July 2011

July 10, 2011

Hallelujah !


快楽にハレルヤ。
誉め称えよ、天地万物の創造主を。
快楽こそ神の御業なり。

あの山脈を見て神を信じない者は盲目か真の愚か者か。
あの造形を目の当たりにしてなお偶然の産物と言うのなら、その者の生命もまた偶然。
その生命に意味など無く、その者の存在は虚空に等しい。
あの素晴らしい光景こそ眼福、即ち目の快楽。
私は神を賛美せずにいられない。

ある生物学者によると、人間はDNAによって操られる容れ物に過ぎないらしい。
恋愛の9割は勘違いだと人は言う。
その生物学者に言わせれば、残りの1割こそDNAとDNAの運命的な出会い。
互いの不足を補完し合い、より強い種を産み出す。
本能による性の至福はその1割にこそ成せる業に違いない。
かつてエデンは快楽に満ち溢れた祝福の園であった。
快楽は人類だけに与えられた特権なのだ。

―――なんてことを国境を越えたパスーの宿で感情に任せて日記帳に書き殴った。
帰国してから読み返すと馬鹿なことを書いたもんだと赤面するが、その時の感動の強さだけはよく伝わるものだから、破らずに置いておくことにした。
また忘れた頃にでも読んでみようと思うが、きっとそのまま忘れ去ってしまうのがオチだろうとも思う。


5月1日、カシュガル南天路バスターミナルを出発したバスは、タクラマカン砂漠の北西端を横切った後、パミール高原に向けてゲイズ渓谷沿いの道をひたすら走った。
乾燥した大気、照り付ける太陽、憎い程に晴れ渡った青空。
気候はやはり砂漠地帯と変わらないらしく、川沿いでさえ緑は点々とあるだけで、河原と呼ぶよりも無数の岩石の中を水が流れているだけと言った方が相応しい。
山に至っては樹木など一本も生えておらず、筋骨隆々たる山肌を露わにして車道に差し迫る。
裸の山は巨大な岩石に等しく、頭上の太陽光を足元からも照り返す。
そんな灼熱の光景の中、やがて前方に万年雪を被ったとびきり大きな山が現れる。
標高7,649メートルのゴングール山。
辺境警備の検問所を抜けると間もなく視界が一気に開ける。
牧草を食む山羊、牛、馬。
天空と雪山を生き写す湖。
それこそはパミール高原。
世界にはまだこれほど土地が余っていたのかと、驚きのあまり日本の人口密度と比較して訳の分からない感傷に浸る。
白く着飾ったムズターク・アカ山(7,546メートル)を映すカラクリ湖の美しさに息を呑む。
これらの霊峰を見上げながら車内に流れた『北国の春』を耳にするのもまた一興。
全アジアに通じる名曲であると得心する。

標高3,600メートルにあるタシュクルガンという町で一夜を過ごした後、イミグレーションで出国手続きを済ませて再びパミール高原を駆る。
ゲルを張って家畜を見守る遊牧民を傍に見ながら、遥か前方に見える白い稜線を目指して広大な荒野を走り抜ける。
一直線だった道はやがて幾つも弧を描くようになり、少しずつ標高を上げ行く。
気付くと無意識に深呼吸を繰り返している。
後の座席のオーストラリア人は頭が痛いと訴えた。
それでも運転手は容赦なく坂を登り続ける。
幾つカーブを曲がったろうか、最後に大きなヘアピンカーブを廻って一直線に上って行くと、雪を被った山脈の稜線が遥か先まで眼下に連なっていた。
鋭い刃のような尾根や山裾に向けてカーブを描いて広がるシルエットが幾つも重なり合い、山麓の狭い谷が一本の道のように遥か遠くまで続く。
そんな光景が自分の足元で繰り広げられている。
何だこれは、何だこれは、凄い、凄い、と同じ言葉を何度も頭の中で繰り返した。
言葉を失うとは正にこの事。
その麗しさを表現する言葉が見付けられず、語彙力のない幼児のように同じ言葉を繰り返すほかなかった。

坂を上り切り、中国国境のゲートをくぐった途端、アスファルト舗装は途切れてバスが激しく上下に揺れた。
パキスタンに入ったのだ。
国力の違いか、これより先は未舗装の道が続く。
運転手は一旦バスを停め、乗客も皆、休憩や記念撮影のために車を降りた。
二つの国家を分かつクンジュラブ峠は標高4,934メートル。
とにかく寒い。
5月にも拘わらず雪が積もっている。
冷たい空気に晒されて男共は堪らず立ち小便で雪を穿ち、女は離れて尻を剥き出し雉を撃った。
富士山など足元にも及ばない山峰の美しさの中にあっては人間はもはや野の獣と大差なく、人の理性や知性など神の造形の前では糞便を垂れ流す赤子の戯言と何ら変わらないのに違いない。
約5,000メートルの高所で同じく熱いパトスを放ちながら、思わずそんなことを考えた。
これはこれで日本では出来ない貴重な経験に違いないと無理矢理自分を納得させるには、大して時間はかからなかった。



ところで、淫乱は本能ではなく理性に依る人為的な産物である。
アダムとエバが手を出した禁断の果実こそ理性の実。
快楽は天然だが淫乱は罪。
ソドムとゴモラはその罪悪のために神の業火に滅ぼされることとなったのだ。
聖なる快楽とは一線を画すものであることを、誤解を防ぐために最後に付け加えておく。

(きょうの写真:クンジュラブ峠/中パ国境)
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scott_street63 at 04:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)  | 中国