December 2015

December 31, 2015

Translator.


世界の狭さに辟易する。
趣味の域を超えもはや責任感だけで努めていた市民楽団を退団した今、私の世界の大部分は徒歩約5分の通勤圏内に限られている。
一日の大半は陽の当たらない狭い事務所で終業まで過ごす。
大掃除で出てきた愛らしい幼児だった自分の写真を眺めていると、まさかその35年後にビルよりも高い高速道路の行き交う都会に居を構え、年度末の決算に向けて節税に頭を悩ませながら大晦日を迎える日が来ようとは夢にも思えない。
2〜3ヶ月に一度、奈良から出てくる後輩から買い物ついでに茶や晩飯に誘って貰えるのがたまの息抜きか。
とは言え、つい3ヶ月前には妻からの許しを得て1週間近く単身旅行に出ていたのだから、贅沢な我儘なのに違いない。
夫の実家の家業に勤める妻にも息苦しい生活を強いている。
正月くらい実家から離れて河岸を変えようと、先週になってまだ空いている宿を必死に探し出した。
この年末年始は妻と二人で旅に出る。
二泊三日の伊勢参り、豪華海鮮料理と松阪牛付き。
子を持たぬ代わりに将来の希望を捨てたディンクスなのだからと、子を持つ世の同世代に許しを請いたい。


北京から空路約4時間、雲南省麗江は既に夜を迎えて久しかった。
山間の高地ゆえ若干空気が薄く感じるのは単なる気のせいか、麗江は標高2,400M程度に過ぎない。
空港を出ると、途端に客引きが押し寄せた。
多くは非正規の白タクだろう、正規のタクシーは運転席に座ったまま大人しく整列して客を待っている。
 「グジャン?」
年配の女性が他の客引きを掻き分けて話し掛けて来た。
恐らく古街の事だろうと思い、
 「是的。(そうだ。)」
と短く答えると、彼女は群衆の外で待つ若い男に私を引き渡した。
男は何事かを話して私の背を押し、一般駐車場に停めてあるRV車に私のバックパックを乗せると、ハッチを閉め、さらに私の背を押して駐車場の外まで連れ出した。
 「ここで待っていてくれ。すぐに迎えに来る。」
とでも言ったのだろうと解釈し、一抹の不安を覚えながら暗い道路脇で待った。
恐らく白タクの客引き行為をカムフラージュするための工作なのだろう、程なくして彼は車に乗って私の前に戻ってきた。
 「等一下。到古街多少銭?(ちょっと待て。古街まで幾らなんだ)」
 「・・・ハングォ?(韓国?)」
 「リーベン(日本)」
中国人でないことはすぐにバレた。
しかしなぜ海外では東洋人を見るとまず韓国人と思うのだろうか。
 「100元。」
 「太貴!(高すぎる)」
日本人と聞いて吹っかけて来たのかと思ったが、果たして中国人にとって韓国人と日本人の間に差があるのか、甚だ疑問でもある。
 「不貴。△◆××⚪︎■......」
高くないと言ったのは解ったが、その後はさっぱり理解出来ない。
その様子を見て彼はスマートフォンを取り出し、受話器に向かって同じ言葉を繰り返した後、私に画面を見せた。
 『100元は正規の料金です。正規のタクシーなら空港の駐車料金まで請求されます。』
という内容が英語で表示されていた。
彼は翻訳アプリを使用したのだった。
なんと便利な時代になったものだろう。
そして私は英語でスマホに話し、彼に渡すと今度は中国語に翻訳されて表示される。
 『貴方の言ったことを理解した。100元で了承する。』
実際にボッタクられているのかどうかは分からないが、日本円で2,000円弱なら妥協できる範疇だった。

夜の街道を駆る。
抜け道なのか彼は途中で幹線道路から逸れ、曲がりくねる未舗装の山道を駆け下りた。
走りながらスマホを介した会話は続いた。
 「旅行?麗江は初めて?明日一日ガイドしてあげるよ。」
 「初めてだけど、時間が無いんだ。明日の朝にはバスに乗って香格里拉(シャングリラ)に行くんだ。」
 「なぜ?麗江には見るべきものが一杯あるし、自分なら車でどこでも案内できる。玉龍雪山も虎跳峡も見たことがないだろう?」
彼の熱烈な商魂に押されそうになる。
彼も家族を養うために必死なのだろうが、こちらも限られた時間を有効に使わなければならない。
 「美しい景色には興味がないんだ。俺は明後日には徳欽に行きたいんだ。」
 「分かった。じゃ香格里拉まで明日案内するよ。」
 「ありがとう。でも自分で行きたいんだ。」
そこまで言うと、男は車を道路脇に停めた。
もう市内に入っているしホテルも近いはずだ。
もしかして怒らせたのか、あるいは今から恐喝されるのかと怖れていると、彼はまたスマホの画面を見せた。
 「君の中国語ではこの先の旅行を続けることは無理だ。バスのチケットも買えないだろう。」
確かにそうかもしれない。
今まで各地で切り抜けて来れたのは、最悪な場合でも英語が通じたからだろう。
とは言えこちとらその程度の中国語は勉強して来ている。
どうしても通じないなら筆談すればいい。
 「問題ない。早くホテルへ連れて行ってくれ。」
諦めたのか、彼は素直に車を発進させた。

予め予約しておいたホテルに着いたらもう10時を回っていた。
安宿だけに、フロントではカジュアルな私服の女子が3人固まって談笑していた。
 「晩上好(こんばんは)。インターネットで予約していたんですが。」
と言ってもやはり通じない。
そこで私も翻訳アプリで中国語を表示してパスポートを見せた。
彼女は引き出しを開けて予約リストを探した後、彼女もまたスマホの画面を見せた。
 「没有(ありません)。貴方の予約はキャンセルされました。」

それはともかく、意思疎通が図れただけでも僥倖。
これがあればもはや行けない所は無い。
また一つ世界が拡がった。


scott_street63 at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) | 中国