November 2009

November 07, 2009

Escape to Laos.


極寒のオホーツク海。
吹き荒ぶ雪風、うねる海面、叩きつける大波。
乗員はその過酷な労働環境に見合わぬ低賃金で酷使され、よもや人権などというものは無く、その描写はローマ帝国時代に奴隷や罪人を詰め込んだガレー船を彷彿させる程に劣悪であった。
プロレタリア文学の旗手・小林多喜二の『蟹工船』を読んだ。
大時化の中を無謀にも漁に出された川崎船は、風に曝され波に揉まれ、ソ連領である樺太に漂着してしまう。
ロシア人らに手厚く保護された彼らは、やがて母船に戻り、その地の教えを乗員の間に拡めた。
ソ連、そこは資本家ではなく労働者こそ主人公たれる夢の国だった…。


先月の盆休み、追い立てられる毎日に堪り兼ね、ほぼ衝動的に航空券を購入した。
またもやバンコク経由ルアンパバーンへ。
今年は9月にシルバーウィークと呼ばれる連休が控えている所為か、8月10日になってもまだ盆休み中の早割対象の席が空いていた。
考えていることは皆同じなのか、9月の連休は行先に関係なく何処も満席らしい。

ルアンパバーンへは5度目の訪問になる。
今回は飽くまでもリゾートに来たのだからと、バンコク空港内のラウンジから少々値の張る小洒落たゲストハウスをインターネットで予約した。
当日の空室を埋めるため、40%オフでの提供。
3年前に訪れた時はゲストハウスの建築ラッシュを迎えていた。
町の其処此処で大工のトンカン、トンカンと叩く音が響いていた。
そこに来てリーマンショックに端を発する世界的な経済恐慌。
旅行者は激減し、雨後の筍のように建ち上がった多くのゲストハウスは日の目を見ぬ間にバタバタと差押えの憂き目に遭ったと人づてに聞いた。
とは言えそこはラオス。
夜逃げだとかホームレスだとか、道端に座り込んで空缶を前に置く姿はあまり想像し難い。
山に入れば簡単に自給自足で暮らしていけそうな気さえする。

翌朝、思い立ってパーク・ウー洞窟へ行ってみることにした。
メコン川沿いに切り立った断崖に穿たれた洞窟に何万体もの仏像が祀られており、郊外の観光地として知られている。
本音を言えば別にパーク・ウーには大して興味はなかった。
ただ船に乗ってメコンの流れに抱かれたかったのだった。
午前中にワット・シェントンの船着き場で交渉し、船が出払っていたため予約として半額を前金として支払った。
宿に戻って転寝に興じ、昼食、スパでマッサージを受け、贅沢に時間と金を費やした後、再び船着き場へ。

10人程度は乗れる長細いボートを一人でチャーターし、メコンへと漕ぎ出す。
空から見下ろせば大河に浮かぶその様は、濁流に流される笹舟の様にも見えたかもしれない。
メコンは相変わらず静寂に満ち、神秘的だった。
メコンの風、川面の匂い、時折手を川面に浸して直に触れてみる。
あぁ、これだ…と感激に胸を震わせた。
ウィスキーで喉を潤した際の余韻を彷彿とさせる程に、意識を遠くに旅立たせ、より深く沈めてくれる。
まるでメコンに酔い痴れる様だった。

約1時間半の船旅を経て、パーク・ウーに到着する。
洞窟へと向かう参道を進むと、子供らがワラワラとやって来て取り囲まれた。
それぞれ手に菓子やら玩具やらを持ち、「これ買ってよ。」としつこく付きまとう。
情に負けて菓子を買ってやると、後から追いかけて来て、お腹が空いたというジェスチャーをして見せた。
つまり今売った菓子を食べさせてくれと言うのだ。
もはや神は死に、経済という怪物がこの世を統べているのか。
メコンの豊かな水に恵まれたこの地も所詮人の世でしかないと悟る。
もはや逃げ道は無いのだと。


戦前、共産主義思想に憧れソ連に亡命する日本人が多く存在した。
共産主義の敗因は何だったのか。
思想そのものが悪かったとは思わない。
マルクスにしろエンゲルスにしろ、大衆の愚かさを知らなかったのだろうか?
思想は理性により構築されるものだが、一般大衆とは理性よりも感情が勝る人種である。
人間の愚かさと欲深さこそ国家腐敗に至る要因だったのだ。
愚は罪なり。

しかしそれでも尚飽きることなく全人類が豊かになれればと願いながら荒野へと導く羊飼いをただ待つだけの私は、やはり愚なる大衆の一人なのに違いない。

scott_street63 at 16:34|PermalinkComments(4)TrackBack(0) | ラオス