インド

September 23, 2009

Incredible India.


人、人、人…
車、車、自転車、時に牛…
頭頂を刺す様に照り付ける太陽の下で無機物と有機物が衝突を繰り返す。
舞い上がる砂煙や排気ガスに喉が痛む。
ニューデリー駅へ向かう一本道のバザールでは度々人とぶつかり、
その度に汗に濡れた腕の感触を覚えて不快な気持ちに襲われた。

明後日のアーグラー行きの乗車券を求めてニューデリー駅に入ると
駅のスタッフだと語る男が話し掛けて来た。
 「チケットは持ってるのか?」
 「持っていない。買いに来たんだ。」
 「今日の鉄道か?」
 「いや、明後日だ。」
すると男は当日券売り場ではなく予約券売り場へと私らを案内した。
が、窓口は全て閉ざされていた。
 「もう今日の営業は終了した。今から紹介する旅行会社なら席を予め抑えているからそこへ行くと良い。」
と言うと私の手首を掴んで外へ引っ張って行き、オートリクシャーを呼んだ。
 「最寄りの旅行会社まで10ルピーで行ける。ふつう外国人だと多くを請求するが、オレの顔があるから大丈夫だ。」
そう言ってリクシャーの運転手と話そうとする彼の肩を私は叩いた。
 「悪いけどアンタの言うことは信用できない。また明日来ることにする。」
 「明日はムスリムのお祭りだから駅は休業だ。」
鉄道は休みなく動くのに駅が休むなんて事がある筈がない。
 「何故アンタは駅員の制服を着ていないんだ?」
 「今日は日曜だからいいんだ。」
そんな駅員は見たことがない。
 「オレは嘘をついてない。なんだったら他の誰かに聞いてくれたって構わない。明日が休みなんて事は皆知っている。」
必死にそう言って通りすがりの誰かを呼び止める彼を無視し、急ぎ足で駅の外へと向かう。
しつこく追い掛けて来た彼は私の腕を掴んだ。
彼の掌から伝わる妙に熱い体温に不快感もピークに達した。
 「おれに触るな!」
一喝して手を振り解いて外へ出、疲労と不快感を顔に現した妻の背を押し駅前の車道を渡った。
もう一度駅へ行くべきか、それとも旅行会社を通した方がいいのかと思案していると、恰幅の良い紳士然とした男が話し掛けて来た。
 「鉄道の切符がほしいのか?」
 「そうだ。」
 「良い旅行会社を紹介しよう。ここからリクシャーで10ルピーで行ける。」

地球は度重なる衝突の末にあるべき姿へと生み出されたと言うが、
ここインドでは、何度衝突を繰り返そうとも永遠にカオスなのに違いない。

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訪印の途


午前10時15分ニューデリー空港に降り立つ。
到着ゲートを出ると、肌の黒いインド人たちが今にも柵を乗り越えかねない勢いで大声で待ち人の名前を呼びながらプラカードを競うように突き出して来る。
勿論送迎を頼んでいない我々には関係がない。
プリペイドタクシーのブースでチケットを求めた。
 「Karol BaghのMandakini Palace Hotelまで。」
愛想のない女性係員が機械的に紙に書いていく。
最後にRs.250-と書くと彼女は紙を差し出し、金額をボールペンの先で2度小突いて見せた。
到着ゲートの前の男達とは対称的な静かさ。
支払いを済ませ、紙を持ってタクシー乗り場へと向かう。
空港の施設を出ると、喧騒はさらに増した。
遠慮なく鳴らし続けるクラクション、負けじと張り上げる大声、其処此処で響くトランクを閉める音、物売りの声…
暑さは大阪の夏と比べれば耐えられないこともない。
しかしタクシーにエアコンなどという洒落たものはなく、乗っている内に汗が噴出し、服の中を流れ落ちては体力を奪って行く。

ホテルは予め日本で予約していた。
さすがにもうこの歳でゲストハウスは辛い。
一人旅ならまだしも、今回はいちおう夫婦水入らずなのだ。
ホテル検索のウェブサイトで実際に宿泊した人のレビューを見ながら選んだつもりだった。
直前の予約だから部屋は割り引かれ、6千円のところが2千5百円程度。
インドの物価を考慮すると、かなりまともなホテルの筈だった。

運転手は途中で何度か車を停めては近くの人間に道を尋ねた。
3回目に停まった時には、目の前の建物にKarol Baghと書かれていた。
しかしそこは貧困層とは言わないまでも、明らかに中の下程度の庶民の住宅街だった。
まさかこんな所では…と思っていると、タクシーは車をバックさせ、より細い道へと右折した。
ホテルはそんな奥まった辺鄙な所にあった。

半ば青醒めながらチェックインを済ませて部屋に通してもらうと、広い上に天井が高いことだけが取り柄といった極めて簡素な部屋だった。
wifiでインターネットが使えるものの、確かに不潔ではないものの、どこかピントを外していると言うべきか、なんだかなぁ…といった微妙なホテル。
まぁゲストハウスよりはマシだろうと考え、まずはシャワーを浴びてみた。
…湯の温度もビミョー。
明らかに冷水ではないが「湯」とも呼べない微妙さ加減。

インドの宿は質の割に高い。
今後の教訓とする。

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September 20, 2009

From Suvarnabum Air Port.


旅先から届く手紙に胸が熱くなる。
1枚の絵葉書は異国の地の風をその身に纏っている様でいて、
文面を読む度に遠く離れたその地の香りが脳裏に浮かぶ。

押入れを整理していると6枚の絵葉書が出て来た。
角は折れ曲がり、写真の所々に皺が寄った古い絵葉書―――父からの便りだった。
かつて父は立売堀(いたちぼり)にある貿易商社に勤めていた。
東南アジアを中心に営業していた父は出張の度に長く家を空け、よく幼少の私に絵葉書を送ったものだった。
その文面は、ちゃんと勉強しているかとか、母の言う事をちゃんと聞いているかとか、誕生日に家にいられず済まないなどといった日常的な事柄から始まり、その土地は日本の夏よりも暑くてスコールと呼ばれる大雨が1日に一度降るだとか、食べ物が全て辛くて敵わないだとか、人の肌が黒くて皆汗臭いだとか、当時の私には想像もつかない情報でもって風を吹かせてくれたものだった。
それらの手紙が今の私を作ったとは思わないが、何故だか旅の最中にふと思い出した。

これを書いている今はバンコク・スワンナプーム国際空港のカフェにいる。
早朝3時50分に着陸し、次は7時半のフライトでニュー・デリーへ向かう。
ボーディングは6時55分だから、実質約3時間の待ち時間。
タイ国際空港はシンガポールに次ぐ程の世界のハブ空港でもあるから、深夜・早朝に関わらず荷役が為され、飛行機が飛び立っては降り立ち、客がいる限り免税店や飲食店が24時間営業されている。
妻も免税店を巡ってフル活動中だ。

インドには呼ばれて行くものだと何処かで聞いた。
数年前、ホンコンのゲストハウスで知り合った女の子から絵葉書が届いた。
バラナシの博物館の絵葉書だった。
―――私はいまインドに来てます。
  この国はとても汚くてとても美しくて、最低で最高な国です。―――
この峻烈な風こそまさに呼び声。
この手紙が私への追い風となり、私の足をコルカタに降り立たせたのだと確信している。
コルカタで飲んだチャイの香り、慌しい雑踏、そしてバラナシの乾いた風に混じる牛糞の匂い…
思い出す度に胸を焦がす。
 「もう行く?」
買い物から帰って来た妻が聞いてきた。
彼女の呼び声に席を立つ。
あの風を求めて、今ふたたびインドへ―――。

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March 31, 2008

深夜行


夜の帳に構内が包まれた頃、急行列車はごとり、と重い音を立ててゆっくりと走り出した。
私の目の前では淡いピンクのパンジャビドレスを身に纏った少女が嗚咽を上げながら、いつまでも駅に残っているボーイフレンドに手を振り別れを惜しんでいた。
18時45分バラナシ発コルカタ・ハウラー行き急行列車。
間もなく橋を渡る轟音が響き、ガンガーの水面に幾つも並んで映る燈火に私は無言で別れを告げた。

駅構内で停まっている間は黙って座っているだけでも玉のような汗が噴き出す程蒸し暑かったのだが、ひとたび走り出すと、夜気を含んだ風が開け放たれた窓から流れ入り渇きを癒してくれた。
先ほどの少女は父親に優しく背を押され、客室へと消えて行った。
私はつい先ほど人でごった返した当日券売り場で出発間際の切符をなんとか入手したばかりで、席の指定が無かった。
駅員に聞いたところ、乗ってから車掌に相談しろ、とのことだった。
私は客室の外で車掌を待つほかなかった。
偶々誂えられたような折り畳み椅子があったので、バックパックを床に降ろしてそこに腰を掛けて休むことにした。 

バラナシの隣り駅・ムガル=サライを出発すると、列車はスピードを上げた。
暫く停まる駅は無いということだろうか。
窓から見える風景は草木のシルエットばかりで、あたかも闇を切り裂くように急行列車は走った。
客室からは時々談笑が聞こえて来たが、ここでずっと一人で静かに座っているのも悪くないとも思えて来た。

客室の扉が開き、車掌らしき制服を着た恰幅のいい男が来て、「Ticket.」と語気を強めて私の前に手を出した。
私は彼に切符を渡しながら立ち上がった。
 「座席を指定したいんですけど。」
 「あんたの席は?」
 「さっきバラナシで買ったばかりで、席はまだ決まってないんです。」
彼は私の切符を一通り見た後、客室台帳のような黒いノートを開いて幾つかページを繰った。
 「空いていれば、A/C(エアコン)付き2等寝台がいいんですけど…」
私が追いかけてそう言うと彼は台帳を閉じ、彼が先ほど検札を終えて出て来た客室を指差した。
 「あの席なら空いている。」
指の先を眼で追ったが、どこの席か分からなかった。
 「どれです?」
 「一番手前の左側、扉を開けてすぐの席だ。」
しかし既に6人掛けの席に6人が座っている。
 「人が座ってるじゃないですか?」
 「かまわん。彼らには別の席がある。」
ホントだろうか?私は恐る恐る扉を開け、座っている6人に聞いてみた。
 「車掌がここに座ってもいいと言ってるんですけど、本当にいいですか?」
 「Of course. Sure.」
と快く答えてくれたものの、それでも彼らは一向に立ち上がる気配を見せない。
困惑している私を見て、彼らはただニヤニヤ笑っているだけだった。
 「…他の席は無いんですか?」
 「ない。」
無碍もない返事。
私は、もしもここに座ると彼らから報復のような嫌がらせを受けるんじゃないだろうかと恐れて、なんとか別の方法はないだろうかと思案した。
天上では扇風機が音もなく回って風を送っている。
 「ここはFANじゃないか。A/Cじゃない。」
 「なぜA/Cじゃないといけない?」
 「暑いから。」
 「今夜は暑くない。」
確かに、言われてみれば外から流れて来る風のおかげで暑くはない。
しかし暑いか暑くないかなんて個人差があるものじゃないか。
…と思っても、車掌の余りにも堂々とした受答えにこちらの旗色が悪かった。
 「それに、この列車には初めからA/C車は無いんだ。」
最初にそれを言ってくれよ…。
私と車掌のやり取りを6人の男達はやはりニヤニヤと笑顔を浮かべながら観察していた。
 「じゃあもうここでいいです。」
と私が客室の外の折り畳み椅子を指すと、「No.」とハッキリ断られた。
 「そこは私の椅子だ。」
あ、なるほど。
もはや私には車掌が指定した席に座るほか道は無く、渋々OKと言わざるを得なかった。
車掌はつい先刻まで私が座っていた簡素な椅子に腰を下ろし、私から追加料金を取ると赤字で切符に何かを書き込み、再び立ち上がって彼らをその席から追いやった。
彼らは意外にも素直に本来の席へと戻って行った。

私は向かい合う3人掛けの座席を独占することとなった。
頭の後ろには壁に埋め込まれた形でベッドが収納されている。
さらにその上には収納されることのないベッドがあり、赤字で書かれた座席番号からそこが私のベッドということだった。
私はバックパックを一番上のベッドに乗せ、チェーンロックで柱に括り付けた。
時間はようやく9時を回る頃だった。
コルカタ・ハウラー駅への到着予定時間は翌11時45分。
あと14時間の深夜行。
外は何も見えず、車内から投下される灯りが大地を照らしている。
ただひたすら響くレールの繋ぎ目に車輪の落ちる音が、まるで永遠に続くように思えた。


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June 07, 2006

watch!


きのう腕時計を買った。
なんばパークスの「TiCTAC」で、文字盤の茶色い渋かわいいヤツ。

実は高校生のときから腕時計を嵌めるのが嫌いで、
今に至るまでケータイを時計代わりにしていた。
時間を見る度に手を後ろに回してズボンの尻ポケットから出す。
それで十分事足りると思っていたけど、
やはり社会人として腕時計を嵌めているか否かは、
その人がパンクチュアルか否かを表現しているんじゃないだろうか。
なんて、今さらになって気付いたり。

また、人の9割は第一印象で決まるというけれど、
チラリと袖口から顔を覗かせる腕時計は、
第一印象を覆すほど強烈なインパクトを与え得るだけのパワーがある。
頼りない人間に見えていたのに、センスの高い腕時計がチラ見えしただけで、
「え!この人って…!?」
ということがたまにある。

もちろん持ってる本人が好きになれるのも大事。
持ってるだけで嬉しくなる時計。
ローンを覚悟で探していたのだけれど、
そんな時計が驚くほど手頃な値段で見付かった。
しょせん私なんかその程度の人間ってことか・・・


タイで買ったドラえもんの腕時計は、インドで好評を博した。
電話屋の前で、食堂で、列車で、大人が私の(腕時計の)周りに集まっては
なんとか競り落そうと躍起になった(売らないと言ってるのに)。

バラナシからカルカッタに戻って来た日の夜、
私は韓国人のパクだった。
人ごみの非道いニューマーケット周辺では、「ヘイ、ジャパーニー。」と
フレンドリーに声をかけては、店に連れ込もうと強引に勧誘したり、
騙そうと企んだりする輩が多い。
鬱憤の溜まった私は、ジャパーニーと声をかけた男に言った。
 「アイムコリアン!」
 「マイネームイズ“パク”!」
 「ネバーコールミー“ジャパーニー”!!」
そう言ったところで返って来る言葉は、
 「オー、コリアン……こ、コニチハ。」
ていどのものなのだから、あまり効果はなかったのかもしれないけど。

チョウロンギ通りから自称ムンバイ出身の青年にしつこくつきまとわれてた時も、
私はパクだった。
お土産を買いに行かないか、とか、チャイをご馳走するよ、とか、
どれだけ「ノー!」と言っても離れてくれなかった。
 「コリアはコリアでも、“北”かい?それとも“南”?」
 「もちろん“南”だ。」
と答えたところで、突然横から口を挟まれた。
 「ヘイ、ジャパーニー!ぼくを憶えてるか?」
その男は、インドに着いた初日に私を騙そうと怪しげな店に連れて行った片割れの、
自称ダッカ出身の青年だった。
 「あの翌日、ぼくはキミのホテルの前で待ってたんだ。朝の7時に。なのにキミはもうチェックアウトした後だった。なぜだ?」
 「ごめん。実を言うと、キミの横にいた日本語を話す男がイヤだったんだ。」
 「なぜ?」
 「良い人間には見えない。」
 「…いいカンしてるね。」
さっきまで付きまとっていたムンバイ出身の青年は、いつの間にか消えていた。
 「それから、あの朝ぼくにチャイを驕ってくれる約束だったぜ。」
 「うん、憶えてるよ。じゃ今から行こう。いい店知ってる?」
彼は粗末というか簡素な店に私を案内し、チャイを注文した。
煮出した紅茶の濃厚な香りと渋みが、甘いミルクと相まって気持ちを和ませてくれる。
青年は聞いてきた。
 「たしか、明日ニッポンに帰るんだよね?」
インド初日、性格の良さが顔に表れている彼を信用して、
私は自分の予定をぜんぶ彼に教えたのだった。
 「ニッポンもいま暑いのかい?」
 「いや、日本の5月は暑くもなく寒くもなく、いちばん過ごしやすい季節だよ。」
 「ニッポンでは1ヶ月にどれぐらいのサラリーを貰えるの?」
 「ニッポンでは・・・」
 「ニッポンでは・・・」
そのチャイ屋で、彼はニッポンについて矢継ぎ早に色々なことを尋ねてきた。
インドと日本、近いようで遠い。
東南アジア諸国は日本との関係が濃いものの、インドまで来ると途端に希薄に感じるのは、
インドではトヨタの自動車をあまり見ないからかもしれない。
最後に彼は、恥じらいながら言った。
 「何かニッポンのものをくれないか?」
何かと言われても、日本のお金はホテルに置いてきたし…、と少し悩んだ後、
バンコクで買ったドラえもんの腕時計をあげることにした。
 「これなんかどう?」
と差し出すと、彼は不思議そうに文字盤のドラえもんを見詰め、えらく喜んでくれた。
別れ際、私と彼は握手をした。
温かい手だった。
彼は本当にダッカ出身だったのか、彼はドラえもんを知っているのか、
今となっては分からない。
ただ一つ言えるのは、彼は本当は良いヤツだったんだ。

…なんて信じたい私は、やっぱり甘いんでしょーか?

(今日の写真:足影フェチ at どこかの駅/バンコク)

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March 23, 2006

一万光年の記憶


最近、宮本輝にハマッてる。
義母が胆石の手術に4日ほど入院することになったから、
退屈しのぎに本を貸してあげようと思って『ドナウの旅人』を
引っ張り出したのが始まりだった。

50歳にして離婚目的で家出し、ドナウの源流から黒海への旅に出た母と、
連れ戻すために後を追って同じく旅に出た娘、
そしてそれを取巻く様々な男女の心情を描いた物語。
ドナウが流れるドイツやオーストリア、ハンガリーの街並みや風情が描かれ、
慌しい通勤電車も、陰鬱と小雨降る石畳に変貌する。

義母に貸すため一旦読み進めるのを諦め、
次に読み始めたのが『流転の海』、そしてその続編『地の星』。
戦後間もない混沌とした大阪で、50歳にして初めて子を儲けた松阪熊吾が
商売を通して人間という生物、また人智の及ばぬ運や星廻りなどに翻弄される
人間という存在の小ささを考えさせられる物語。

アルゼンチンのイグアスで無数の星を見た。
幼少の頃に田舎の祖母宅で微かに見えた天の川が
ジャングルの上に帯となって流れていた。
何万光年も遠くに離れた星々は、我々の、
どれ程の別離を見守ってきたことだろうか。


バラナシ駅で、今から思い返してもぞっとするほど夥しい数の人間に
揉まれながら、18:45発カルカッタ行き夜行列車の当日券を手に入れた。
座席も車両も決まっていない。
尋ねると、乗ってから車掌と相談してくれ、と無碍もなく係員に言われた。
既に入線している鉄道の適当なところに乗り込み、
客室に入らず出発を待つことにした。
扇風機もないそこでは静かに待っているだけでも汗が噴き出し、
ペットボトルの飲料水はもはや白湯に近かった。
極度に腹が減ったため、日本から持ってきたパイン飴を口の中で転がしては
ペットボトルのぬるま湯を口に含み、ジュースにして胃に流し込んだ。

淡いピンクのパンジャビドレスを着た少女が客室から出て来た。
高校生ぐらいだろうか。
ホームから少女と同年代の少年が顔を覗かせ、二人は手と手を取り合った。
泣き崩れる少女。
優しく語りかける少年。
桃色のスカーフが風になびく。

夜の帳に包まれたバラナシ駅に出発を合図する警笛がこだますると、
車輌は、ごとん、と重い音を立て、ゆっくりと進み出した。
少年は片手で手摺りに掴まって、もう片方の手で彼女の手を取り
別れを惜しんだが、やがて笑顔で手を離し、視界から消えた。
淡い桃色の彼女は、嗚咽を上げながら身を乗り出して後方を見つめ、
客室から出てきた父親がそっと彼女の肩に手を添えた。

轟音が橋を渡ることを知らせた。
彼女ははっとして、先とは反対側の、私が座っている方の窓の格子に
しがみついた。
ガンガーの水面に映る灯火が、幾つも並んで闇に浮かぶ。
じっと一点を見詰める彼女は、無言でガンガーに別れを告げていたのに
違いない。

列車は夜を切り裂いて走る。

(今日の写真: pose at ブエノスアイレス/アルゼンチン)

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March 07, 2006

TAXI

2月は多忙を極めました。
2月は我が社の決算月なのでそれだけでも十分忙しいというのに、
1週目はアルゼンチン旅行でつぶれ、
3週目は所属する楽団の定期演奏会、
4週目はうぇでぃんぐぱーてぃ……

そんなわけで、人生にいちどぐらいはしても悪くないという
けっこんとかいうものをしました。
午後、行列のできるベーカリー・タケウチにほど近いホテルの
“貴賓室”で両家親族だけが集まっての食事会。
つづいてホテル内に作られたなんちゃってチャペルで
なんちゃって人前式(わずか約10分)。
で、夕方はホテル最上階でお待ちかねの友人だけを集めたパーティー。
計画と準備にギリギリまで精根注いだ甲斐あって、会は大盛況。
「型破り」とか「破天荒」という感想をくれた人がいたけど、
それに勝る褒めコトバはありません。

とか言いながら、実はその日は朝っぱらからケンカしてたんでした。
ホテルから10時半には来て下さいと言われてたのに、
私が寝坊したせいで家を出たのが9時45分。
間に合わない、ぜったいに間に合わないとあまりにうるさく責められたので、
家の前で通りがかったタクシーを捕まえ、
おどろく彼女を、乗るぞ、と促してホテルまで直行。
メデタイ日なんだから、これぐらいのゼイタクいいじゃない。

晴れ渡った空の下、新御堂筋を駆る。
休日だから道は混まず、景色が爽快に流れていく。
今ならまだ結婚キャンセルできるぞ、とか嫌味を言いながら、
飛ぶように過ぎて行く街や空や雲を車窓からぼんやりと眺めてた。


パスポートが見つかったのはもう夕方近い時間だった。
案の定、カルカッタで泊まったホテルに忘れてきたのだった。
日本領事館の係官の話によると、明日ホテルの従業員が領事館まで届けに
来てくれるらしく、すぐにカルカッタに戻って来るようにと言われた。
私はすぐにクミコハウスに戻り、パスポートが見付かった旨を久美子さんに
伝えると、急げば6時45分の急行に間に合うかもしれないからすぐに行きな、
と急かされた。
その語り口は、バラナシにあって、確かにニッポンのお母さんであった。

70リットルのバックパックを背負い早足でガンガー沿いを歩く。
遠回りになるが、迷路のように入り組んだ道で迷うよりずっとマシだ。
途中よろけて川に落ちそうになりながら野菜市場に出ると、
サイクルリクシャーに跨った青年から声をかけられた。
 「ジャパーニー、何処まで行くんだ?」
 「バラナシ駅。急いでるんだ。」
 「ユーアーラッキー。オレはバラナシで一番速いリクシャーだ。」
できればエンジンの付いてるリクシャーに頼みたかったが、
この頼もしい発言に、私はこの身を託したくなった。

韋駄天とはまさにこのことか、彼はひとたびペダルを漕ぎ出すと
次々に他のリクシャーを追い抜かした。
振り向いて何か話しかけてくるものの、風とドップラー効果でうまく聴き取れない。
恐らくスゲェだろとか言ってるのに違いないと推測し、ホントだ、スゲェよ、
ユーアーグレートなどと彼を褒め称えた。
前方の交差点が渋滞しているのを見ると彼はすかさず抜け道に入り、
幾つか角を曲がると、先の交差点は既にはるか後方に見えた。
 「Yeah, Ha!」
勢いに乗った彼は馬でも駆るかのような声を上げると、
スピードを落さずコーナーを直角に曲がった。
その瞬間、私の乗る荷台の左側がふわりと浮き上がった。
時間が止まったかのように感じた、ほんの一瞬の出来事。
あわや転覆かというところで私は左脚に全体重を乗せて踏ん張った。
車輪は地面に叩き付けられ、再び地を蹴りながら回り始めた。
走りながら彼は振り向き、私と目を見合わせた。
互いの無事を確認し合うと、可笑しさが込み上げ、笑わずにはいられなかった。

バラナシの乾いた風。
自動車が撒き散らす砂埃と排気ガスに紛れて牛糞の匂いが鼻腔をくすぐる。
結局私がバラナシに滞在したのはわずか22時間だった。
次にバラナシを訪れる機会は再び来るのだろうか…?
いや、また行く。
結婚したって一人旅。

てゆーか、まだ婚姻届け出してないわ。

…まいっか。

(今日の写真:青い機内 at アルゼンチン上空)

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February 08, 2006

wasuremono


机の中を整理すると、中学2年の時の成績表が出て来た。
学期ごとに成績の数字をスタンプで捺す欄があって、
得意だった英語は3学期とも4が並んでいた。
5段階評価で4。
自慢にならないが中学に入学してから卒業するまで、
英語のテストでは90点以下を取ったことがない。
にも関らず5という評価を取ったのは中学1年の1学期が最初で最後。
あとは常に4。
成績表の英語の通信欄にはこう書かれていた――忘れ物多し。

忘れ物が多いんじゃない。
物忘れが他人よりちょっぴり(意訳:かなり)酷いだけなのだ。


夜10時、ガンガー沿いに建つ“クミコハウス”に着いた。
インド人に嫁いだ日本人・久美子さんが経営する安宿。
古くから日本人旅行者の常宿として親しまれ、
数々の著名人もここに投宿している。
ここで大変な忘れ物に気付いた。
パスポートをカルカッタのホテルに預けたまま出て来てしまったのだった。
いちおう旅慣れていたつもりだったのだが、
あろうことかパスポートを忘れるなどという迂闊は初めてだった。

翌朝からカルカッタにある日本領事館に電話をかけることになった。
クミコハウスを出て迷路のように細く入り組んだ道を直感だけを頼りに
右へ左へと曲がりながら歩いていると、電話屋を見つけた。
中を覗くと小学生低学年ぐらいの少年が店番をしている。
 「カルカッタにかけたいんだけど、市外通話も出来る?」
 「オフコース。」
胸をくすぐる程の無邪気な笑顔を見せて、電話台の前に椅子を出して勧めてくれた。
ガイドブックに載っている<緊急連絡先>を見ながらプッシュボタンを押す。
全て押すと、少年も受話器に耳を密着させてきた。
しばらくコール音が続いたのち、たどたどしい日本語のインド人が出て来た。
すかさず少年は手に持つタイマーのボタンを押して私の目の前に置いた。
赤いランプのデジタル数字が1秒毎に進んで行く。
 「あの、パスポートをカルカッタのホテルに忘れてしまったんです。」
 「担当ノ係官ハ席ヲ外シテイマスノデ、15分後ニモウ一度電話シテクダサイ。」
受話器を下ろした。43秒。

15分後にまた来ると言ってカバンの中に入れていた腕時計を手首に締めると、
少年が不思議そうに腕時計を覗きこんできた。
思えば腕時計も忘れて来たため、途中に寄ったバンコクで買ったのだった。
スリウォン通りとシーロム通りの間で開かれる朝市で
道端にテーブルを置いて腕時計を無造作に並べているだけの時計屋。
 「いちばん安いのちょうだい。」
と言うと、ドラえもんの腕時計を差し出した。100バーツ(約250円)。

そんな子供向けの腕時計に、少年どころか通りがかりった大人たちまで興味を持ち、
私は見る間に取り囲まれた。
 「それ、メイドインジャパンか?」
中年の男が聞いてきた。
 「バンコクで買ったから、タイ製だと思う。」
 「いくらした?」
また別の男が聞いてきた。
 「100バーツ。でも売らないよ。」
 「じゃ、100ルピーだな。ルピーもバーツも同じだ。」
 「50でどうだ?」
 「だから売らないって。」
 「60で買うぞ。」
 「いや、まだ使うんだって。」
 「なんぼならいいんだ?」
こんな子供だましの腕時計を真剣に欲しがるインドの男たちに
一種の愛嬌を感じて止まない。

パスポートとこの腕時計のおかげで、バラナシでは様々な体験をした。
たまには忘れ物も悪くない。

この後、カルカッタに戻る列車の中にカメラを忘れて来たのは
敢えて言わない方向で…。

(今日の写真:働くおばさんと牛 at バラナシ/インド)

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December 31, 2005

暗い旅路


 <旅>は距離に捉われない。長距離であろうと短距離であろうと、それが移動である限り<旅>に変わりない。
 死刑囚の旅路に想いを馳せた。
 極刑は宣告されてから実行されるまで、日本では実に数年の時をかけるという。ただ刑が実行されれば良いというものではない。その時間の間に死刑囚の意識を変革させ、悔い改めさせることも必要だと考えられている。囚人本人にとってはいつ終焉を迎えるのか分からない時間という旅。自己の内面世界を行く旅。そしてまた獄房から刑台へと向かう道程という旅。刑が実行される前には茶やタバコが勧められるらしい。ひと息ついて落ち着いてから更なる旅へと送り出すのだという。
 イエス=キリストが神であったか否かは別にして、彼もまた旅をした。己の死床となる十字架を引き摺ってゴルゴタの丘へと歩んだ道程。ローマから派遣された時のエルサレム総督・ピラトの無罪宣告をユダヤ人は受け入れず、最終的にユダヤ人の手によりイエスは十字架に架けられることになった。
 十字架は死刑の中でも最も酷い道具と言える。両手・そして予め槌で骨を砕いた両足首を交差させた箇所の計3ヵ所を極太の釘で十字架に打ち付ける。その上で十字架を囚人ごと立ち上げると、囚人自身の体重でもってその釘が手足を裂こうとする。身体は前傾するものの釘が地に落ちることを妨げ、やがて全身の関節が徐々に外れていく。死への決定打が無いため痛みは絶えず続き、最終的に囚人は精神を狂わせ、2〜3日かけてようやく死に至るという。それもまた<旅>と言えよう。死への旅路。

 バラナシのゴードリヤ交差点に着いた。午後10時。夜も更けた真っ暗な時間にも拘わらず道は煌々と照らされ人で溢れていた。何処に泊まればいいか分からず、遠藤周作も泊まったというかの有名な「クミコ・ハウス」に行こうと決めた。
 リクシャーを呼び止め、「クミコ・ハウス」を知っているかとガイドブックを見せて尋ねると、若い運転手はリクシャーをその場に置き、私を暗い細道へと案内した。道は細く曲がりくねり、三叉路に突き当たる度に彼は人に尋ねた。道の両脇の建物は高く、雑然と様々な物が其処此処に置かれ、時に牛が寝そべり、幾つかの角を折れた時点で私は既に方向を失ったがそれでもなお道は続き、もはやこの若い運転手にこの身を預ける他なかった。この案内人がいなければ私は朝までこの暗い細道で出るに出られず途方に暮れていたに違いない。事実、翌朝クミコ・ハウスから外出した私は道に迷い、なかなか戻れなかった。

 我々の旅路に案内人はいるか?生という名の旅路。
 不安に満ちた世を歩むこの暗い道程を照らす案内人を求め、旅は続く。

(今日の写真:光る門に腰掛けるふたり at 堂島アバンザ/大阪)
051231

scott_street63 at 23:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

October 20, 2005

ナトリウムランプが落す黄色い光


寝苦しい夜が続く。
最近なぜだか眠れない。
布団の中で無為に時間を過ごすことにも疲れ、
スッキリしようと一人深夜のドライブとしけ込んだ。

静まり返った街中を行く宛てもなく闇雲に車を駆る。
車窓を過ぎ行く景色がまるで身体の中を通り抜けるように、
走る程に身体の中に籠もる暗雲が晴れていく。
風が身体の中を浄化していくような錯覚に陥る。

何処に行こうか?
今何処に行けば最もスッキリできるだろう?
悩んだ末、湾岸線の湾を見渡すサービスエリアを目指した。
巨大な足のように聳えるジャンクションから坂を上り、
夜空へと駆け上がる。
ナトリウムランプの黄色い照明が右へ左へと蛇行しながら
湾に沿って彼方へと消えていく。
橋の真下の暗い水面に幾つも落ちている黄色い光が
ガンガーに映るガートの灯火を髣髴させた。


朝9時25分きっかりにコルカタ・ハウラー駅を出発した列車は、
11時間走ってムガル・サライに到着した。
バラナシまであと1駅。
しかし列車は動き出す気配をまるで見せず、客たちはホームに降りて
身体を伸ばしたり顔を洗ったりし出した。
まぁいつものことか、とのんびり構えていたが、
どうもホームのアナウンスが騒がしい。
窓から身を乗り出して駅員らしい男に聞いてみた。
 「いつ出発するんだ?」
 「さぁな。バラナシとここの間で事故だ。」
あと1駅まで来てこれか。相変わらずツイてない。
バックパックを担いで列車を降りるとすぐオートリクシャーの運転手が寄って来た。
500ルピーでどうだ?高ぇよ。200だ。などと交渉し、300ルピーで手を打った。

駅前のナイトバザールで賑わう道をオートリクシャーで軽快に走る。
色鮮やかなサリーやパンジャビドレス、道端に座り込む牛、
真面目な面持ちで店番をする子供らの姿が目に飛び込んできては
後方へと過ぎ去っていく。
バザールを抜けて暗くなった所で突然リクシャーは停まった。
なんだかカネを払っている。
 「さっきのはナンだ?」
 「ギャングさ。」
時々ここで通行料を取っていると言う。素直に払えば何も問題は起こらない。
しばらく走ってまた停まった。
 「ちょっとここで待っててくれ。」
運転手はクルマを放っぽらかして走って行った。小用か?と思ってみていると、
暗闇の中にぽつんと浮かぶ小さな店を数人の男たちが囲んでいる中に入った。
近寄って見てみると、タバコのようなものを買って吸っている。
 「お前もヤるか?」
マリファナか何かだった。どっちにしたって煙草の吸えない私には関係がない。
エネルギーを充填した運転手は戻って来て再びアクセルをかけた。

暗い道を行く。
なんだか懐かしい匂いが漂って来る。
子供の頃、石油ストーブの天板にいたずらに爪や髪を乗せた時の匂い。
橋の下を暗い川が流れている。
向こう側の水面に黄色い明かりが幾つも並んで揺らめきながら映っている。
運転手がエンジン音に負けじと大声で私に向かって怒鳴った。
 「これがガンガーだ。」
これが旅の目的地、ガンガーか。
水面を凝視し、その神々しさに感動してみる。
拳を握り、「I got it !」と叫んでみる。
しかしどれも白々しかった。
ラオスで出会ったメコンほどの衝撃が私には感じられなかった。
長く憧れていたガンガーを目の当たりにして、私はようやく悟った。
私の旅はメコンですでに終わっていたのだ、と。


午前2時、サービスエリアに着いた。
海を見ようと2階の展望階に上がろうとしたが、
防犯のため階段は封鎖されていた。
こんな時間に自分は一体何をやっているんだろう?
1階の窓から少し見える暗い海が、なんだか空しかった。

(今日の写真:明暗 at 天保山/大阪)
051020

scott_street63 at 23:57|PermalinkComments(0)TrackBack(0)