September 09, 2005

Tragedice


アサオです。

何が悲劇かって、
世界はいま生きているこの世界しかないということなんだ。
と友だちに言われたのがいつまでも忘れられない。

私はこの世での誕生イコール死刑判決、
人生イコール死刑までのモラトリアムだと考えているので、
すなわち私には今生以外の世界があるという概念があることになる。
私にとっての悲劇とは、あの世があるということなのだ。

前者である友人の概念には「救い」など無いということになる。
私の概念では死イコール「救い」である。
どちらが正しくてどちらがより悲観的かなんて
一度死んでみなくちゃ分からない。
んじゃとりあえず死んでみっぺ?
それは悲劇でもなく喜劇。


日本人の海外旅行のオキテとして、
物乞いに金を与えてはいけないという条項がある。
それは、一人に与えるとそれを見た別の物乞いが次々と現われ、
しまいには身ぐるみ剥がされることになるからだ。

しかし私は、タイの路上で物乞いをする人には時々あげることにしている。
全員には無理だけど、たまたま気が向いた時だけ。
或いは、たまたま小銭を持ち合わせていた時だけ。
貰えた人はたまたまラッキーだったのだ、と考えることにしている。
というのは、タイ人自身物乞いには恵んでやる人が多いからだ。

タイの人々には僧侶に喜捨する風習がある。
それは死後の世界のために現世で徳を積もうと考えてのことだが、
物乞いに対しても同じく、徳を積むためと考えられてるらしい。
もっとも私のそれは、単に富の分配という社会主義的な思想に過ぎないのだけれど。

ある日のこと、なんだかムシャクシャしていた私は、
ドン・ムアン空港からタイ国鉄の駅につながる通路でひれ伏す男を見かけ、
半ばヤケクソ気味に100バーツ紙幣を1枚、缶の中に入れてやった。
するとプラットホームに下りたところで私を追いかけて来る別の男がいた。
彼はやや興奮ぎみに私に話しかけた。
 「キミはいま幾ら彼にあげたか分かってるのか?」
 「ええ。100バーツあげました。」
 「なぜ?」
 「さあ?彼がラッキーだったんですよ。」
彼は名刺を私の前に差し出し、
 「私はそこで旅行会社をやってるんだ。いつでも来てくれ。」
と、いかにも私を上客と見込んだ様子だった。
100バーツって、日本じゃ280円にしかなりやしない。
コーヒー1杯飲めば終わってしまう程度の金額に過ぎない。

とは言え、現地の物価から考えて
100バーツは確かにやり過ぎだとは思うけど、
10バーツぐらいはもっとあげてもいいんじゃないかと思う。
2〜30円で徳が積めると考えたら安いものだ。
と言ったところで、現世利益を求めて賽銭を投げる日本人には
理解されない考えなのか。

日本は仏教国だと言うけれど、
実際のところ日本人の心の中には神も仏もいやしない。
存在するのは現世の人間だけ。
悲劇な国だ。


(今日の写真:ふうせんランプ at ルアンパバーン/ラオス)
050908


scott_street63 at 01:23│Comments(0)TrackBack(0) | タイ

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