September 13, 2010

ポンサーリー


それが日本隋一の「酷道」であると知ったのは随分後のことだった。
奈良県十津川温泉郷と和歌山県龍神温泉を結ぶ国道425号線。
ナビゲーションの示すままにその道に踏み入れると、そこはガードレールも十分に無い急カーブの続く細道であり、それでいて一方通行などではない。
アスファルト舗装を僅かでも踏み外すと、崖の下に真逆さまに転落する。
十津川温泉湯巡りを日帰りで満喫した後だったため、時は既に夕刻。
助手席に座る妻と共に死を意識した。
驚くべきことに、この「酷道」沿いにも人の住む集落がある。
何を好き好んでこんな不便極まりない場所に居を構えるのか。
こんな時、兄は決まって言うのだった―――平家の残党の村だと。
無論冗談なのだろうが、妙に真面目くさった顔で言うものだから、幼少の私は簡単に信じたものだった。
ならばポンサーリーもまた平家の残党の村に違いない。


暗闇に包まれた山道を雨に打たれながらひたすら上る。
上って上って上り詰め、雨雲を突き抜けると、大粒の星を無数に散りばめた夜空が頭上に拡がった。
標高1,400メートルの山上に拓かれたポンサーリー。
街は雨雲よりも高く、空に近い。
バスターミナルに1台だけ停まっていた市内行きのトゥクトゥクに促されるままに乗車すると、何も言うまでもなく自動的に「ヴィパポーンホテル」の前で降ろされた。
ホットシャワー付きで80,000kip。
同じバスに乗り合わせた外国人バックパッカーらは高いと言って他の宿を探しに出てしまったが、短期旅行で日本人の私にすれば、疲れ切った身体にホットシャワーは格別に魅力的だった。
80,000kipは日本円に換算すれば900円弱でしかない。

翌朝、展望台に上って街の概形を確認した。
街は二つの山頂に跨って拓かれた瓢箪型で、二つの区画の間を尾根伝いの道が結んでいる。
どちらの区画にも大きな施設があり、通常なら寺院であると思われるのだが、近寄ってみると、どちらも共産党の施設なのだった。
入口には自動小銃を手にした警備員が立ち、私が近寄ると、「入るな」と言って制止した。
1975年、ヴィエンチャン陥落によってベトナム戦争が終結し、共産化と共に王制が廃止されたラオスだが、ここまで徹底した共産色を見せる街は初めて見た。
辺境ほど政治色を色濃くアピールするものなのだろうか。
共産党の守護のお陰か、街中は基本的にコンクリート造りの家屋が多く、静かで慎ましい生活が営まれているのだが、バイクを借りてひと度街を出ると、今にも崩れそうなほど粗末な木造の家屋が山道沿いに並ぶ。
どの家も前で茣蓙を敷き、茶葉を干している。
茶は中国雲南省に隣接するポンサーリーの名産品でもある。
山の斜面に植えられた茶畑から女性達が茶葉を摘んだ籠を頭から提げ、各々の集落に向けて裸足で坂を上っていく。
中には子供も一人前に籠を提げている。
その傍らを山上の住人が車やバイクで素通りして行く。
ポンサーリーでも茶葉を買うと結構値が張る。
にも関わらず茶農家のこの貧しさを見ると、仲買人の暴利は一体何処に消えているのだろうか。
街に戻りバイクを返したところで呆気に取られる光景を目の当たりにした。
老婆が愛犬を伴ってゴミ捨て場で何かを探しているようだった。
様子を見ていると、彼女はゴミ袋の中から残飯を見つけ、愛犬を呼び、犬と共に食べ始めたのだった。
閑静な街中でゴミ袋を漁る彼女に目を奪われた私は、暫く動けなかった。

共産主義とは何なのだろうか。
主義や思想とは人の幸福のために生まれたのではないのか。
この世に王国など無い。
この世に王国など無い。
ならば平家の落武者よろしく人里離れた寒村で息を潜ませ暮らしながら待ち焦がそうか。
約束の地に向けて荒野へ連れ出すモーゼの如き羊飼いを。
王国の来たるその日まで。


scott_street63 at 18:47│Comments(0)TrackBack(0) | ラオス

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔