July 2010

July 31, 2010

ココデハナイドコカ


久し振りに流行りの新刊を買った。
村上春樹の『1Q84』全3巻。
青豆という一風変わった名前の女が“天のお方さま”への祈りを口ずさむ―――「王国をもたらせたまえ」と。
新約聖書『ヨハネの黙示録』にて預言されたキリストの再臨と千年王国の建立。
その王国は栄光に輝く、完全な世界となる。
C.イーストウッド監督による映画『パーフェクトワールド』。
刑務所を脱獄したブッチ=ヘインズが少年フィリップと共に盗難車を走らせたのは、幼少の頃に別れた父がいるかもしれないアラスカを目指してのことだった。
父からたった一度だけ届いたアラスカの絵葉書は、ブッチにとって胸を焦がす理想郷として映ったに違いない。
しかし道は閉ざされ、敢え無く警察の凶弾に倒れることになる。
偶然か必然か、青豆とフィリップの親は同じ宗教の熱心な信者であった。
寝る子は育つとも言うが、子供らは夢を抱いて成長する。
たとえ肉親であっても子供から夢を奪う権利など無い。
しかしそんな主張など所詮は理想論であり、現実には在り得ないネバーランドなのか。
理想郷を【Erehwon】と皮肉る様に、そんなものは【Nowhere】何処にもありはしない。
我々はそう認識しながらも、心の奥底ではその存在を、その来臨を、強く待ち望んでいる。
我々は皆ただ漠然と、此処ではない何処かを夢見て生きている。
待ち切れない私はそうして旅に出る―――在る筈のない「王国」を求めて。


朝7時、晴れとも曇りとも取れない煮え切らない空の下、70リットルのバックパックを担ぎながらやたら広い閑散とした道を歩く。
北部ラオスの交通の要衝=ウドムサイ。
昨日ハノイから国際線でルアンパバーンに降り立った後、同日の内にこのウドムサイまでバスを乗り継いだ。
この町で一晩を過ごし、また今日もバスで駆ける―――山上の町・ポンサーリーへ。
そこに何が在るのか分からない。
ただ何故だか初めてラオスを訪れて以来その町の地を踏みたいと願いつつも、機会に恵まれなかったのだった。

バスターミナルとは名ばかりの粗末なトタン屋根の下に、使い古されたバスが頭を屋根に突っ込むような形で並んでいる。
何処かの国で廃車となって格安で払い下げられたようなバスや、少年野球チームが遠征試合に使っていそうなマイクロバス、荷台にベンチを据え付けただけのトラックや軽トラ、ピックアップ…。
バスに乗る客を狙って、物売りが商品をカゴに目一杯乗せてウロウロしている。
1日1便のポンサーリー行きのバスは、出発30分前で既に荷物も人も満杯だった。
バスの天井の荷台で雨除けのビニールシートを二人がかりで張っている男らに話しかけた。
 「ポンサーリーに行きたいんだけど。」
そう言って背中のバックパックを指差すと、
 「もう無理だ。中に持って入ってくれ。」
そう言われて車内に入ってみると、通路は荷物で埋もれていた。
運賃を徴収する男に85,000kipを支払い、荷物を踏まないように座席の肘掛けから肘掛けへと足を運ぶ。
最後列から3列目の通路側。
バックパックは泣く泣く土埃に塗れた通路に置いた。
座席を確保してから朝食を買うつもりだったのだが容易く外に出られる状態ではなく、窓から顔を出して売り子を呼ぶことにした。
 「カオラーム!カオラーム!」
トタン屋根の下にいたカオラム売りを呼んだつもりだったのだが、私の声を聞いた女が5人、我先にと声を上げながら全速力で駆け寄ってきた。
仕方なく公平に、先着した女からカオラムを2本、飲み物も持っていた女から水とオレンジジュースを買った。

低いエンジン音が唸り、定刻を待たずにバスはゆっくりと出発した。
まずはバスターミナル傍のガソリンスタンドで給油する。
車内ではその間に前から順にビニール袋が配られた。
2時間ほど走るとバスは凹凸とカーブの激しい未舗装の山道に踏み入れた。
激しく砂煙を巻き上げながら山肌に沿って右へ左へと器用に曲がる。
時々大の男が尻から宙に浮いては打ち付けられる。
見ると周囲では早くも数人がビニール袋を口元にあてがって顔を突っ伏している。
もちろん車体にも影響が大きいのか、補修のために何度も途中で止まっては30分〜1時間の休憩となる。
その度に男も女も道路脇の草むらへと消えて行って用を足した。

ラオスの山道にトンネルなどという洒落たものは無い。
ひたすら山を上っては下りて行く。
バスは山岳民族の集落を幾つも抜けた。
ある集落は山の天辺にあり、ある集落は谷底にあった。
野焼きの季節だったのか、山は幾つも燃えていた。
バスは黒焦げの山や、未だ燻って煙の立ち込める山に沿った道をも走る。
奈良県の吉野から和歌山県の本宮へ、修行中の山伏が今も駆け抜ける大峯奥駆道を思い起こす。
ポンサーリーへの道程は険しい修行さながらである。

ウドムサイを出発してから約10時間後、比較的大きな町に到着した。
日もとっぷりと暮れ、東の空では既に夜が始まっていた。
乗客もほとんど下りて行く。
 「ここがポンサーリーか?」
手近にいた乗客に訊いてみた。
間違いないだろうと思っていたのだが、
 「違う。ポンサーリーはまだ先だ。」
ということだった。

再び出発したバスはひたすら坂を上り始めた。
町を出る際に降り始めた雨が次第に強さを増していく。
街灯などある筈もない暗い山道を、運転手はヘッドライトと勘だけを頼りに飛ばして走る。
蛇行する道に沿って右へ左へと曲がりながら、上る、上る、念願の山上の町へ向けて。
―――王国をもたらせたまえ。
青豆の祈りを思い出す。
王国の来臨は何時になるのか、多くの者が待ち望みながら、見果てぬままに死んで行く。
来ないなら、いっそこちらから出向くまでだ。
たとえそれが死の淵の彼岸に在ろうと。

横殴りの雨に打たれながら、上る、上る。
闇の向こうに在る王国を信じて。


(今日の写真:エンスト中 @ラオス)
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scott_street63 at 23:48|PermalinkComments(0)TrackBack(0) | ラオス