November 2017

November 26, 2017

Trek to Yu-Pong-Cheon.


朝、靴紐をフックに掛けながら足首まで力強く縛り上げると、俄然意欲が湧き上がる。
窓から見える空は藍のように深く青い。
日本から持って来た携行食品で朝食を済ませてロビー兼食堂に下りると、乗合タクシーの運転手がちょうど迎えに来たところだった。
南宗峠を越えて雨崩村(ユーポンチョン)へのトレッキングに挑む。

我々を乗せた軽ワゴン車の乗合いタクシーは、青い空に浮かぶ白い稜線を眺めながら滑走するようにメコンに向かって谷を降下していく。
3,600メートルの展望台から一気に2,100メートルの谷底へ。
最近になって判ったのだが、一昨年私が訪れたのは梅里雪山の登山口ではなく、明永氷河へのハイキングコースなのだった。
メコンを渡り右へ行くとその明永氷河への道に進むが、今回は左に折れてメコン川に沿って走る。
西当村と書かれた民家の間を縫って坂道を上った所に今回の登山口はあった。
登山口にはロバが繋がれて客を待っている。
麓から登山道の途中に設けられた駅までロバに乗って登れるらしい。
途中の駅でロバを乗り継げば、我が足で歩かずとも登頂することが出来る。
同じ車に乗り合わせた若者らはロバに乗ろうと御者と交渉し始めたようだが、私は構わず山道に踏み出した。

友人と談笑しながら登山を愉しむ幾つもの若者のパーティに囲まれながら、一人黙々と歩く。
毎日事務所で一日を過ごす四十を越えた身体には中々辛い。
前回の教訓を踏まえ、今回の旅に向けてジョギングシューズを買っては市内を走ったり、登山靴を買っては山を登ったりしてある程度身体を慣らしたつもりではいたが、この山の頂上は標高3,780メートル。
大阪最高峰の金剛山は1,200メートル程でしかない。
金剛山で慣らした身としては、歩けども歩けども気が遠くなる程に上り坂が続く。
途中、林道の合間からメコンが見えた。
次にメコンを見るのは雨崩村を越えた帰り道になるだろう。
ここで暫しの別れを告げて、再び黙々と歩き出す。
息を荒げながら、とにかく足を前に出すことだけに集中する。
巡礼とはこの様なものなのかも知れない。
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼を思い浮かべる。
フランスからピレネー山脈を越えてスペインの北西端の聖地まで、果てしない距離を黙々と歩き続ける。
雑念すら浮かばぬ程に身体を酷使しながら何日もかけて聖地への到達を目指す。
北京までの機内誌で特集されていたのだが、それによると「スペインに愛された偉大な画家いわく、巡礼の目的は聖地への到達ではない、巡礼すること自体が目的なのだ」―――つまりたとえ途中で頓挫を余儀なくされたとしても、既に目的は果たしているのだ。
そう思うと、頂上まで登らず諦めて下山しようかと心の迷いが燻り始める程に辛い。
 「ニーハオ。」
山腹にある牧場を傍目に歩いていると、不意に話し掛けられた。
男はさらに話し続けたが、まるで解らない。
 「ごめん、中国語は解らないんだ。」
と決まり文句の様に憶えた中国語で回答すると、今度は英語で話しかけてきた。
 「Where are you from ?」
 「Japan.」
彼は、おぉ!と喜んで見せて、傍にいた男を紹介した。
この土地を旅して初めて見た日本人だった。

 「毎日事務所で過ごしてるから、この山道はキツいね。」
などと言って己の体力の無さを弁解すると、
 「自分もです。こないだ市民マラソンに参加したら、走り出した時点で身体が鈍っているの実感しましたね。」
と彼も同調したが、マラソンに参加して完走している時点でもう基礎体力の差を見せつけられる。
その彼がしんどいと言う山を私も登る。無茶な挑戦だったのだろうか。
とは言えここまで登ると、引き返して下山するのもさらに疲れる。
 「どこまで行くんですか?」
 「雨崩村まで。」
 「自分もです。ここまで来る途中にさっきの彼と話してたら、殆どみんな登頂したらそのまま下山するみたいで、単に登山を楽しみに来たっていうか、ハイキングみたいなもんみたいですね。」
雨崩村は自動車も入れないドが付く程の田舎村だ。
そんな所を有難がってわざわざ訪れるのは、物好きな中国人か外国人ぐらいしかいないだろう。
話を聞いていると、彼は国内で登山中に岳友会の人間と親交を持ち、そこで梅里雪山で起きた史上最悪とさえ言われる日本人登山隊の事故を聞いたらしい。
彼はリュックの中から一冊の本を出して私に見せた―――『梅里雪山 十七人の友を探して』。
 「ぼくのバイブルですね。」
休憩を終えると、彼は足取りも軽く再び山道を登り始めた。
マイペースで行くからと、私は彼に先に行くよう促すしかなかった。

再び山道を歩く。
砂利を踏む音と自分の荒い息が大きく聞こえる。
見回すと、談笑していた若者たちも言葉少なく黙々と歩き、パーティから取り残されたのか一人で歩く者もちらほらと見かける。
もう3000メートル地点は越えただろうか、傾斜が更に上がり、数歩歩く度に休憩を入れた。
吹き出す汗が顔面を伝って地に落ちる。
多少は平坦な道があってもおかしくはない筈だろうに、カーブを曲がる度にまた上り坂が眼前に立ちはだかっては愕然とする。
とにかく足を前に出しさえすればいずれ山頂に着くと己を励ましながら、一歩、また一歩と足を運んだ。
山小屋があり、そこがほぼ山頂であると知った。
山小屋ではインスタントラーメンが販売され、火の番をしている男が登山客に湯を注いでいる。
日本人の彼とはここで再会した。

昼食を挟み、二人で歩き出す。山の向こう側へ。
下山の途すがら、梅里雪山連峰が有無を言わさぬ迫力でもって眼前を覆った。
彼はメツモやジャワリンガなど各山峰の名称を口に出しては子供のように喜び、何度もシャッターを切った。
下山の道は急勾配が続く。
危なげながら慎重に足を運び、幾重ものカーブを曲がると、眼下に小さな集落があった。
若草色の地と点在する民家。
正しく雨崩村だった。
山頂までの登り坂ではカーブの度に何度も期待を裏切られたものだったが、今度は間違いがなかった。
山に囲まれた猫の額ほどの小さな盆地に拓かれた村。
自動車が入れない未開の村とのことだったが、しかし眼下では近年になって増加した外国人観光客に宛ててのことか、屋根に大きな文字で登山客を呼んでいた。
屋根には英語で「Wifi Free📶」と書かれているのだった。

Roba
Mekong below
Top of MtNansoMan taking photo
Yu-Pong-Cheon


scott_street63 at 17:29|PermalinkComments(0)  | 中国