December 2012

December 16, 2012

Choice the way to a brilliant future.


家を買った。
築12年の中古マンションだが、勤務先に近い、いわゆる都心部。
購入は9月末だと言うのに、12月現在、未だに引っ越さず住み慣れた賃貸に居る。
ぼちぼちと準備を進めているのだが、学生時代の写真や交換した手紙などが出て来るとついつい読み耽り、捨てようか捨てまいかと悩んでは手を止めてしまう。
月賦と家賃とを支払いながら、時間は過ぎて行く。
人生は一生では足りない。
我々の生きる時間は短い。
生きている間にはあたかも無限であるかのように錯覚するが、人の死を思う時、己に残された時間の短さを実感する。
我々は全ての事をこの一生では為し得ない。
我々は選ばなければならない、何を為し、何を放棄するのか。
取捨選択の分岐点に立つ時、時には捨て去る覚悟を求められる―――心地良き安住の地を、助けを求めて伸ばされた手をも。
選べない私は、前へ進めず、後にも退けず、立ちすくむ。
もう何年も立ち止まっている。
その事実に気付いていながら、成す術をも見出していながら、微動だに出来ない。
眼前に立ちはだかる分岐点。
時だけは無情にも前へ進む。


ムアンシンにて―――。
窓から覗く空は今日もどんよりと曇っている。
朝食を摂りに隣りの市場へと部屋を出た所で、隣人である欧米人カップルに呼び止められた。
 「フエサイからタイに渡ろうと考えているんだが、ここからシェンコック経由で行こうかルアンナムター経由で行こうか迷っているんだ。」
と言って手に持っていた分厚いガイドブックの地図を開いて私の前に差し出した。
地図の上に置いた人差し指は現地点・ムアンシンを指している。
 「シェンコックへ伸びる道はどう見ても長いのに、ここから3時間、ルアンナムターから伸びる道は短いのに、6時間と書いているの。貴方はどう思う?」
女が私に尋ねた。
ルアンナムターからフエサイへのルートは今でこそ舗装されているものの、2001年当時は悪路中の悪路だった。
乾期で6時間だが、雨季は道がぬかるんで沼と化すため、その倍か、酷い場合は重機が到着するまで車中で一晩を過ごさなければならない。
ラオスを周遊していた当時はまさに雨季の最中の8月。
旅に出る前に収集した情報から、私はシェンコック経由で行くことを決めていた。
 「僕はシェンコック経由で行くよ。地図で見る限りでは長いけど、きっと緩やかなんだと思う。」
そう答えたが、二人はまだ決め兼ねている様子だった。

午前9時、シェンコック行きのソンテウに乗り込む。
曇天の下に広がる水田に沿って国道を暫く走ると、道は二手に分岐する。
左に折れて水田に挟まれた道を進むとルアンナムター、前方に密林の広がる道へと直進すればシェンコックへ辿り着く。シェンコックに続く道
やはりシェンコックへ向かう道が正解だったらしい。
路面は固く安定し、カーブは緩く苦にならない。
途中、酷いぬかるみに足を取られた車が何台も居並び渋滞したが、1時間もかからず抜け出せた。
雨季の北部ラオスでは上出来である。
密林を抜け、やがて民家が道沿いに現れ始めると終点は近い。
ソンテウは小さな村のどん詰まり、メコン川の船着き場で停車し、乗客は皆下ろされた。シェンコックでルアンパバーン以来のメコンと再会。シェンコックのメコン
100メートル程度の川幅を隔てて隣国・ミャンマーと接している。
雨季で増水したメコンだが、川幅が狭くなっても音も立てず静かに流れる。
標高が高いため川面の上に雲がかかり、より神秘的に見せた。

乗客の中に欧米人の夫婦がいた。
泥に足を取られてソンテウから降りた際に話したところオーストラリア出身らしく、長期休暇が貰えなかったから会社を辞めてこの旅に出たと言う。
タイへ旅行に来る夫の両親と落ち合うためにも、明日メコンを下ってフエサイへ行かなければならない。
しかし彼らの持つガイドブックにもこのシェンコックの情報は乏しく、何処に宿があるのか分からない。
とりあえず3人で散策して宿を探すことにした。
シェンコックは歩いて回れる程に小さな町だった。
宿泊施設は2軒しかなく、そのうち彼らは40,000kipのロッジを、私は20,000kipの宿舎を選び、また明日と言って別れた。

ゲストハウス

ロッジ

翌朝、船頭との料金交渉は難航した。
細い船にどデカいエンジンを積んだスピードボートの船頭が言った。
一艘貸し切りなら6,000バーツだと。
 「おかしいわよ、この本では一人500バーツだと書いているのよ。」
 「燃料が高騰してるんだ。そんな値段で行けるか。」
 「だからって1人2,000バーツなんてあんまりよ。500バーツじゃないと乗らないわ。」
 「嫌なら他の客が来るまで待ちな。来るかどうかも分からんが。」
女は強気一辺倒で引き下がろうとしない。
しかし相手も我々には船で行く以外の手段が無いことを知っている。
私は2,000バーツ出してもいいから早く船を出して欲しかったが、そんな事を言って仲違いする訳にもいかない。
そこで夫が口を開いた。
 「せめてもう少し負けてもらえないか?」
私は早く出たい一心で、上の空でそのやり取りを見ていたが、山間にカーブして消えて行くメコンの流れに心を奪われた。
 「Hey, 1人1,200バーツでOKだ。持ってるかい?」
一体どういう交渉をしたのか、6,000バーツが3,600バーツまで値下がった。
彼の妻はまだ不服そうだったが、私はすぐに支払った。

ボートは轟音と共に川面を飛ぶように発進した。
遠目に見ると静かに流れるメコンだが、流れは想像以上に速い。
おまけに水量も半端ではないためボートを揺らす波の力が強く、真正面から波とぶつかる度にボートは宙に跳び、すぐさま川面に打ち付けられる。
下手をすれば舌を噛みかねない。
私はいつ転覆しても良いようにこっそり靴紐を解いておいた。
1時間程走っただろうか、ボートは急に止まった。
川の真ん中で船頭はエンジンを2〜3度空吹かし、再び発進してはまた止まった。
まさかこんな所でエンジントラブルか?と危ぶんだが、船頭はまた何事も無かったようにボートを走らせた。
安堵したのも束の間、船頭はミャンマー側に停泊していた木造の貨物船の脇にボートを着けた。
大声で船主を呼び、顔を出した船主と何事かを話すと、彼は顔を引っ込めた。
そして船頭は言った。
 「エンジンの調子が悪い。俺は一旦戻るから、暫くここに居てくれ。」
 「暫くって、どれぐらい?」
夫が尋ねたが、船頭は焦ることもなく答えた。
 「I don't know.」
そう言って私らは何処の誰とも得体の知れないボートピープルに身柄を預けられることになった。
もしかして嵌められたのか?
一同呆然としながら、Uターンして帰って行くスピードボートを見送った。
出発前に相当揉めたこともあり、本当にまた戻って来るのかという不安が過ぎる。
己の選んだ道の顛末に、脱力し切って嗤う気力も起こらない。
静寂が間を埋める。
鳥の声すら聞こえない。
時折り木造船が音を立てて軋む。
妻がぽつりと呟いた。
 「Bye-bye, 1,000 Bahts.」
彼女の声は川面に落ちて空しく消えた。


scott_street63 at 08:02|PermalinkComments(2)TrackBack(0)  | ラオス