February 2012
February 01, 2012
Soul River.
鮭は如何にして帰るべき母川を記憶しているのだろうか。
日本で産まれた鮭は、生後わずか4年間という一生の殆どをベーリング海やアラスカ海など遥か離れた外洋で過ごし、産卵と死の為に日本の母川に回帰する。
それが鮭を鮭たらしめる本能ゆえと言うならば、我々人類も持ち合わせていた筈の本能は何処に消えたのであろうか。
我々は何処から来て何処へ行くのか、何人たりとも知り得ない。
何処で道を誤ったのか帰るべき母川を見失った我々の魂は、為す術もなく彷徨い続ける。
我々は知らず帰るべき川を求める求道者なのだ。
コルカタ・ハウラー駅を出発して約11時間後、列車はムガル・サライ駅に到着した。
バラナシまであと一駅。
しかし列車は動き出す気配をまるで見せず、乗客たちはホームに降りて身体を伸ばしたり顔を洗ったりし始めた。
まぁいつものことかとのんびり構えていたが、どうにも構内のアナウンスが騒がしい。
窓から身を乗り出して駅員らしい男に尋ねてみた。
「いつ出発するんだ?」
「さぁな。バラナシとここの間で事故だ。」
あと一駅まで来てこれか、相変わらずツイてない。
バックパックを担いで列車を降り、線路を跨いで出口へ向かう陸橋の上で、男がニヤつきながら寄って来た。
「ジャパーニー、バラナシへ行くのかい?」
草履に短パン、浅黒い胸を肌けさせながら水色のYシャツを羽織った男だった。
「そうだ。」
「500ルピーでどうだい?」
タクシーかオートリクシャーの運転手らしい。
「高ぇよ。200だ。」
「おいおい、馬鹿言っちゃいけねぇ。せめて400だ。」
「250。」
などと交渉し、300ルピーで手打ちとなった。
駅前のナイトバザールで賑わう道をオートリクシャーで軽快に走る。
色鮮やかなサリーやパンジャビドレス、道端に座り込む牛、真面目な面持ちで店番をする子供らの姿が目に飛び込んで来ては後方へと過ぎ去っていく。
バザールを抜けて暗くなった所で突然リクシャーは停まった。
なんだか男に金を渡している。
「さっきのは何だ?」
「ヤクザさ。」
時々ここで通行料を取っていると言う。
素直に払えば何も問題は起こらない。
暫く走ってまた停まった。
「ちょっとここで待っててくれ。」
道路脇の街路樹の下に停めると、運転手は車を放っぽらかして駆けて行った。
小用か?と思って見ていると、暗闇の中にぽつんと浮かぶ小さな店を数人の男たちが囲んでいる中に入った。
私も車を降りて近寄って見てみると、何やらタバコのようなものを買って吸っている。
「お前もヤるか?」
マリファナか何かだろうか。
どちらにしても煙草の吸えない私には関係がない。
エネルギーを充填した運転手は、車に戻って来ると再びアクセルをかけた。
暗い道を行く。
なんだか懐かしい匂いが漂って来る。
子供の頃、石油ストーブの天板にいたずらに爪や髪を乗せた時の匂い。
橋の下を暗い川が流れている。
向こう側の川面に黄色い燈火が幾つも並んで揺らめきながら映っている。
運転手がエンジン音に負けじと大声で私に向かって怒鳴った。
「これがガンガーだ!」
これが旅の目的地、ガンガーか。
水面を凝視し、その神々しさに感動してみた。
拳を握り、「I got it !」と叫んでみた。
しかしどれも白々しかった。
こんな所まで来ておきながら、ラオスで出会ったメコンほどの衝撃は私には感じられなかった。
メコンほどのインスピレーションは呼び起こされない。
長く憧れていたガンガーを目の当たりにして、私はようやく悟った。
恐らくメコンは、私にとって本能が呼び覚ます魂の母川なのに違いない。
即ち、私の旅はメコンで既に終わっていたのだ、と。
そんなことを考えているとは露知らず、運転手は上機嫌に人で賑わうゴードリヤ交差点へとリクシャーを転がした。