May 2010

May 31, 2010

TAXI 3


旅慣れたと言えば聞こえは良いが、私のそれは、泥沼に片足を取られ半ば沈み掛けているに過ぎない。

安宿、とりわけドミトリーに投宿すると、最後に帰国したのがいつかも容易に思い出せない旅人が稀にいる。
旅人という不安定でありながら何処にも所属しない居心地の良さに安住し、旅することに身勝手な大義名分を探しながらいつまでもモラトリアムに耽り続けることを、我々は「沈没」と呼ぶ。
そんな「沈没」した彼らの世界に、私も身体半分を埋ずめかけている。
遠足の日に限って早起きするような人間は健全な精神の持ち主と言えよう。
私にとって旅は今や日常の延長でしかなく、ネクタイを締めてビジネス街を歩いている時や、家でテレビを観ながらぼんやりと過ごしている時と何ら変わらない。
つい寝坊をしてしまうのもいつも通りのことなのだ。


2001年に初めてラオスを周遊して以来、地図を拡げて見る度に、最北端にあるポンサーリーという町に行ってみたいと兼ねてから願っていた。
隣接する中国やベトナムに喰い込むように突出した地形の中にあるその町は、雲南省にかけて標高を上げていく北部ラオスの山間、標高1,400メートルに位置する。
何があるのかは分からない。
何も無いのかもしれない。
ただ純粋にその町の土を踏んでみたいと強く願い続けたこの9年間の想いを、この黄金週間に実現する機会を得た。

日本からポンサーリーへは片道3日を要する。
日本からまずはベトナムのハノイで1泊したのち翌日にラオスの古都・ルアンパバーンへ飛び、空港からバスターミナルへ直行して同日のうちにウドムサイまで移動してまた1泊。
そしてまた翌日、約10時間かけてバスでポンサーリーにようやく到着する。
移動に次ぐ移動。
一刻の無駄も許されない。
にも拘わらず、ハノイで朝を迎えた時には、既にルアンパバーン行きのチェックインが始まっている時間だった。
ハノイ発ルアンパバーン行きVN869便は9時のフライト。
チェックインはその2時間前の7時〜1時間前の8時まで。
そして私がホテルで目を醒ましたのは午前7時5分だった。
飛び起きた私は顔も洗わず荷物をまとめてチェックアウトを済ませ、タクシーに飛び乗った。

 「国際空港まで。急いでくれ。」
とは言え、空港まで35キロ。約1時間はかかる道のり。
9年間の希望をこんな中途半端な所で潰してしまう訳にはいかない。
私は日本から持って来た携帯電話でハノイ市内にあるベトナム航空へ電話をかけた。
まずは音声ガイダンスがベトナム語で流れ、次いで英語が流れる。
フライトの情報は1と#、予約は2と#、リコンファームは…と順に進み、私は「その他」の4と#を押した。
そして保留の音楽が流れ出す。
『禁じられた遊び』。
哀愁を帯びたメロディーに苛立ちも加速する。
電話が係員に繋がるまで実に2分も待たされた。
 「ハロー?May I help you ?」
 「Yes... 今日のルアンパバーン行きを予約しているんですが。」
 「リコンファームですね?」
 「No! 今日の9時のフライトを予約してるんですが、遅れそうなんです。今空港へ向かう途中なんです。チェックインカウンターは何時に閉じますか?」
 「Just a moment.」
そしてまた流れる『禁じられた遊び』。
8時に閉まることは私でも分かっているのに、話す順番を間違えてしまった。
 「ハロー?8時に閉まります。」
 「私はたぶん8時に間に合いません。延長してもらえませんか?」
 「Ah.. Just a moment, please.」
そして再度あのメロディーが。
熱帯の日差しは車内でも窓を通して肌に刺すように降り注ぐ。
暑いからか焦燥からか、じわりと汗が滲み出す。
 「ハロー?ではチェックインカウンターに直接電話をかけて下さい。電話は04-……」
すかさずメモを取り、すぐにその電話番号に掛けた。
が、電話はコール音すら鳴らずに切れた。
三度かけたが全く繋がらない。
仕方なくもう一度オフィスに電話をかけた。
また音声ガイダンスからのやり直しに腹が立つ。
 「ハロー?May I help you ?」
先とは違う係員のため、また一から事情を説明する。
 「それではカウンターの電話番号を申し上げます。」
 「いや、さっき聞いて掛けたけど繋がらないんだ。アンタからカウンターに伝えてもらえないか?」
 「分かりました。それでは航空券番号を教えてください。」
期待を胸に抱きながら読み上げた。
 「Hold on, please.」
これで大丈夫だろうと胸を撫で下ろしながら『禁じられた遊び』を聞き流す。
 「ハロー? Sorry, I cannot help you.」
絶望の最終通告。
この時点で既に7時55分。
後は空港のカウンターでゴネるしかない。
8時10分、空港に到着。
頑張ってくれたタクシーの運転手にチップを弾み、腹を括ってカウンターへ向かった。

…が、カウンターはまだまだ余裕で開いていた。
それどころか同じくルアンパバーンへ向かう欧米人旅行者が私の後ろにも並び出す始末。
フライトの時刻が変更になった訳でもない。
どっと疲労が押し寄せ、緊張が解けたのか汗が急に流れ出した。

ファイナルコールを呼ぶボーディングゲートへ、いざ向かう。

scott_street63 at 23:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)  | ラオス