March 2013

March 08, 2013

Kolkata, Again.3


夕刻に降ったスコールが昇華し切らぬ内に迎えた蒸し暑い夜。
ニューマーケットの雑踏。
纏わり付く人いきれ。
混雑した通りで擦れ違う度に接触する汗に濡れた他人の肌、鼻に衝く体臭に苛立ちを覚えずにいられない。
日本の家族や友人らへの土産物をと考えて複数の店舗を収容したニューマーケットまで来たものの、どの店でも「ジャパーニー」と気持ち悪い笑顔を振りまく店員が執拗に話し掛けて来る。
落ち着いて物を見ることも出来ない。
いい加減に腹の立った私は、ケチで有名と聞く韓国人になり済ますことにした。
 「ヘイジャパーニー、コニチワ。」
 「NO ! I'm from Korea ! Never call me Japanee !」
と言ったところで、
 「Oh... ko,コニチワー。」
と少し発音を変えて話して来る程度なので、彼らにとっては日本人も韓国人も余り大差が無いのかもしれない。

チョウロンギ通りも人で溢れ、歩道脇に居並ぶ屋台が狭い歩道を更に狭める。
思うように前に進めず苛立っているところで、不意に背後から声を掛けられた。
 「ヘイ、ジャパーニー。」
若い男の声。
振り返ると、私と同い年ぐらいの大人しそうな青年だった。
 「今ひとり?一緒に歩かないかい?」
またこの手か、と嫌気を覚える。
思い返すと一日目に引っ掛かった時もこの辺りだった。
 「嫌だ。」
そう言って前に向き直って歩くと男は話しながら付いて来た。
速く歩いて振り解きたいが混雑ぶりに思うように進めない。
 「僕はネパールから買い出しに来たんだ。チャイでも飲まないかい、ジャパーニー?」
 「要らない。」
 「ジャパーニー、おみやげは買ったかい?良い店を知ってるんだ。ぜひ紹介したい。」
 「要らない。」
角を折れてチョウロンギ通りから外れても男はしつこく付いて来る。
 「腹は空いてないかい、ジャパーニー。」
余りのしつこさに苛立ちも募り、私は立ち止まって真っ直ぐ彼に向き直った。
 「二度と俺をジャパーニーと呼ぶな。俺は韓国人だ。俺の名前はパクと言うんだ!」
そう言ってしまえば諦めてしまうだろうと思ったが、彼は目を丸くして驚いたように見せ、そして言った。
 「コリアは北かい?それとも南?」
 「当然南だ!」
どうやら何も効果は無かったらしい。
最早この様な輩にはまともに相手をせず無視に限る。
再び早足で歩き始めたが男はしつこく付き纏う。
 「ヘイ、コリアンガイ、おみやげは買って帰るんだろう?」
 「君は英語が上手だね。」
 「インドは初めてかい?」
色々と聞いてくるが何も応えずまた角を曲がったところで、「ヘイ、ジャパーニー。」と突然左脇から声を掛けられた。
 「ジャパーニー、僕を憶えてるかい?」
立ち止まって見ると、声の主は一日目に私を引っ掛けた自称バングラディシュ出身の青年だった。
彼は落ち着いた声で話した。
 「僕はあの朝君のホテルまで行ったんだ。なのに君はチェックアウトした後だった。」
もはや観念するしかない。
私は素直に謝ることにした。
 「ごめん。実を言うと、あの日本語を話す男が良い人間に思えなかったんだ。」
 「…良い勘してるね。約束を憶えてるかい?今度は僕にチャイを驕ってくれることになっていた。」
 「もちろん憶えているさ!チャイを飲みに行こう。近くに良い店は知ってるかい?」
彼は空に映る地図でも見るかのようにやや上を向いて思案した後、「こっちだ」と言うように右手を振って合図した。
自称ネパール出身の男はいつの間にか何処かへ去っていた。

ナトリウムランプの黄色い灯りに照らされた夜道を連れ立って歩く。
薄暗いけれどもぽつりぽつりと点在する店が昼白色の光を投じ、ナイトライフを楽しむ若者が闊歩する。
気怠そうな若い店員の頭上で煌々と輝くパステルカラーの看板だけが、若い男女を呼び込まんと奮闘している。
彼が案内したチャイ屋は、そんな中にありながら、コンクリートを打ち付けただけの地味な店だった。
適当に並べられたボロいテーブルの下に押し込まれた丸いパイプ椅子を引き出し、約束通りチャイを2杯注文した。
程なくして緑がかった耐熱グラスに注がれたチャイが運ばれ、ずっと無言だった彼が口を開けた。
 「日本も今は暑いのかい?」
 「いや、今は一番過ごしやすい時期だ。日本が一番暑いのは8月さ。」
 「インドとは違うんだね。暑い時期で何度ぐらい?」
 「一番暑くて36℃ぐらいだと思う。」
ひと口チャイを飲み、また口を開いた。
 「日本では月に幾らぐらいサラリーを貰えるんだい?」
 「25万〜35万円ぐらいかな。」
 「ドルで幾ら?」
 「2,000〜3,000ドル。」
 「そんなにも…」
 「でも税金も物価も高いから、ちっとも金持ちにはなれないのさ。」
 「日本の人口はどれぐらい?」
 「だいたい1億5千万人ぐらい。」
 「日本の冬ってどんなの?」
 「日本の…?」
 「日本では…?」
彼は矢継ぎ早に日本についての質問を繰り返した。
一頻り質問を終え、チャイを飲み干したところで、最後に彼は物怖じるように訊いた。
 「日本のお金を貰えないか?」
これはインドで出会った数人からも訊かれたのだが、残念ながら日本円を入れた財布はホテルのセキュリティボックスに置いて来てしまった。
 「ごめん、いま日本円は持ってないんだ。代わりにこれはどうかな?」
と言ってバンコクで買ったドラえもんの腕時計を出してみた。
やはりインド人はドラえもんを知らないのか、彼は腕時計を持って不思議そうに見回した。
 「これ、本当にいいのかい?」
とても手に入らない物を貰えることを驚いたように彼が尋ねた。
 「君が気に入ったのなら、喜んで。」
 「Thank you. Thank you very much.」
よほど嬉しかったのか、彼は感謝の言葉を繰り返した。

店を出て彼と別れた。
彼が本当にバングラディッシュの出身かどうかは最後まで分からなかったが、最後に彼と再会できたこの縁に、私の初インド旅は思い残すことなく締め括られた。
 「Good-bye.」
と手を振る彼の手には、早くもドラえもんの腕時計が巻かれていた。


scott_street63 at 12:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0) | 初インド旅記録