November 02, 2011

Sanctuary.


コルカタ・ハウラー駅は、ターミナル駅の割には人でごった返していることもなく、意外に落ち着いていた。
アーチ状の高い天井の下、色鮮やかなサリーやパンジャビドレスを纏った女性らが並んで歩きながら会話に興じ、彼女らの端正な顔立ちや高い鼻、大きな瞳、そして風にそよぐスカーフに、天女とはこのような人種かと自然に思い浮かぶ。
不意に「ジャパーニー」と足元から呼ばれて目を向けると、元は白かったのであろう灰色に煤けたシャツを着た子供が 「ワンルピープリーズ」と手を伸ばして来た。
天女と餓鬼が行き交う駅。
私は周囲を窺い、他に子供がいないことを確認してからズボンのポケットに突っ込んでいた1ルピー紙幣を素早く渡した。
運が良かったのか他の子供が駆け寄って来ることはなかった。
午前8時50分。
私の乗る列車までまだ1時間強。
構内のレストランで時間を潰そうかと思って覗いてみると意外にも満員で、店員が慌ただしく動き回っていた。
駅の中が落ち着いているだけにその差に驚いた。

とりあえず9時まで待ち、公衆電話から帰りの飛行機のリコンファームを試みた。
が、何度かけても繋がらなかった。
ベンチはプラットホームにあるようだが、暑い日向で1時間も過ごす勇気は起こらない。
仕方なく柱に凭れて座り込み、朝起きてからの出来事を日記に書こうと筆記用具を出してはみたものの、屋根の下とは言えやはり蒸し暑く、どうにも気持ちが落ち着かない。
ここはひとつスカッとしようと、レストランに併設されたジューススタンドに行ってみた。
外からレストランの窓をノックすると、黄色いTシャツの男が顔を出した。
 「ジュースを注文してもいいですか?」
 「オフコース。何がいい?」
 「セブンアップを。」
 「ホワイ?」
思わず耳を疑った。
 「え…、ホワット?」
と聞き返すと、彼は私が英語に弱いと思ったのかゆっくりと話した。
 「何故キミはセブンアップが飲みたいんだ?」
軽い気持ちで注文したものにまさかそんな質問を返されるとは思ってもみず、驚いた。
何故自分はセブンアップを飲みたいのか?
確かに、別にセブンアップではなくコカコーラでも良かった筈だ。
いやしかし今の気分ではコカコーラよりも軽い味が好ましかった。
ならばスプライトでも良かったはずだ。
なのに何故自分はスプライトではなくセブンアップを注文したのか?
何故なら日本ではスプライトの方がメジャーだが外国ではセブンアップの方がメジャーだと、昔通っていた英会話教室で聞いたからだ。
つまり自分は本当はスプライトが欲しいのではないのか?
彼は回答に窮している私を真っ黒な濃い目で直視し、店内は忙しい筈なのにじっと私の回答を待った。
私は苦し紛れにシンプルに答えることにした。
 「何故なら、私はセブンアップが好きだから。」
インド人は何でも理由を聞きたがるが、どんな回答でもそれが理由であれば納得すると、横尾忠則氏の著書で読んでいた。
だがこの店員は違った。
 「ホワイ?」
つまり今度は、何故私はセブンアップが好きなのか、と。
彼は私の顔を見ているのではなく、まるで私という外殻の中に隠された私の核なる部分を見透かそうとしているように思えた。
後天的に学習した経験から形成される理性ではなく、先天的に生まれ持った真実なる自我。
海面下に隠れた氷山と喩えられるエゴ。
誰にも触れさせたくない、私だけのサンクチュアリ。
彼の瞳の漆黒の闇に飲み込まれるような錯覚から逃れたくて、私はまた苦し紛れに回答した。
 「何故なら、セブンアップは世界的に有名だから。」
私の答を聞いた彼は一呼吸を置き、
 「ふーん、なるほど。」
と言って、漸くサーバーのコックを引いてセブンアップを入れてくれた。
有名だから好き―――それは私が最も嫌悪する回答だった。

暫くして列車が入線した。
インドの鉄道は指定券を購入していても、座席は出発の間際にしか発表されない。
20両近い編成の各車両に張り出される名簿から自分の名前を探さなければならない。
各乗客の座席配置はすべて車掌に一任されているからだろうか。
出発の10分前になり、各車両の入口に模造紙が張り出された。
それぞれ特急券番号と名前が書かれている。
私は機関車を除く2両目から19両目まで目を皿のようにして探した。
先頭車両まで探したが見付けられず、また最後尾まで戻りながら探したが見付けられなかった。
車掌と思しき制服を着た男に聞いてみると、「もっと前の方じゃないか」と適当なことを言われたが、やはり見付けられない。
差し迫る出発時刻に焦りながら日差しの強いプラットホームを何度も往復している内に、奇妙な考えが浮かび上がった。
自分は本当にバラナシに行きたいのか?
ただ有名だからバラナシに行きたいと願っただけなのではないのか?
つまり自分はまだバラナシに呼ばれていないのではないか?
長く切望していた旅だけに諦められず半泣きになりかけていた時、何度も見た筈の9両目に漸く自分の名前を見付けた。
何故見付けられなかったのか、見えない力で目を閉ざされてでもいたのか、不思議に思うほど私の名前ははっきりと書かれていた。
聖地巡礼などと恰好つけず、ただ行きたいから行く、理由はそれだけで良かったのだ。
車掌の警笛とともにゆっくりと動き出す。
いざ、バラナシへ。


scott_street63 at 04:13│Comments(0)TrackBack(0) | 初インド旅記録

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