August 2012

August 14, 2012

A long day in Varanasi. 4


列車は既に入線していた。
座席が決まっていないものだから取り敢えず適当な車両に駆け込み、客室に入らず出発を待つことにした。
簡易な折畳み式の椅子が壁に誂えられており、助かったとばかりに私は荷物を床に下ろして腰を落とした。
扇風機も無いそこでは静かに待っているだけでも汗が噴き出すほど暑く、ペットボトルの水はもはや白湯に近かった。
激しく空腹を感じていたが、疲労の余り食欲が湧かない。
現地の子供に与えて写真を撮らせて貰おうと考え日本から持ってきたパイン飴だったが、ここで初めて封を開け、口の中で転がしてはペットボトルのぬるま湯を口に含み、ジュースにして胃に流し込んだ。

淡いピンクのパンジャビドレスを着た少女が客室から出て来た。
高校生ぐらいだろうか。
ホームから少女と同年代の少年が顔を覗かせ、二人は手と手を取り合った。
少女は少年の胸で泣き崩れ、少年は少女に優しく話しかけた。
ホームを吹き渡る風が桃色のスカーフをなびかせる。
夜の帳に包まれたバラナシ駅に出発を合図する警笛がこだますると、車輌は ごとん と重い音を立て、ゆっくりと進み出した。
少年は片手で手摺りに掴まってもう片方の手で彼女の手を取り別れを惜しんだが、やがて笑顔で手を離し、視界から消えた。
彼女は嗚咽を上げながら身を乗り出して後方を見つめていたが、頃合いを見て客室から出てきた父親がそっと彼女の肩に手を添えた。
轟音が鳴り響き、橋を渡ることを知らせた。
彼女ははっとして、先とは反対側の、私が座っている方の窓の格子にしがみついた。
ガンガーの水面に映る灯火が幾つも並んで闇に浮かぶ。
外をじっと見詰める彼女は、無言でガンガーに別れを告げていたのに違いない。
私も静かに暗い水面を見送った。

バラナシの隣り駅・ムガル=サライを出発すると、列車はスピードを上げた。
暫く停まる駅は無いということだろうか。
夜気を含んだ風が開け放たれた窓から流れ入り、渇きを癒してくれる。
窓から見える風景は草木のシルエットばかりで、あたかも闇を切り裂くように急行列車は走った。
客室からは時々談笑が聞こえて来たが、ここでずっと一人で静かに座っているのも悪くないかもしれない。
そう思っていたところで客室の扉が開き、車掌らしき制服を着た恰幅のいい男が来て私の前に立った。
 「Ticket.」
と語気を強めて私の前に手を出して来る。
私は彼に切符を渡しながら立ち上がった。
 「座席を指定したいんですけど。」
 「あんたの席は?」
 「さっきバラナシで買ったばかりで、席はまだ決まってないんです。」
彼は私の切符を一通り見た後、客室台帳のような黒いノートを開いて幾つかページを繰った。
 「空いていれば、A/C(エアコン)付き2等寝台がいいんですけど…」
私が追いかけてそう言うと彼は台帳を閉じ、彼が先ほど検札を終えて出て来た客室を指差した。
 「あの席なら空いている。」
指の先を眼で追ったが、どこの席か分からなかった。
 「どれです?」
 「一番手前の左側、扉を開けてすぐの席だ。」
しかし既に6人掛けの席に6人が座っている。
 「人が座ってるじゃないですか?」
 「かまわん。彼らには別の席がある。」
ホントだろうか?私は恐る恐る扉を開け、座っている6人に聞いてみた。
 「車掌がここに座ってもいいと言ってるんですけど、本当にいいですか?」
 「Of course. Sure.」
と快く答えてくれたものの、それでも彼らは一向に立ち上がる気配を見せない。
困惑している私を見て、彼らはただニヤニヤ笑っているだけだった。
 「…他の席は無いんですか?」
 「無い。」
無碍もない返事。
もしもここに座ると彼らから報復のような嫌がらせを受けるんじゃないだろうかと恐れて、なんとか別の方法はないものかと思案した。
天井では扇風機が音もなく回って風を送っている。
 「ここはFANじゃないか。A/Cじゃない。」
 「なぜA/Cじゃないといけない?」
 「暑いから。」
 「今夜は暑くない。」
確かに言われてみれば外から流れて来る風のおかげで暑くはない。
しかし暑いか暑くないかなんて個人差があるものじゃないか。
と思っても、車掌の余りにも堂々とした受答えにこちらの旗色が悪かった。
 「それに、この列車には初めからA/C車は無いんだ。」
最初にそれを言ってくれよ。
私と車掌のやり取りを6人の男達はやはりニヤニヤと笑顔を浮かべながら観察している。
 「じゃあもうあそこでいいです。」
と私が客室の外の折り畳み椅子を指すと、「No.」とハッキリ断られた。
 「そこは私の椅子だ。」
成る程。
もはや私には車掌が指定した席に座るほか道は無く、渋々OKと言わざるを得なかった。
車掌はつい先刻まで私が座っていた簡素な椅子に腰を下ろし、私から追加料金を取ると赤字で切符に何かを書き込み、再び立ち上がって彼らをその席から追いやった。
彼らは意外にも素直に本来の席へと戻って行った。

私は向かい合う3人掛けの座席―――つまり6人分の座席を独占することとなった。
頭の後ろには壁に埋め込まれた形で2段目のベッドが収納されている。
さらにその上には収納されることのないベッドがあり、赤字で書かれた座席番号からそこが私のベッドということだった。
私はバックパックを一番上のベッドに乗せ、チェーンロックで柱に括り付けた。
時間はようやく9時を回る頃だった。
コルカタ・ハウラー駅への到着予定時間は翌11時45分。
あと14時間の深夜行。
外は何も見えず、車内から投下される灯りが大地を照らしている。
ただひたすら響くレールの繋ぎ目に車輪の落ちる音が、まるで永遠に続くように思えた。


scott_street63 at 13:04|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 初インド旅記録 |