April 2010
April 29, 2010
TAXI 2
ハルピンの旅から早や4ヶ月、世間は黄金週間を間近に控えて浮き足立って見える。
元日を以って離婚した私はと言えば、未だに妻――もとい元妻と同じ屋根の下で暮らしている。
世に事実婚があるのなら、さしずめこれは事実離婚と云う所か。
その元・妻が、昨日会社を辞めた。
彼女の家の中を歩き回る足音で毎朝目を覚ましていた私は、早速寝坊してしまった。
――8時45分。
慌てて用意を整え、家の前でタクシーを捕まえ飛び乗ると、ヤニの臭いが鼻を衝いた。
運転手か、あるいは前の客が煙草を吸っていたのであろう。
私自身は吸わないものの、決して嫌いではないその匂いに懐かしむ。
あの日のタクシーも煙にまみれていた。
大連からハルピンの旅も4日目に入り、帰国の途に就く日を迎えた。
相変わらず余裕のない両替しかしなかった私の手元に残った現金は112元と8角のみ。
市内から空港まではタクシーで120元。
ガイドブックや地図を隅々まで改めて読み直し、2キロ程離れた所にある航空券売り場から出る空港行きのリムジンバスに乗ることにした。
「新陽路航空券売り場まで。」
ホテルの玄関先に停まっていたタクシーに乗り、予め住所を書いたメモを運転手に見せた。
彼は吸っていた煙草を灰皿に置き、メモと私を交互に見た。
「机場(空港)までだろ?」
「あー、えぇと…」
適当な中国語が思い出せず言い澱んでいると、彼も知っている限りの英語で話してくれた。
「Airport. No?」
「我没有money(お金が無いんです).」
こちらも有らん限りの語彙を用いて中国語と英語を織り交ぜる。
「いくら持ってるんだ?」
「えーと、112元と…」
そう言ってポケットに有る現金を全て彼に見せようとズボンから引っ張り出そうとすると、
「OK, OK.」
皆まで言うなと言わんばかりに私の動きを制止した。
「Go Airport.」
「謝々!」
彼はそう言って煙草をもう一度咥えると、アクセルを踏んだ。
角を幾つか曲がって幹線道路へ出た。
空港へ向かってひたすら真っ直ぐに伸びている。
彼は換気しようと思ったのか窓を開けたが、余りの寒さにすぐに閉めた。
中国人という人種は基本的にケチなものだと思っていたが、この運転手の懐の広さを見せられると、こちらもそれに応えずにはいられなかった。
「そうだ、日元(日本円)ならある。」
と言って彼に千円札を手渡した。
「これなら銀行で両替できますよ。」
彼は千円札を眺めてから中国語で何かを言ったが私には解らず、と言って彼も適当な英語が見つけられず、先ほど私が渡したメモの裏にペンで書き始めた。
「日元は中国元で幾らになるのか?」
私はカバンからノートを出して書いた。
「1元=15日元 →1日元=0.67元」
そう書いて見せると、「ハッ」と彼は馬鹿にしたように笑った。
勘違いしているな、と思って彼からノートを奪い取り、また書いた。
「1,000日元=670元」
彼は目を見開いて驚き、慌てて無線で配車基地にレートを確認し始めた。
「いま日本人から1,000日元もらった。中国元で幾らだ?」
「ザー…○X■△。ピー」
「670元だと言ってるが本当か?」
「ザー…XX●□※。ピー」
続けざまに携帯電話が鳴った。
取ると、どうやら同僚の運転手らしい。
「そーなんだよ、日本人が現金持ってなくてよ、ガハハ」
電話で話している間にまた無線が鳴った。
「ザー…▲X○※□。ピー」
赤信号で停まった。
彼は私の方に振り返ると、ニコニコと大笑顔で煙草を1本差し出した。
「すみません、私は煙草が吸えないんです。」
残念そうに彼は前に向き直したが、次の赤信号で再び煙草を差し出してきた。
恐らくは彼の最大限の感謝の意なんだろうと思い、1本戴くことにした。
口に咥えると、ライターで火を点けてくれた。
何年振りかの煙草の喫み方を思い出し、鼻と口でスーッと息を吸い込み、軽く息を止める。
煙草の薫りが身体中に充満するような感覚。
ゆっくりと鼻から煙を吐き出し、もう一口吸ってみると、咽せてしまった。
ルームミラーに映る運転手は満足そうに笑っていた。
悪い気分にはならない。
言語に頼らずとも通じ合える喜びはこの上なく心地良いと改めて知る。
白い霞に包まれた視界の先は、まだひたすら真っ直ぐ道が続いた。
愛煙家にはますます世知辛い時代ではあるが、タバコミュニケーション、
悪くないかも知れない。
April 11, 2010
New Year @ Haerbin, China.
列車は定刻に到着した。
2010年1月1日午前7時28分、ハルピン駅。
この鉄路の旅で偶然同じコンパートメントに乗り合わせた者同士の
「拝拝(バイバイ)」
と言い合う声が其処此処から耳に入る。
袖触れ合うも他生の縁。
とは言え、一期一会。
たまたま同じ部屋となった中国人青年らと私が再会することは、少なくとも今生ではあり得まい。
暖房の効いた車内から一歩外に出ると、猛烈な寒風に顔面の皮が張り付いた。
寒いと言うよりも痛い。
噂に違わぬ極寒の地。
皆背中を丸め、マフラーで口元を覆いながら、しかし長旅の末の終着駅に高揚してか会話を弾ませながら一塊りとなって出口へと向かう。
写真を撮ろうとひと度手袋を脱ぐと、氷水の中に手を突っ込んだ時と同様に手が痺れた。
鼻から出る水気を含んだ息がその場で凍るのか、マフラーで隠さなければ常に鼻の穴の周囲に何かが纏わり付く不快感が拭えない。
駅を出ると、街中は自動車やバスが引切り無しにクラクションを鳴らしながら活発に行き交い、商店や食堂では重苦しい雪雲の下で客寄せの声を挙げ、成る程、中国北端の玄関口に違いないと納得する。
泣けて来る程の寒さから一刻も早く身を守りたく、凍結している足元に警戒しながら逃げるように急ぎ足でホテルへと向かった。
早朝にも拘わらず、ホテルは快くチェックインさせてくれた。
正午過ぎ、仮眠のあと中央大街へ徒歩で向かう。
ガイドブックによると、ロシア風建築の多い異国情緒溢れる所だと言う。
駅に近いホテルを選んだため、中央大街までは結構な距離がある。
鉄道の線路を越えるため、駅の地下を抜けられないかと探してみたり、車の行き交うバイパスを歩いたりして迷いながら、部屋で見た地図の曖昧な記憶だけを頼りになんとか辿り着いた時にはもう2時を回っていた。
真冬のハルピンは日中の最高気温がマイナス20℃。
部屋を出る前に、ダウンジャケットの背の裏に簡易カイロを上下に1枚ずつ貼り、ポケットに各1個、ブーツの隙間にもそれぞれ1個ずつねじ込んだ。
お陰で上半身は寒くないのだが、ポケットとブーツのカイロは余りの寒さのためか殆ど機能せず、始終振っては痛む指先を温めなければならなかった。
中央大街は、期待していた様な風情はあまり無く、土産物屋や有名ブランドのショップがひたすら軒を連ねていた。
それでも来たからには端まで行こうと、半ば辟易しながらも時々店を覗いたり、暖を取るために冷やかしたりしながら歩を進めた。
行き着いたのは、松花江(ソンファーガン)という大きな川だった。
川幅1kmはあろうかという大きな川面は、完全に凍結していた。
手前では子供向けにスケートリンクが開かれ、中央では馬車や自動車が対岸まで走っている。
これには驚いた。
こんな光景は日本でもなかなか見られない。
他の観光客と同じく、私も嬉しがって真ん中まで川面を歩いてみた。
ど真ん中で曇天の空を仰ぐ。
広い。
静かだ。
私を煩わせる雑音など無い。
その代わりに、この喜びを分かち合う者も隣にはいない。
自由を獲得した代償は思いのほか大きいのか。
2010年1月1日を以って妻と離婚した。
眼前に伸びる私の道は、この川の様に真っ白く、静かで、何も無い。
(今日の写真:松花江 at ハルピン/中国)