May 2016

May 11, 2016

On the way to Lost Horizon.


早朝のバスターミナルは薄暗く、肌寒い。
各方面への出発時刻を報せる掲示板の文字だけが煌々と橙色の光を眩く放ち、下から上へとスクロールしては消えていく。
コンクリートを剥き出した簡素な待合室は、様々な土地に向かう乗客で溢れていた。
買出しに来ていたのか麻袋やダンボール箱を幾つも足元に置く男、仕事に行くのか作業着の男、床に腰を下ろして夢中で話す婦人ら。
停留場から出発を告げる男が館内に向かって頻りに大声を張り上げる。
その中でカラフルな服装に身を包む若者らが、その異色ゆえに浮いている。
様々な地域から集まったバックパッカーらだが、日本人はおろか欧米人すら見掛けない。
皆、中国の各地からやって来たように窺える。
この中では恐らく私が最年長だろう。
四十を過ぎて単身旅行に出るなど、真面じゃないのかも知れない。
 「徳欽(ドゥーチン)!」
停留場からの声に立ち上がる。
異色の集団が皆一斉に停留場へと向かう。
バスの乗客はバックパッカーと数人の中年男性、そして三人のチベット仏僧だった。

バスターミナルを出て街中を走る。
私の隣の若い女は窓外に目を向けることもなく、バスに乗り込んでから終始俯いたままスマートフォンを打っている。
携帯電話事情は日本であれ中国であれ変わらないらしい。
バスは街を出るとすぐに坂道を上り始めた。
標高約2,500メートルのシャングリラから徳欽へ向かう途中には、標高4,300メートルの峠越えが待っている。
一時間ほど経過した頃、左側の窓から雄大な大平原が道路脇の障壁に阻まれつつも見え隠れし始めた。
カーブを曲がりながら急勾配を上った時、広大な湖に続く平原が見渡せた。
ナパ海だ―――と思ったのも束の間、ナパ海はそれきり見ることはなかった。
道路脇に展望台があったようだが、定時運行している公共機関が立ち止まる筈もない。
若い旅行者らは皆、名残を惜しみつつ首を後ろへ伸ばした。

バスは金沙江に沿って走る。
メコン(瀾滄江)、怒江の大河と並んで交わることなく直近を流れる三江併流の一河川。
その畔の食堂で小休止となった。
赤茶けた肌を露わにした山が眼前に迫る。
コカコーラの赤いベンチに腰を下ろして煙を燻らせている運転手に話しかけた。
 「私はこのホテルに行きたいです。貴方はこのホテルを知っていますか。」
予め印刷していた地図とバウチャーを見せてみた。
 「このホテルは徳欽までの道の途中にあります。私をここで降ろしてもらえませんか。」
運転手と並んで三人の男が紙に見入ったが、三人とも
 「不知道(知らない)。」
と口を揃えた。
再び出発となり、バスに乗り込む。
 「What did you ask him ?」
通路を挟んで隣りの女子が英語で尋ねてきたので驚いた。
 「英語話せるの?」
 「私たちホンコン出身だから。」
そこで再び地図とバウチャーを見せてみると、周囲の旅行者らも集まってきた。
私を置いて中国語で議論が始まった。
 「看板がある筈だから、そこで降ろしてって言えばいいのよ。」
と彼女が皆の意見を通訳してくれた上、運転手に掛け合ってくれたが、
 「ダメだ、ダメだ。」
と一蹴された。
融通が利くものと思っていたが、時刻表を遵守する定期運行なのだから仕方ない。
徳欽からタクシーでも拾うしかない。
 「走巴。(行くぞ)」
と運転手が一声上げ、バスは再び走り出した。

バスは更に坂を上り続ける。
右手に展望台の看板が掛かっていた。
金沙江が山に沿って大きくカーブを描く「金沙江大湾」。
シャングリラ県の大きな観光スポットとしてどのガイドブックにも必ず掲載されている。
言うまでもなくバスは素通りして行く。
旅行者は少しでも見えないものかと大きく首を後ろへ伸ばしたが、展望台に妨げられて一目たりとも見えることはなかった。

山深い道を走り続ける。
こんな所でも完全にアスファルトで舗装され、定期的に整備されているのか凸凹もない。
これがラオスならば信じられない。
しばらく走り、カーブを左に曲がったところで歓声が上がった。
植林された緑の山が切れ、万年雪を被った岩山がおもむろに現れた。
白馬雪山(標高5429メートル)。
幾つかの峰が連なっているが、総称して白馬雪山と呼ぶらしい。
その美しさに息を飲む。
ホンコン女子が何事かを運転手に言ったが、先と同じ言葉で「ダメだ、ダメだ」と断られていた。
白馬雪山は間もなくして山に隠れたが、また暫くして再び現れた。
今度は先刻よりずっと視野が開け、更にダイナミックな景色が眼前に拡がる。
ホンコン女が再度何かを運転手に訴えかけると、今度は呼応するように車内の若者らも騒ぎ始めた。
仕方なく運転手は勾配の途中でバスを停めた。
 「休憩!写真を撮りたいヤツはさっさと撮れ!」
とでも言ったのだろう、乗客はみな我先にと立ち上がって車外に躍り出た。
大口径のレンズで何枚も撮る者、山を背景に友人と交代で撮る者、自撮り棒で一人で撮る者。
見るとチベット仏僧も満面の笑顔とピースサインで撮り合っている。
縁石に腰かけ煙草を吸う運転手が、抜けるような青空に向かって白い煙を吹きかける。
峠を上る道すがら。
坂道はまだ続く。


scott_street63 at 22:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)  | 中国