May 2020
May 24, 2020
4,000 Islands.
メコン川は中国青海省を源流に、ラオスとミャンマー、タイとラオスの国境を隔ちながら、カンボジアを経てベトナムで南シナ海に流れる約4,000kmに及ぶ大河だ。
ラオスとカンボジアの国境をも成し、そこは世界一の幅を誇る滝となっているのだが、滝の手前では川幅が14kmにまで膨れ上がる。
その川幅の中には4千以上の大小様々な島が点在し、それらの島を纏めて「シーパンドン(4千島)」と呼ばれる。
大きい島には人が住んでいるのだが、今回は4千の島の中でも最南端のコーン島を目指す。
パクセーから144km。途中2度の休憩を挟みながら終点ナーカサンに着いた時には既に午後5時を回っていた。
バスターミナルと呼ばれる広場から傾いた夕陽に向かって真っ直ぐ歩くと、茶色く濁った湖が水平線まで眼前に拡がった。
否、湖ではなく川なのか。
河口でもないのに島以外の対岸が見えない程に広い。
川端に渡し舟の小屋があった。
窓からぶら下げられた時刻表では最終便は5時半。間に合った。
「コーン島まで行きたい。」
と小屋にいた男に尋ねると、
「もう終わったよ。」
と如何にも面倒臭そうにこの新しい客をあしらった。
「最終は5時半て書いてあるじゃないか。」
「・・・一人?85,000kipだ。」
「タイバーツで300でいいか?」
自国の通貨を信用しないラオスでは外貨での支払いが通用する。
タイバーツか米ドルに限られるようだが、最近では人民元も扱われているようだ。
ナーカサンに着いて両替所を見てみたが、日本円の記載は無かった。
男は300バーツを受け取ると、「ここで待ってな」と言ってチケット代わりの領収書を私に渡した。
河岸を見下ろすと船乗りの男たちが談笑している。
ビアラオの黄色い通し函が流通せずに山積している。
皆早く仕事を退けて一杯やりたいのだろうが、誰も川岸から上がって来ない。
かと言って男が川岸の船乗りを呼びに下りる気配もない。
終業時刻が刻々と迫っている。
「どれだけ待てばいいんだ。」
痺れを切らして質問すると、舌打ち交じりに漸く重い腰を上げた。
男は窓から川岸を見遣り、
「下に行ってチケットを見せな。」
と、さも煩わしそうに言った。
結局彼は案内するつもりなど無かったのだ。
時間切れになることを望んでいたのだろうか。
岸に下りて船乗りに話すと、意外にもすんなりと乗せてくれた。
大きなエンジン音を伴って広い広い川面を進む。
余りの広さに下っているのか上っているのか、どちらが東で南なのやら判別がつかなくなる。
右手の島に集落が見える。
左手には人が一人立つのがやっとな小島が浮かぶ。
藪だけの島、誰も住まない島・・・大小様々な島が浮かぶ中を、船頭は着実に舵を操った。
大きな島に錆びた鉄橋が川に向かって寸断された形で建っていた。
ガイドブックでも見たが、大戦中に仏国軍がカンボジアまで鉄道を通そうと計画したものの、滝の激しさに断念したものらしい。
ラオスには戦争の痕跡を未だ残している所が多いが、ベトナム戦争の戦地でもあったことは余り知られていない。
約30分の船旅を経てコーン島に上陸する。
もう空が薄暗い。
コーン島は四千の島々の中で最も南に位置し、カンボジアとの国境に最も近い。
船着場はコーン島の最北端に位置していたが、今回予約していたゲストハウスは最南端に建っている。
川岸から階段を上った所の食堂でバイクタクシーを頼んだ。
「すみません。ポメロゲストハウスに行きたいんですけど。」
食堂に座っていた婦人と小学生ぐらいの娘が私に目を向けた。
「今からかい?」
婦人が驚きなのか迷惑なのか、どちらとも取れない表情を見せた。
「すみません、今日予約してるんです。」
「しょうがないね、連れてってやりな。」
と彼女は娘に言うと、娘は喜んで表に停めてあったシクロのバイクに跨った。
まさかこの10歳程度の女の子の運転で行くのか?
「いつもの所だよ。」
とでも言ったのか、婦人は娘の背に言葉を投げた。
よく揺れる未舗装の道を走る。
宿は北部に多いらしい、欧米人の集まる洋風の食事を出す食堂が多く(と言っても3〜4軒)固まっていた。
ゲストハウス街を行き過ぎて程なく、娘は一軒の店の前でシクロを停め、店の中へ姿を消した。
居酒屋だろうか、時折り大きな笑い声が外にまで響く。
間も無くして一人の男が少女に連れられて出てくると、私を一瞥してバイクに跨った。
「どこ行くんだって?」
酒臭い息が鼻を衝いた。
「ポメロゲストハウス。」
「遠いぞ?」
質問なのか単なるメッセージだったのか、男は私の回答を待つこともなくアクセルを回した。
街灯の無い真っ暗な畦道を、男はヘッドライトと月明りだけを頼りに踏み外すこともなく走った。
言うだけあって確かに遠い。大きな島だ。
北部と南部の間には民家など無く、ただただ畑とジャングルが続く。
最南端の島の最南端に胸が躍る。
もし目に見えるものであれば国境のラインが見えるかもしれない。
月夜の下、鬱蒼と茂る樹々のシルエットが風に流され揺れている。
シクロはまだ止まらない。
May 02, 2020
On the way to Nakasan.
今年こそはと計画していたインド旅行は、またも潰えた。
豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号の帰港以来急速に全国に拡散された病疫は、見る間に世界に広がり人々を恐怖に陥れ、二十万を超える生命を奪いながら、まだ飽き足りないように今も猛威を奮っている。
それまで未曽有の海外旅行ブームによるインバウンドで沸いていた商店街は今や息を潜めるようにシャッターを降ろし、外国人ツアーで日本を案内していた旅行会社は倒産へと追いやられ、国内に収まらず世界が経済恐慌へと導かれて行く。
「感染国」のレッテルを貼られた日本人は国土から出ることも出来ず、ゴールデンウィークと呼ばれる5月の連続休日は外出自粛の暗い日々へと変貌することだろう。
今年の休暇は大人しく家で過ごしながら、旅の空を懐かしむことにしようと思う。
「ちょっとちょっとちょっと、そこの兄さん、待っとくれよ。」
トラックバスの荷台に乗ろうと手すりに手を掛けた私に向かって、籠を抱えた婦人が大声で駆け寄ってきた。
「パン買わないかい、パン。」
ラオスのパンと言えばフランスパンのバゲットが定番だと思っていたが、婦人が抱えている籠の中には、日本でも見かけるようなメロンパンやクリームパンなどの菓子パンが、それぞれ包装されて並んでいた。
「すぐそこの工房で焼いてるのよ。今朝の出来立てだよ。」
とでも言っているのだろう、婦人は後方を指差しながらラオ語で捲し立てた。
「要らない。」
と知っているタイ語で返すと、
「そんなこと言わないで。ナーカサンまで行くんでしょ。途中でお腹空くわよ。一つどう?」
ラオ語は解らないのだが、婦人が余りに押してくるものだから、凡そ私の理解で間違えてはいないだろう。
婦人の勢いに気圧され、結局クリームを挟んだ四角いパンをひとつ買った。
手にすると思いのほか重い。
食べきれるだろうかと不安に思いながら、婦人は漸く私を解放してくれた。
荷台には女性ばかり居た。
皆家庭を持っているであろう歳の頃で、一人の女性は幼い姉妹と座っていた。
買い出しの帰りなのだろうか、その割には車内に大きな荷物は余り見えない。
姉妹の写真を撮らせてもらおうと母親に尋ねてみた。
「可愛いですね。写真を撮ってもいいですか。」
女性は驚いたように、「え、ええ、どうぞ。」と承諾してくれたものの、写真に撮った姉妹の表情は強張っていた。
若い頃はよく子供の写真を撮ったものだが、もう四十半ばともなると、ただ気持ち悪い中年男性にしか見えないのかもしれない。
悲しい現実だ。
道はなだらかな一直線だった。
緩い勾配で僅かに下っているようにも感じる。
アスファルトではないが、凹凸の少ないコンクリート舗装で快適と言えよう。
ただ蒸し暑さだけは耐え難かった。
座っているだけでも服の下で汗が滲む。
乗客も皆静かに耐えているように窺える。
姉妹は母親の腿に頭を乗せて眠っていた。
途中、車がスピードを落として停止した。
皆はっとして目を覚ます。
後方から一人の男が走って車を追い駆けていた。
新しい乗客だった。
来客の刺激に目を覚ました乗客は、少しの間持っていた菓子や果物を食べたりしたが、すぐにまた茹だるような暑さに静まり返った。
道はひたすら真っ直ぐに下っている。
途中、意外にも新しい、ラオスという国には似つかわしくない奇麗なドライブインがあった。
ただ貧しいだけと思えていたこの国も発展しているのだろう。
しかしバスは停まることもなく通過した。
突然大きな声で数人の女性が追い駆けて来た。
それぞれ手に籠を提げている。
鶏を串に挟んでタレを浸けて焼いたガイヤーンだった。
運転手は車を停め、運転席から手を伸ばしていた。
乗客も二人、買っていた。
ちょうど小腹が空いた頃だったから魅惑的に見えたが、自分には先ほど買った菓子パンがあった。
折角なので千切って食べた。
再び蒸し暑い中を駆る。
恐らくコンクリートからの照り返しも影響しているのだろう、空は憎い程の快晴で、雲に隠れることなく太陽が輝いている。
じわじわと沁み出た汗が顔面を流れ落ちる。
皆ぐったりと疲れ切っているように見えるのは、きっと勘違いではない。
シーパンドンを目指して走っているはずなのだが、メコン川は遠く離れているらしい、影も形も見えてこない。
もう結構な距離を走っているように思えるのは疲労の所為か。
車は再び停車した。
誰かが追い駆けて来る訳でもない。
前を見ると、幌の隙間から運転手が手を伸ばしているのが見える。
商店でジュースを買っているのだった。
それを見た乗客は皆、我も我もと買い求めた。
私の席からは商店の入り口は遠く、店員が店内に引っ込みそうになったところで、「コーラほしい」と正しいかどうか分からないタイ語で大声で呼びかけると、女性らが店員に「この人にもコーラあげて!」と店員を呼んでくれた。
氷水に浸けていたのだろうペットボトルは冷たく濡れていて、額や首筋に当ててから、キャップを開けた。
よく冷えたコーラが勢いよく喉を潤し、熱い身体を一気に癒す。
テレビCMでも観ているかのように車内に晴れやかな笑顔が広がり、偶然乗り合わせた乗客どうしに会話が生まれた。
姉妹もファンタで目を醒まし、眩い笑顔を私に向けてくれた。
車が再び走り出す。
なだらかな道は真っ直ぐに南へ向けて続いた。