March 2012

March 28, 2012

A long day in Varanasi. 1


翌朝、居間を横切る足音で目が覚めた。
窓から外を見ると、まだ青白い空の下で赤と水色に塗られた小舟が一艘ガンガーを泳いでいる。25
旅行前にはここで沐浴することを夢見ていたものの、自分の出自がメコンに違いないと悟った今、もうその熱は冷め切っていた。
外に出て川岸まで下りてみると、写真やテレビで観た沐浴の風景が広がる。
パンツ一枚で肩まで川に浸かる男たちやサリーを纏ったまま腰まで浸かる女性らに交じって、歯を磨く者や身体を洗う者、衣服の洗濯に精を出す者までおり、写真集で観たような厳粛な雰囲気はあまり感じられない。
意外とあっさりしているもので、満面の笑みを浮かべて写真を撮ってくれと頼まれる始末。
椎名誠はその著『活字のサーカス』でバラナシを訪れたことについて、意外にあっけらかんとした雰囲気だったと書いた。
「死を想う街」と呼ばれるバラナシだが、死を忌み嫌い敬遠する日本文化においてはよほど哲学的に思え、写真家も「如何にも」といった売り物として価値の出る写真を撮っているだけに過ぎないのだ。
そのエッセイ集を読んだのは高校1年生の時だったが、28歳にしてその光景を目の当たりにし、ようやく納得することが出来た。
ここに住む人々にとっては単なる日常でしかないのだ。
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領事館が開庁する9時を待ち、電話屋へ行った。
昨夜歩いた迷路のような細道の角を幾つか折れた所に、電話の看板を掲げた店があった。
極めて簡素なコンクリート造りの小部屋を覗くと、中には机が1台と椅子が1脚、その机の上に電話機が1台だけ置かれ、椅子には小学生と思しき少年が漫画本を読んで座っている。
店の番を頼まれているのか、大人の姿は見当たらない。
 「ナマスカール。長距離電話できる?」
 「何処へ?」
 「コルカタ。」
少年は何も言わずに立ち上がって椅子を勧めてくれた。
ガイドブックの巻末辺りに載っている緊急連絡先の頁を見ながらプッシュボタンを押して行く。
その間、少年は私の真横で頭が擦れ合うぐらいに接近して立っている。
何だろうか?
ジャパーニーの話すことにそんなに興味があるのだろうか?
5〜6回程コール音が鳴って、相手が出た。
 「Hello?」
その途端、少年は手に持っていたデジタル式のタイマーを押し、私に見えるように机の上に置いた。
なるほど、その為に耳を傍立てていたのか、と納得する。
 「Hello. Is that consulate of Japan?」
 「Yes.」
 「I lost my passport, maybe in Kolkata.」
 「…アノ、日本ノ方デスヨネ?日本語デオ願イシマス。」
なるほど、私はよほど発音が悪いらしい。
インド訛りの英語も相当聴き取り辛いじゃないかと悔しく思ったが、よく考えれば日本領事館に勤めているのだから日本語が話せて当たり前なのだった。
 「担当官ハ席ヲ外シテイマス。15分後ニモウ一度カケテ下サイ。」
机の上のタイマーは2分40秒。
 「15分後にまたかけるから、ここで待たせてもらえないか?」
と聞くと、少年はまったく表情を変えずに
 「Sure.」
とだけ短く答え、入口の縁に腰かけてまた漫画本を読み始めた。44
私はこの部屋から道行く人をカメラに収めたりして時間を潰し、あっという間に15分が過ぎた。
もう一度領事館にかけてみる。
 「ハロー?」
さっきの男だった。
 「先ほど電話した者です。パスポートを失くした。」
 「担当官ハタダイマ接客中デス。1時間後ニカケテ下サイ。」
なんといい加減な対応だろうか。
とは言え、そもそもパスポートを紛失する方が悪いのだ。
仕方なく街をぶらつくことにした。

ゴードリヤ交差点近くのマーケットへ行ってみた。
野菜や果物や服屋が道の真ん中で露店を繰り広げている。
5月のバラナシは暑い。
日差しも強く、乾燥した風が排気ガスと牛糞の匂いを運んでくる。
インドの男性はスカーフを首に巻いたり頭に巻いたりして日光を避けている。
私も1枚買ってみた。
アルカイダの一員が巻いていそうな白と紫の格子柄のスカーフ。
さらに何かの舞台衣装にでも使えそうな砂漠の旅人を彷彿させる服も買ってみた。
こうなったら1日だけでも思う存分バラナシを楽しまなければ損だ。
野菜売りに「ヘイ、ジャパーニー!」と声をかけられ、スイカを勧められた。
丸々1個勧められても食べられる筈がなく、4分の1にしてくれと言うと、値段も4分の1に負けてくれた。
当然と言えば当然だが、残りの4分の3を誰か買ってくれるのだろうかと申し訳なく思いながら、その場で平らげた。

そうこうしている内に1時間が過ぎ、電話屋に戻って電話をかけた。
また同じ男が出て、言った。

 「担当官ハ外出中デス。3時間後ニモウ一度カケテ下サイ。」

(つづく)

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March 04, 2012

Kumiko House.


けたたましいエンジン音を響かせながらオートリクシャーはガンガーに架かる橋を渡った。
左曲がりにカーブした所でバラナシ市街へと続く道と交差する。
その信号で停まるや否や、運転手は後ろに振り向いた。
 「宿は決まっているのか?」
 「あぁ。」
 「何処だ?」
 「クミコハウス。知ってるか?」
運転手は少し考え、頭を横に振った。
著名な日本人アーティストが多く泊まったと聞く「久美子ハウス」。
日本人旅行者が多数泊まっているであろうことに抵抗があったが、逆にそこまで有名なら敢えて行ってみたい気もした。
バラナシで3泊する予定だから、嫌になったら他に移ればいいのだ。

午後10時、バラナシ観光の起点とも言えるゴードリヤ交差点に着いた。
夜も更けた真っ暗な時間にも拘わらず、ナトリウムランプの黄色い照明で道は煌々と照らされていた。
水道管でも破裂したのか、工事中のフェンスで囲われた周囲は水で溢れぬかるみ、そこに異常な程人が集まっていた。
インド人もいれば外国人も多く、どうやら何事かが起こったのであろうことが容易に想像できた。
 「ここから先には行けない。誰かに案内してもらってくれ。」
オートリクシャーの運転手はそう言って私を降ろした。
誰かにと言われても誰に頼めばいいのかと困ったが、そんな心配は杞憂に終わった。
バックパックを担いで車を降りた途端、すぐに別の運転手が声をかけて来た。
 「ハローミスター。リクシャー?」
どう見てもまだ小学生という少年だった。
彼は小柄ながらも大人と同じ人力車を引っ張っていた。
 「クミコハウス、知ってるかい?」
と話しながらガイドブックを見せてみると、彼は小さな地図に食い込むように目を近付けて暫く見詰め、リクシャーの持ち手を地面に置いた。
 「カモン。」
彼は私をこまねいて歩き始め、暗い細道へと案内した。
道は細く曲がりくねり、三叉路に突き当たる度に彼は人に尋ねた。
道の両脇の建物は高く、雑然と様々な物が其処此処に置かれ、時に行き止まり、時に牛が寝そべり、幾つかの角を折れた時点で私は既に方向を失った。
それでもなお道は続き、もはやこの若い運転手にこの身を預ける他なかった。
この案内人がいなければ、私は朝までこの暗い細道で出るに出られず途方に暮れていたに違いない。
クミコハウスは川へと降りる階段のすぐ手前にあった。
開け放たれた扉から光が洩れ、その中で人影が動いている様子が窺える。
少年にチップを弾んで金を払い、私はその建物へと歩み寄った。

建物の入口は台所だった。
そこに体格の良い婦人と、さらに体格が良く灰色の髭をふんだんに蓄えた老人が座っていた。
女性は編み物でもしているのか、何やら手を細かく動かしている。
 「Excuse me. Can I stay here tonight ?」
と英語で話しかけると、婦人は手を止めて顔を上げ、私を見た。
 「こんな時間にかい?」
すぐに私を日本人と見た彼女は日本語で答えた。
なるほど、この女性こそ日本からインド人に嫁いだ「久美子さん」なのに違いない。
やや迷惑そうに話す彼女の言葉に、私は「すみません」と謝るほかなかった。
 「それじゃここで靴脱いで、パスポート見せて。」
上の階へと続く階段の下の下駄箱に靴を置き、たすきに掛けていた鞄からパスポートを出そうとした。
…が、無い。
バックパックを降ろしてパスポートを探した。
…が、やはり無い。
 「あ、あれ?確かに入れていた筈なんですけど・・・」
と慌ててバックパックの底の方まで探りながら、今朝の出来事に思いを馳せた。
昨日コルカタのホテルでパスポートを預け、返してもらう前にサダルストリートを探しに外へ飛び出した。
今日は早朝に急いでチェックアウトし、半ば寝呆けたフロントスタッフに金を払って、
Thank you, bye.と送り出された。
そのまま私は急ぎ足でフリースクールストリートを抜け出した。
つまりパスポートは返して貰えていない。
旅慣れていたつもりが、とんだ初歩的なミスを犯してしまったことに漸く気が付いた。
その経緯を久美子さんに話すと、彼女は呆れたように溜め息をついた。
 「じゃあ今日は泊まって、明日コルカタの領事館に電話しな。」
とりあえず1泊分の20ルピーを支払って、上の階へと案内してもらった。
2階はシングルルーム、3階は雑魚寝のドミトリーだった。
階段のすぐ手前にベッドが幾つか並び、数人が眠りに就いている。
その奥に卓袱台や本棚のある居間、さらにその奥もベッドの並ぶ寝室となっている。
後で説明を受けたところ、階段に近い寝室は病人用とのことだった。

 「どうもこんにちは。」
インドまで来て日本人旅行者の集まりに異様な社会感を覚えながら、新参者として取り敢えず丁重に挨拶をしてみた。
彼らは意外にもフレンドリーに近寄ってくれた。
 「パスポート失くしちゃったんですか!」
一通りの自己紹介などを終え、念の為に私はバックパックの中身を全部出してみたが、やはり見付かる筈がなかった。
 「何処で?」
 「コルカタ。」
 「あちゃー、コルカタ。それはもう出て来ないかもですね。」
他の旅行者もその言葉に同調する。
ここに集まる旅行者は皆若く、学生であったりフリーターであったり、もう何ヶ月も旅をしている者もいれば、私と同じく連休の間だけの者もいた。
パスポート探しを諦め、トイレに入った。
日本人経営の宿の割に「手で拭く」式のトイレであることに少々驚いたが、つまりここに集まる旅行者は皆若くして旅慣れた猛者なのだと得心した。
水量の頼りない粗末なシャワーを浴びて寝室を覗いてみると、皆思い思いに読書に耽ったり絵を描いたりしていた。
恐らく私はこの中で最年長だったに違いない。
なんとなく仲間に入り辛く、私は居間で寝ることにした。
板の間で背が少々痛んだが、窓から入る風と目に映るガンガーの景色が心地良かった。
音も無く流れる漆黒の川を見つめる。
何も見えないけれども、そこに川が流れているというだけで落ち着ける。
明日すべきことを考えながら、眠りに就いた。


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