け入れ、決して逃げなかった。
人は皆、己の十字架を背負っている。
我々に課せられた宿命とは何か。
我々は何を成し遂げんとしているのか。
道は暗く闇に閉され、蜃気楼が如く不確実な未来に向かって歩を進める他ない。
我々は万物必死の宿命を認識しながら今日も生を享受している。
いずれ来たる死への恐怖に怯えながら、或いは、死など対岸の火事が如く目を逸らしながら。
まともに取り合えば精神を病むなと言う方がむしろ無茶と言えよう。
いつか必ず死ぬと知りながら、何故我々は今を生きるのか。
そして我々は何の為に死に行くのか。
昨年108歳にして大往生を遂げた禅師・宮崎奕保は語る。
平気で生きておることは難しい。
死ぬときが来たら死んだらいいんや!と。
死を恐れる事無かれ。
むしろ生を畏れ、己の宿命を求めよ。
己が十字架を背負いて死地へと向かう暗き道を我は歩まん。
冥福を祈る。