March 04, 2012

Kumiko House.


けたたましいエンジン音を響かせながらオートリクシャーはガンガーに架かる橋を渡った。
左曲がりにカーブした所でバラナシ市街へと続く道と交差する。
その信号で停まるや否や、運転手は後ろに振り向いた。
 「宿は決まっているのか?」
 「あぁ。」
 「何処だ?」
 「クミコハウス。知ってるか?」
運転手は少し考え、頭を横に振った。
著名な日本人アーティストが多く泊まったと聞く「久美子ハウス」。
日本人旅行者が多数泊まっているであろうことに抵抗があったが、逆にそこまで有名なら敢えて行ってみたい気もした。
バラナシで3泊する予定だから、嫌になったら他に移ればいいのだ。

午後10時、バラナシ観光の起点とも言えるゴードリヤ交差点に着いた。
夜も更けた真っ暗な時間にも拘わらず、ナトリウムランプの黄色い照明で道は煌々と照らされていた。
水道管でも破裂したのか、工事中のフェンスで囲われた周囲は水で溢れぬかるみ、そこに異常な程人が集まっていた。
インド人もいれば外国人も多く、どうやら何事かが起こったのであろうことが容易に想像できた。
 「ここから先には行けない。誰かに案内してもらってくれ。」
オートリクシャーの運転手はそう言って私を降ろした。
誰かにと言われても誰に頼めばいいのかと困ったが、そんな心配は杞憂に終わった。
バックパックを担いで車を降りた途端、すぐに別の運転手が声をかけて来た。
 「ハローミスター。リクシャー?」
どう見てもまだ小学生という少年だった。
彼は小柄ながらも大人と同じ人力車を引っ張っていた。
 「クミコハウス、知ってるかい?」
と話しながらガイドブックを見せてみると、彼は小さな地図に食い込むように目を近付けて暫く見詰め、リクシャーの持ち手を地面に置いた。
 「カモン。」
彼は私をこまねいて歩き始め、暗い細道へと案内した。
道は細く曲がりくねり、三叉路に突き当たる度に彼は人に尋ねた。
道の両脇の建物は高く、雑然と様々な物が其処此処に置かれ、時に行き止まり、時に牛が寝そべり、幾つかの角を折れた時点で私は既に方向を失った。
それでもなお道は続き、もはやこの若い運転手にこの身を預ける他なかった。
この案内人がいなければ、私は朝までこの暗い細道で出るに出られず途方に暮れていたに違いない。
クミコハウスは川へと降りる階段のすぐ手前にあった。
開け放たれた扉から光が洩れ、その中で人影が動いている様子が窺える。
少年にチップを弾んで金を払い、私はその建物へと歩み寄った。

建物の入口は台所だった。
そこに体格の良い婦人と、さらに体格が良く灰色の髭をふんだんに蓄えた老人が座っていた。
女性は編み物でもしているのか、何やら手を細かく動かしている。
 「Excuse me. Can I stay here tonight ?」
と英語で話しかけると、婦人は手を止めて顔を上げ、私を見た。
 「こんな時間にかい?」
すぐに私を日本人と見た彼女は日本語で答えた。
なるほど、この女性こそ日本からインド人に嫁いだ「久美子さん」なのに違いない。
やや迷惑そうに話す彼女の言葉に、私は「すみません」と謝るほかなかった。
 「それじゃここで靴脱いで、パスポート見せて。」
上の階へと続く階段の下の下駄箱に靴を置き、たすきに掛けていた鞄からパスポートを出そうとした。
…が、無い。
バックパックを降ろしてパスポートを探した。
…が、やはり無い。
 「あ、あれ?確かに入れていた筈なんですけど・・・」
と慌ててバックパックの底の方まで探りながら、今朝の出来事に思いを馳せた。
昨日コルカタのホテルでパスポートを預け、返してもらう前にサダルストリートを探しに外へ飛び出した。
今日は早朝に急いでチェックアウトし、半ば寝呆けたフロントスタッフに金を払って、
Thank you, bye.と送り出された。
そのまま私は急ぎ足でフリースクールストリートを抜け出した。
つまりパスポートは返して貰えていない。
旅慣れていたつもりが、とんだ初歩的なミスを犯してしまったことに漸く気が付いた。
その経緯を久美子さんに話すと、彼女は呆れたように溜め息をついた。
 「じゃあ今日は泊まって、明日コルカタの領事館に電話しな。」
とりあえず1泊分の20ルピーを支払って、上の階へと案内してもらった。
2階はシングルルーム、3階は雑魚寝のドミトリーだった。
階段のすぐ手前にベッドが幾つか並び、数人が眠りに就いている。
その奥に卓袱台や本棚のある居間、さらにその奥もベッドの並ぶ寝室となっている。
後で説明を受けたところ、階段に近い寝室は病人用とのことだった。

 「どうもこんにちは。」
インドまで来て日本人旅行者の集まりに異様な社会感を覚えながら、新参者として取り敢えず丁重に挨拶をしてみた。
彼らは意外にもフレンドリーに近寄ってくれた。
 「パスポート失くしちゃったんですか!」
一通りの自己紹介などを終え、念の為に私はバックパックの中身を全部出してみたが、やはり見付かる筈がなかった。
 「何処で?」
 「コルカタ。」
 「あちゃー、コルカタ。それはもう出て来ないかもですね。」
他の旅行者もその言葉に同調する。
ここに集まる旅行者は皆若く、学生であったりフリーターであったり、もう何ヶ月も旅をしている者もいれば、私と同じく連休の間だけの者もいた。
パスポート探しを諦め、トイレに入った。
日本人経営の宿の割に「手で拭く」式のトイレであることに少々驚いたが、つまりここに集まる旅行者は皆若くして旅慣れた猛者なのだと得心した。
水量の頼りない粗末なシャワーを浴びて寝室を覗いてみると、皆思い思いに読書に耽ったり絵を描いたりしていた。
恐らく私はこの中で最年長だったに違いない。
なんとなく仲間に入り辛く、私は居間で寝ることにした。
板の間で背が少々痛んだが、窓から入る風と目に映るガンガーの景色が心地良かった。
音も無く流れる漆黒の川を見つめる。
何も見えないけれども、そこに川が流れているというだけで落ち着ける。
明日すべきことを考えながら、眠りに就いた。


scott_street63 at 03:45│Comments(0)TrackBack(0) | 初インド旅記録

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