March 06, 2018

Run away from nightfall.


五年目の結婚記念日は妻と二人でイタリア料理を食べに行った。
昭和六年に建てられた銀行跡を利用した三階建ての料理屋であり、建物は国の有形文化財として登録されている。
かつて金庫であった場所はワインセラーとなり、古い大時計は11時55分を指したまま止まっている。
料理の味は上の下といったところか、グラッチェグラッチェと言い寄る胡散臭いイタリア人ウェイターが些か気に障る。
結婚して五年だが、互いに特別な存在として意識したのは中学生の時だから、大方30年の付き合いになる。
14歳から現在まで、思えば遠くに来たものだと今の年齢を指折り数える。
もう一生の半分は生きたろうか。
人生のゴールは死だ。
しかし死の前に老いがある。
やがて身体の自由が利かなくなる時が来る。
不器用に四肢を動かし互助しながら、妻に看取られて死ぬのだろうか。
あるいは先立たれ、液状化した腐乱死体となって付近の住民に異臭を訴えられて発見されるのだろうか。
これを書いている今という一分一秒でさえ肉体は老化の一途を歩み続け、死への行進を止めることはない。
否、老いや死は今にも呑み込まんとしてこちらに向かって来るのだと、この年齢になって思い知る。
時間の流れは年齢を重ねる毎に加速する。
残る半生は転がり落ちる様なものかもしれない。
追い付かれてはいけない。
焦らずにはいられない。
毎日をクエストし、過去を清算しながら、背後から迫り来るその時に追い付かれまいと逃走を続ける。
たとえいずれ迎える死であろうと、生き切ってこそ勝利。
夕闇に追われ、逃げるように崖っ淵を歩いたあの日を思い出す。

 「え、今日帰るんですか。」
山を下りて宿にチェックインした彼は、私の宿まで付き合おうと申し出て驚いた。
彼は雨崩村に泊まって、日本の登山隊がベースキャンプを置いた跡地や、チベット人の聖地でもある神瀑と呼ばれる滝にも行くつもりらしい。
 「商社勤めは休みが短いからね。」
連休の一日くらいは妻と過ごしたいと考えていた私は、旅行期間を敢えて短く取っていたのだった。
 「尼農村って、そこの山の真裏ぐらいですよね。山沿いに歩いたら結構な距離ですし、今晩泊まって早朝帰るとかしてもいいんじゃないですか?」
日本でダウンロードしていた簡易な地図を見た限りでは、道は長いものの山を越えない分平坦な道が続いているようだ。
3時間も歩けば夕方には着けるだろうと考えていた。
雨崩村から歩いて尼農村まで行けばタクシーを掴まえ易いとの記事を読んだことがある。
時刻は午後3時半。暗くなるまでには十分な時間がある。
私は彼の親切な提案に謝して、手を振った。

四方を山に囲まれた雨崩村は静かな村だった。
人の気配があまり感じられない。
静謐と言うよりは寂莫と言うべきか。
山と山の合間から白く麗しい神女峰が見守るように聳え立つ。
神女峰を仰ぐように一体のチョルテンが広場の真ん中にぽつりと立っている。
そんな光景を傍目に眺めながら森に入る。
深い森を抜け、やがて木々が疎らになった林を抜けると、耕作地が広がっていた。
目的の山に沿って川が流れ、川に沿って畑が広がり、畑に沿って道が続く。
取り敢えず山の端を目指してひたすら歩けば良い。
愚かな私は山の端まで行けばすぐ裏側だと安直に考えていたのだった。

曇天の下、延々続く畦道を黙々と歩く。
「山の端」というアバウトで巨大な目的地は、歩けども歩けども近付いている気がしない。
中間地点である「山の端」までで3時間はかかるのではないかと、己の見積りの甘さを思い知る。
畑地に人がいたので訊いてみた。
 「尼農村は遠いですか。」
 「真遠。(本当に遠い)」
どれぐらい遠いのか詳しく尋ねたいが、語彙力に限界があった。
スマートフォンで翻訳アプリを使いたいが、もしもの時にはこの携帯電話が命綱となりかねない。
もやはカメラのフィルムは使い果たしていたが、バッテリーの消耗を危惧して写真を撮ることは諦めた。
5時半頃、欧米人カップルが進行方向から歩いて来て「やあ」と声を掛けてきた。
 「雨崩村まで何時間ぐらい?」
 「約2時間。」
 「マイガッ。」
と女が悲嘆の声を上げた。
彼女の表情には相当な疲れが浮かんでいるが、男は微笑みを絶やさなかった。
 「尼農村までは何kmぐらい?」
と私が訊くと、「18km」とのことだった。
18km―――時速6kmで歩き続けることが出来れば3時間の道程。
雨崩村から3時間との見積もりが早くも崩れ去った訳だ。
私は歩を早めた。

第一目的地である「山の端」を越えると緩やかな上り坂となった。
山の斜面に沿って「尼農村歓迎您」と書かれた幟が数本立っていたが、とても山道が終わる気配は見えない。
上り坂の天辺に宿屋があった。
『尼農村秘境』と看板を掲げている。
 「どうだい兄ちゃん、泊まってかない?」
とでも言っているのだろう、中年女性が料金表を見せて来た。
恐らくは私のように時間の見積もりを誤った旅人が泊まったりするのだろうか。
私は衛生面が気になって通り過ぎた。
時刻は6時半。空はまだ明るい。
広大な中国は統べからく北京時間に統一されているため、緯度で計ると実際にはまだ5時頃なのかもしれない。

坂を下り、また森を抜けると川原に出た。
道を阻む巨岩群を足と手で登り、歩き難い岩場に足を取られながらどうにか前進を続ける。
気を抜けば足を滑らせ岩の間に身体を落としてしまいかねない。
慎重に足を運ぶ。
ようやく抜けると橋を伝って川を渡る。
橋を渡ると、川から水を取る用水路が流れていた。
村が近い証拠だ。
人の住む気配が近付いたことに励まされながら歩き始めて間もなく、先刻まで傍を流れていた川は大きな轟音を立てて視界の外へ落ちていた。
気付くと道は断崖絶壁の上を行く道となっている。
遠くを走る車道を見ると、自分がどれほど高い断崖に立っているのか歴然となり、戦慄が走った。
落下防止の柵などある筈もない。
それでも用水路に沿って歩けば村に着くことは間違いない。
徐々に紫色に染まっていく空の下、岩肌に沿って心許ない細道を歩く。
時折り梅里雪山から強い風が吹き下りては体を屈めて歩を止めた。
この用水路を辿ってさえ行けば…と信じて歩くものの、1時間経ってもまだ村は見えない。
午後7時半、さすがに日は落ち、濃紺の空の下をマグライトで足元を照らしながら歩いた。
半ば泣きべそを掻きそうな心細さに、自棄糞に大声を出して気持ちを誤魔化す。
村に下りた時には既に真っ暗になり、午後8時半近くになっていた。
私はタクシーを庭先に停めている民家に救助を求め、這う這うの体でどうにか飛来寺の宿に帰還を果たすことが出来た。
その村が尼農村だったのか、救助を求めた車が本当にタクシーだったのか、実のところ定かではない。
運転手には謝々、謝々と繰り返し、100元紙幣を手渡した。
部屋に戻り、ひと息ついてSNS通話で妻に遭難しかけた旨を伝えると、大層叱られてしまった。

我、山に向かいて目を仰ぐ、我が助けは何処から来たるや―――
神と運転手に感謝しつつ、安寧の内に寝床に就いた。



後日談: 中国の旅行会社Ara Chinaにも雨崩村のツアーがあった。
     雨崩村から尼農村までのトレッキングは7時間とのことだった。
     己の無謀さを思い知った。



雨崩村地図



scott_street63 at 01:45│Comments(0)  | 中国

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