January 2010

January 31, 2010

深夜行III


夜9時、フロントに預けておいたバックパックを取って大連駅へ向かう。
ダウンジャケット、カシミアのセーター、マフラー、耳まで覆う毛糸の帽子、裏地にウールを打った革手袋…靴下などブーツの下に二枚重ねて履いているというのに、零下の大気に身を震わせずにいられない。
セキュリティチェックを抜けてホームへ続く階段を降りると、列車は既に入線していた。
各車輌の入口ではオーバーコートを纏った服務員らが煙のような白い息を吐きながら立ち尽くしている。
2009年12月31日、21時54分発ハルピン行き空調特快T261号。
夜空の下、今年最後の走行を控えて定刻を待つ列車のディーゼル音が静かな構内に響く。

列車の中は暑いぐらいに空調が効いている。
切符と照らし合わせながら自分のコンパートメントを探す。
軟臥のコンパートメントは窓際のテーブルを挟んで2段ベッドを向かい合わせた4人部屋となる。
私のコンパートメントには既に20代半ばと見える男2人と女1人が話に花を咲かせていた。
 「すみません、私の座席はここですか?」
と拙い北京語で一人の男に切符を見せると、
 「そうだよ。ここに座りなよ。」
とでも言ったのであろう、彼は少し横にずれて隣りを空けてくれた。
 「謝々。」
そう言って荷物を置き、ダウンジャケットとセーターを脱いだ私に彼らは何かを話しかけてきたが、
 「ウォープゥドンハンユェ(私は中国語が解りません)。」
と答える他なかった。
街中でもしばしば話しかけられるため、このフレーズだけはマスターしている。
中国東北部では英語を話す人間は日本以上に出会えない。
 「English?」
席を譲ってくれた男からそう訊かれ、喜んで「Yes, English please.」と返すと、彼は突然立ち上がって上段のベッドから布団と枕を一組下ろし、私の目を真っ直ぐ見て言った。
 「Sleep!Tell me!」
一同が呆気に取られてぽかんと口を開けた。
一瞬の静寂。
ひと呼吸置いて、彼の言わんとしている事を理解した。
 「寝るときは言ってくれ。(上の段に移るから。)」
ということであろうと思い、私は再び「謝々、謝々。」と繰り返した。

11時、日本は年を越した。
旧暦で生きる中国人には西暦の正月などどうでもいいらしい、部屋の若者たちは本格的に寝る態勢に入り、起きて新年を迎えることもなく、間もなく消灯した。
列車は年を跨ぎながら北へ北へと走り続ける。
窓際に枕を置き、カーテンの隙間から外の世界を覗き込んだ。
所々地肌を剥き出した白い大地。
一定の間隔を保ちながら響く車輪の、レールの繋ぎ目に落ちる音。
木々や山々のシルエットが気持ち良い程に後方へと流れて行く。
寒さと降雪量は必ずしも比例しないが、やはり北へ進む毎に地に積もる雪が分厚くなっている気がしないでもない。
かつてこの厳寒の地に入植していた1,000人以上の日本人も、やはりこの鉄路を旅したのだろうか。
かの伊藤博文は鉄道でハルピンへ赴き、駅構内で暗殺された。
目的地を【destination】とはよく言ったものだと得心する。
Destination―――すなわち運命【destiny】の地。
目に見えぬ列車は我々を地球ごと呑み込み、凄まじいスピードで命を運ぶ。
運命の地に向かって疾走は続く。
辿り着く先を知る者はいない。
一体何処に向かっているのか―――しかしそんな事はどうでもいいのだ。
ただ一途に甘美なる死を夢見て、この心地良い揺れに身を委ねるしかない。
闇夜を切り裂きながら、風よりも速く、北へ、北へ。

午前2時、瀋陽に到着。
ナトリウムランプの黄色い明かりが大きな駅構内を照らしている。
この後は吉林省の長春を抜け、朝7時28分に黒龍江省のハルピンに到着する。
小休止の後、また走り出す。
更に北へ、一路ハルピンへ。


scott_street63 at 03:34|PermalinkComments(2)TrackBack(0)  | 中国