June 2012

June 13, 2012

A long day in Varanasi. 3


津波の如く押し寄せる時間に溺れそうな毎日を過ごす。
退くことを知らない大波は溢れ、必死に息を継ごうと足掻く日々。
社長子息の次男坊と言えば人も羨む放蕩息子の様に聞こえは良いが、
実情は、偉大な父親亡き後の不安と恐怖に怯える毎日を送っている。
遠くない未来に備えて武具を身に纏おうとも、敵はその暇さえ与えない。
せめて今は残すべき旅の空気をここに書き留め、旅に出られぬ将来の自身に備える。
一日の終わりに発つ枕元からの旅のために。


70リットルのバックパックを背負い早足でガンガー沿いを歩く。
遠回りになるが、迷路のように入り組んだ道で迷うよりずっとマシだ。
夕方も近いというのに日光は刺すように照り付け、汗が噴き出す。
荷物の重みで途中よろけて危うく川に落ちそうになりながら野菜市場に出た。
オートリクシャーを拾って駅へ急ごうと思ったのだが、普段は執拗に声を掛けて来るのに、必要な時に限って見当たらない。
足を畳んで地面に伏した野良牛の呑気なあくびに意味もなく腹が立つ。
木陰に集まった3台のサイクルリクシャーの漕手らは、仕事をサボって話に興じている。
そんなのどかな空の下を一人焦って時間に追われる自分自身に、如何にもニッポン人的であると嫌気が差す。
不意に「ジャパーニー」と声を掛けられ振り返った。
サイクルリクシャーの青年がサドルに腰掛け、器用に両足をハンドルの上に投げ出していた。
 「ジャパーニー、何処まで行くんだ?」
 「バラナシ駅。急いでるんだ。」
 「ユーアーラッキー。オレはバラナシで一番速いリクシャーだ。」
エンジンで走るオートリクシャーに乗りたい所だったが、この頼もしい発言に、私はこの身を託したくなった。
韋駄天とはまさにこのこと、彼はひとたびペダルを漕ぎ出すと次々に他のリクシャーを追い抜かした。
振り向いて何か話しかけてくるものの、風でうまく聴き取れない。
恐らくスゲェだろとか言っているのに違いないと推測し、ホントだ、スゲェよ、ユーアーグレートなどと彼を褒め称えた。
前方の交差点が渋滞しているのを見ると彼はすかさず抜け道に入り、幾つか角を曲がると、先の交差点は既に遥か後方に見えた。
オートリクシャーが数台、渋滞に巻き込まれて苦戦しているのもお構いなしにこの青年は痛快に走る。
 「Yeah, Ha!」
勢いに乗った彼は馬でも駆るかのような声を上げると、スピードを落さずコーナーを直角に曲がった。
その瞬間、私の乗る荷台の左側がふわりと浮き上がった。
時間が止まったかのように感じた、ほんの一瞬の出来事。
あわや転覆かというところで私は左脚に全体重を乗せて踏ん張った。
浮いた車輪は地面に叩き付けられ、再び地を蹴りながら回り始めた。
走りながら彼は振り向き、私と目を見合わせた。
互いの無事を確認し合うと可笑しさが込み上げ、風を切りながら二人で笑い合った。


バラナシ駅に着くと、古くこじんまりとした駅舎の階段を上り、木製の扉を開けた。
外国人専用のツアーデスク。
外国人旅行者は一般人と肩を並べて列を成すことなく、ここで悠々と鉄道予約が出来る。
木の床に木製の調度品、ソファーなど、インド全土に鉄道を敷設した英国統治時代を彷彿させる落ち付いた空気が室内に流れている。
ここまで来ればもう何の心配もない。
部屋には白いTシャツの背丈のひょろ長い欧米人が一人、鼻下に髭を蓄えた担当官と話していた。
その男が「Thanks.」と笑顔を交わしながら部屋を出ると、担当官は私を呼んだ。
 「明後日のハウラー行きを予約しているんですが、今日の夜行に変更したいんです。」
と言って日本で予約していた切符を見せる。
彼はその切符を一通り見ると、尋ねた。
 「なぜ?」
ここの国民は何故いちいち理由を必要とするのか、思わず感心してしまう。
日本人と違い、他人であっても無関心ではいられないのだろう。
時計は6時を回っているが何も問題はない。
私は落ち着いて事の顛末を説明した。
彼は言った。
 「分かりました。ではこの切符は換金しますから、当日券売り場へ行って下さい。」
一瞬、彼の言った事が理解できなかった。
 「…え、ここで切符は貰えないんですか?」
 「ここは予約専用です。当日券はあちらへ行って戴かないといけません。」
そんな馬鹿なと半ば呆然としながら階段を下り、一旦駅舎を出てから当日券売り場へ向かった。
そこはイモ洗いでもするかのように男共が肌と肌を合わせながら密集し、前方の窓口に向かって隙間なく並ぶ地獄絵図だった。
気が遠くなる程の夥しい数の男共がワァワァと騒ぎながら押し合い圧し合いし、気を抜くと順番を抜かして横から入って来ようとする。
出来る限り隙を作らないために前の男の背中に胸を合わせ、それでも入って来ようとする輩には
 「Keep your turn !」
順番を守れ!と気合いで威圧する。
前方に窓口が十はあるのだが、右の方は開いていない。
見ると右側の窓口の上には、[一等車の方はこちらに。] と書いてある。
数人の男がそこに並ぶと、時間も遅いからか我も我もと一等車専用窓口に並び出した。
 「ここを開けろ。俺は一等車に乗るぞ。」
と声を上げる男がいたが、駅員は隣りの窓口から顔を出して言った。
 「今日はその窓口は開けない。こっちに並べ。」
無慈悲な命令口調に場はさらに混乱した。
一等車窓口に並んでいた男たちが大声を上げながら横から列に入ろうと圧力を掛けて来るところを何とか阻止しながら、どうにか切符を買うことが出来た。
切符を渡されて間違っていないか見てみたが、座席も車輌番号も書かれていない。
後の男が「どけ!」と言っているのも聞かずに駅員に尋ねると、
 「乗ってから車掌に相談してくれ。」
とのことだった。

午後6時35分。
汗臭い男共の群れから離れ、新鮮な空気を吸い込みながらプラットホームへと走る。
向かい側のホームに向かって陸橋を上る足取りは軽く、バックパックの重みも忘れかけていた。

scott_street63 at 02:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)  | 初インド旅記録