ラオス

March 31, 2007

スコッチとメコン


ウィスキーの味は醸造所の風土によって作られる。

『シャヴィ』のマスターは色々な酒を試した結果、ウィスキーに辿り着いたと言う。
マスターの後ろには各種のウィスキーのボトルが並んでいる。
その中ではどれが一番好きなのかと尋ねたところ、「そうですね…」と少し悩んでから1本のボトルを私の前に置いた。
<ラフロイグ>という名のスコッチだった。
 「これほど好き嫌いのハッキリ分かれるウィスキーは少ないと思いますよ。
個性が強いと言うか、香りが強烈なんですよ。」
ちょっといいですかと断ってからフタを開け、鼻を近付けてみたがよく分からなかった。
 「飲んでみないと分からないですよ。」
と言われ、試しにロックで飲んでみることにした。
グラスに真ん丸い大きな氷を入れ、マドラーで素早くかき混ぜグラスを冷やし、
慣れた手つきで流れるように<ラフロイグ>を1ショット注いで私の前に差し出してくれた。
こわごわ口に含んでみると、強烈な匂いが口腔から鼻腔へと突き抜けた。
歯医者の消毒液の匂いに酷似している。
しかし匂いの嵐が落ち着き始めると、脳裏に静かな海が拡がった。
 「歯医者の匂いにソックリですね。」
 「そうでしょう、みんなそう言います。」
 「でも、奥の方に海の香りを含んでるような気が…」
私の言葉にマスターは驚いた表情を見せて「素晴らしい!」と褒めてくれた。
この<ラフロイグ>の醸造所は海の際に建てられているらしい。
そのため樽が潮風を浴び、ウィスキーに個性をもたらせているのかもしれない。

マスターはウィスキーというウィスキーはほとんど飲んだことがあると言う。
それでは…とメコンウィスキーの名を挙げると、その名を耳にするのも初めてということだった。
ましてやタイでウィスキーを醸造しているのも知らなかったという。
もうすぐ開店4年目を迎えるマスターへのお祝いはメコンウィスキーに決まった。
タイへ出張する兄に私の分とマスターの分、計2本のメコンウィスキーを買ってきてもらうように頼んだ。
私もメコンウィスキーは飲んだことがない。
想像と期待が膨らむ。
静かで神秘的なメコン川が脳裏に浮かぶ。


ラオス周遊の旅もいよいよ終盤を迎え、シェンコックに到着した。
シェンコックで再会したメコンもやはり静寂に満ち、しかし力強く、
異邦人を寄せ付けない何処か神秘的な雰囲気が窺えた。
メコンを挟んだ対岸はミャンマー。
川を北上すると中国。
中国の赤い星の旗を掲げた貨客船が何度か私の視界を横切った。
このメコンをスピードボートで約5時間一気に南下し、タイの入国ポイントである
チェンコンの対岸の町・フエサイへと向かう。

船頭の後に付いて川面へと下りて見ると、遠目に見ていた以上に流れが速い。
細長い船体の最後尾にドでかいエンジンを積んだスピードボートに乗り込むと、
船頭からヘルメットとライフジャケットを渡された。
高速で投げ出されたとき、水面はコンクリートの固まりに変わると言う。
不安と恐怖を内包しつつ、凄まじいエンジン音と共にボートは出発した。
いざ投げ出された時のために、私はこっそり靴紐をほどいた。

ボートは川の上を飛ぶように爆走した。
波に揉まれ、時に押され、時に真正面からぶつかり、
跳ねたと思った次の瞬間には水面に叩き付けられた。
歯を食いしばらなければ舌を噛みかねない。

前方の景色が曇って見えたかと思うと、船頭が急にスピードを緩めた。
乗客に足下のビニールシートを上げるように指示した。
全員がビニールシートを被ったことを確認すると、再びスピードを上げて突進した。
途端に激しい雨が打ち付けてきた。
スコールだった。
ごく小さなスポットで降りしきるスコールを突き抜けると、再び快晴の空の下に出た。
ボートの勢いはなおも止まらず、川は何処までも続く。

途中の船着き場で休憩を挟み、再び南下を続けること約2時間。
それまでずっとミャンマーとラオスに挟まれた山間いを走っていたのが、
一気に視界が開けた。
麻薬栽培でその名を轟かせたゴールデントライアングルが眼前に拡がっていた。
タイに到着したのだ。
その時の感動を今でも忘れない。
心を震わせ、感謝せずにはいられなかった。
誰に?
神にか?
両親にか?
あるいはメコンにかもしれない。
荒れていた波は治まり、ボートの脇に走る縦の波が竜の背のように見えた。
メコン川には竜が住んでいると聞く。
メコンの竜神に感謝を捧げずにはいられなかった。

静寂と神秘に満ちる4,000kmに及ぶ大河。
その川のほとりで醸造されるウィスキーに期待が膨らむ。


果たして、2週間に渡る出張から兄が帰って来た。
待望のメコンウィスキーは……ドブの匂いに満ちていた。
生活汚水を垂れ流すチャオプラヤー川で造られてるんじゃないだろうか。
検証の余地が存分にある気がする。

ちなみにマスターは、恐ろしくてまだ開封していないらしい。
賢明かもしれない。


(今日のしゃしん:海底トンネル掘削機 at うみほたる/千葉県木更津
きのうまで東京へ遊びに行ってました。)
070401

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February 28, 2007

Capitalism


神戸の舞台芸術を主とした批評紙「Splitterecho」のブログ版
「しゅぷりったあえこおnano」の11月16日の記事にいたく感銘を受けた。

たび重なる児童の自殺を「こどもたちの自爆テロ」と表現した文章は、
的確に社会を刺していると思う。
大人、あるいは政治家が造り出した社会の歪みを身をもって指摘する悲報の数々。
今もどこかで敢行されているかもしれない児童による自爆テロ。
いじめる・いじめないの問題ではなく、
社会あるいは大人たちの歪みに要因があるのではないか。
親は子の鑑となるべきだが、子は親の<鏡>でもある。
モラルの欠如した大人を見、子供はそれを模倣する。
競争社会に生きる親を見、教室で優劣を競う。
資本主義による競争社会は小泉政権の改革によって激化し、
その歪みが次代を担う子供たちに現れる。
ソ連の崩壊により共産主義は敗北したが、
資本主義に代わる経済体制を創造する必要があるのではないか。

ある子供の目が私の脳裏から消えない。

ルアンナムターから2〜3km離れた所にランテン族の集落がある。
少数民族と言えば独特な民族衣装を容易に連想するが、
普段から民族衣装を身に纏っている人はそう多くない。
ルアンナムター周辺のアカ族の集落では、独特な“すず”の兜どころか、
短パンにタンクトップ姿の男が軒先で煙草をふかしている程度であった。
しかしランテン族の集落に入ると、大人から子供まで皆、
伝統的な藍染めの民族衣装に身を包んでいた。

真夏の最も暑い盛りに自転車で集落の中を走っていると、
池で水遊びに興じている子供たちが、
 「サバイディ〜(こんにちは)」
 「カモーン、カモーン。」
と手を小招いてくるから近寄ってみると、首からぶら下げた私のカメラと
自分とを交互に指差し、
 「フォト、1ダラー」
と商売を始めた。
1ドルくれたら私の写真を撮ってもいいわよ、と言うのだ。
 「ノーサンキュー」
と断ると、今度は目を指差し、
 「ユールック、ハーパンキップ」
私を見たでしょ、はい5,000キップ(=0.5ドル)、などと言い出す始末。
彼らは観光客の需要を満たすべく民族衣装を着ているに過ぎない。

現実を目の当たりにして愕然とする私の前を、
猛スピードで砂埃を巻き上げながら1台のオートバイが走り過ぎた。
ヒップホップな帽子を被り、キュートなアップリケを貼り付けた洒落たジーンズに
流行の厚底ブーツで全身をキメた女の子が、妹か友達かと2ケツして
集落の奥の方へと消えて行った。
親が都市部か外国に出稼ぎに出ているのだろう。
同じ集落にあって、貧富の差が明らさまに見せ付けられる。
子供たちが必死に1ダラーとせがむのも当然と得心する。

集落から出る際に、一軒の家の庭で喋っている姉妹に
写真を撮らせてくれと頼んだ。
やはり1ダラーと言われたが、素直に支払った。
 「ヌン、ソン、サン!(1、2、3!)」
と写真を撮って、彼女らの姿を液晶モニターで見せてあげる。
笑顔で喜ぶ彼らを見て私も喜んだのも束の間、困った事態に陥った。
いちばん上の姉がしどろもどろに英語と標準ラオ語とを混ぜて私に言った。
 「この写真をください。」
見せることは出来ても手にすることの出来ない写真に何の意味があろうか。
私は本当に申し訳なく、渡すことは出来ないと伝えた。
その時の彼女の哀しげな目を、私は一時たりとも忘れたことがない。
彼女らを喜ばせるどころか、私は、身をもって彼女らに
貧富の差を見せ付けたに過ぎないのだ。

きょうフェニックスツアーにて盆休みの航空券を申し込んだ。
彼女らに写真を届けに行こうと思う。

(今日の写真:ランテン族の姉妹+弟 at ルアンナムター近郊/ラオス)
070228

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December 24, 2006

【Erehwon】=理想郷


メリーアサオです。
イブだというのに教会にも行かず、私は事務所にサービス出勤です。
ちなみに奥方はバイト。
こんな年末に休んでられまっせん!

というか、正直最近ぜんぜん余裕ありません。
とにかく自分と向き合う時間がない。
世渡り下手なのが災いしていろいろ背負い込んでしまい、
パンクしかかってるところを救ってくれたのは何を隠そう奥方でした。
結婚してよかったなぁ〜なんてのろけつつ、
彼女自身もまた私の重圧になってたのはここだけのヒミツということで…。
(けっして体重のハナシでは……ゴホッ、ゴホッ)
いえ、私が勝手に背負い込んでただけなんですけどね。

そんなわけで、今月は月イチUPすらままならないので、
過去の日記ツールで掲載した文章でご容赦をば。。。

それにしても、ほとんど誰も来ないこのブログを更新しないと…
と思う気持ちは何なんでしょ。
そもそもHPやブログで日記を公開する意味は?

これまで旅について書いてきたけど、webというものも旅に似ている。

webとは空間である。
仮想とは言え、webページを所有する者には空間が与えられている。
そして仮想だからこそ、webは居心地の良い逃げ場所ともなる。
仮想の世界なら自分が何者であろうと構わない。
名前も職業も国籍も家族をも捨て、何者でもない自己、純粋な自身となり得る。
旅も同じだ。
日本を出て一人になってしまえば、余程のことがない限り、
誰も私の正体など知りはしない。
誰も私が何者なのかと追及もしない。
そこにいるのは誰でもない、ただの“私”だけ。
webを仮想の空間と呼ぶなら、旅は仮想の時間かもしれない。

私はなぜ旅に出るのか?
私が求めているのは、何者でもない、何にも囚われることのない、
純粋な“私”となれる場所。
此処ではない何処か。
それは理想郷と呼ばれ得るものなのかもしれない。
かつて理想郷をエレフォンと呼んだ人がいる。
【Erehwon】逆に返せば【Nowhere】。
すなわち「何処にも無い」。
しかし、私はその何処にも無い理想郷を見付けてしまった気がする。
何処にも無いそれは、何処でもない場所にある。
此処でもない、其処でもない。
むしろ此処と其処の間。
移動の最中にこそ私が真に“私”となれる気がする。

ルアンパバーンからウドムサイを目指し、ソンテウに乗った。
荷台の両端に簡素なベンチを設置し、幌を被せた乗合いトラック。
人と物を満載したところで、小雨の降る中、山道に向けて出発した。
ラオスは山の中にある国だ。
とりわけヴィエンチャンより北は、隣接する中国・雲南省に向けて
標高を上げながらひたすら山が続く。
トンネルなんて洒落たものはない。
ただひたすら山を上り、下ってはまた上りながら進む。
途中車外に目を向けると、山々の頂が眼下に拡がっている。
もちろんガードレールなんてものも無い。
舗装されている筈の道路はぬかるんで沼と化し、また長雨による山崩れで塞がれ、
七難八苦を乗り越えながらソンテウは前へと進む。

私の向かい側にアカ族の親子がいた。
銀色の兜を被り、独特な民族衣装に身を纏った母親と子供2人。
その子らが私の顔を凝視していた。
 「○X△◇……」
私に何か話しかけて来たが、何を言ってるのか分からない。
隣のおばさんが訳してくれた。
 「……ティナイ?」
ティナイ(何処)という言葉しか解らなかったが、
この状況から何処から来たのかと聞きたいのだろうと判断し、
ジープン(日本)だと答えると、車内がどよめいた。
皆、好奇の目を私に集めた。
アカの子供たちは初めて見た日本人にやや興奮気味でさえある。
皆めいめいに「おい、ジープン」「ヘイ、ジープン」と声を掛けて来たが
何を言っているのか解るはずもない。
知っているタイ語を並べてラオ語は解らないと答えると、皆が笑った。
彼らにとっては日本人の方が明らかに少数民族なのだった。

途中の緩やかな下り道で車が止まった。
道端で何やら売っている。
運転手も客も、皆わらわらとそこへ群がって行く。
戻ってきた人々の手にはヘチマのような野菜があった。
車は再発進し、車内の人々はナイフを取り出して食べ始めた。
 「それ何?」
隣りのおばさんに聞いてみた。
 「マックァ。」
と答えて、竹割りに切ったマックァを私にくれた。
かぶりつくと、甘いキュウリだった。
 「セアップ!(旨い)」
と言うと、また皆に笑われた。けっして嫌な気分ではなかった。

暫く走り、再び車が停まった。
途中の民家から男性が追いかけて来て荷台に飛び乗った。
 「○×△◎!」
奥の方からその男に声が飛んだ。
見るとズボンのチャックが全開に開いている。
全員が大きな声で笑った。私も笑っていた。

景色が過ぎ行く毎に、私の中を風が抜けて行く。
私を定義付ける鎖が解け、足枷も外れていく感覚。
翼が生え、何処にでも飛んで行けるような錯覚。
この時、私は“私”だった。


現実逃避だなんて分かってるけど、たまのことなんだからいいじゃない。

(今日の写真:天高く馬肥ゆる… at 神戸市役所前の公園)
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November 19, 2006

TRAVEL CAFE.


ビジネス街・本町のど真ん中に「TRAVEL CAFE」なるカフェが開店した。
「旅を体感できるカフェ&バー」という謳い文句だっただけに
開店を心待ちにしていたのだが、ボジョレー発売が解禁された先日、
開店後2ヶ月にしてようやく機会に恵まれ訪れた。
店内には50インチのプラズマディスプレーが入り口と奥の2カ所に設置され、
美しい外国の景色が絶え間なく放映されている。
…ただそれだけ。
“「旅」と「カフェ&バー」を融合した新しいタイプのお店です。”
とかなんとかフライヤーに書いておきながら、ただそれだけの店。
その程度のアイデアしかないんならいっそスクリーンも何もないほうが
ずっとマシだ。
初モノということでボジョレーを注文しようと店員を呼んだ。
 「ここのボジョレーはどこの?」
 「え…?どこ、の…?」
 「ほら、産地とか、レーベルとか。」
 「え…、ちょ、ちょっと聞いてきます。」
解禁当日というのに、店員の教育もその程度な店なのか。

「旅」と「旅行」は違う。
どちらも住み慣れた土地を離れての移動を意味する言葉であるが、
一般的に「旅行」と言えば楽しげな意味合いを含んで聞こえるものの、
「旅」と言えば、どこかストイックなものとして捉えられるべきじゃないだろうか?
ストイックなものである以上、「旅」は単独で行われるべきものと
私の中では決まっているが、
単身インドへ行くと言う妻の友人は、彼がウェブ上で公開している日記上で
「旅行」として扱った。
大学時代の知人などは、「旅」と称して男二人でインドへ渡った。
彼らを見ていると、ストイックであるか否かという抽象的な区別は
改めるべきかもしれない。


ビエンチャンにて、ある工学博士と知り合う機会があった。
旅が終盤を迎え、ルアンナムターからビエンチャンに戻ってきた夜、
現金の心もとない私はクレジットカードの利く欧米人の集まる店へ
夕飯を食べに行った。
生のビアラオとラオス風鶏肉カレー、フレンチフライで計3.5ドル。
ラオスの通貨は「kip(キップ)」だが、国民が自国の通貨を信用していないため
米ドルでの支払いがまかり通る。もとい、米ドルでの支払いの方が喜ばれる。
欧米人の集まる店では通常米ドルでしかメニューに記載していない。

賑やかな店内でひとり黙々と食べるのは少々つらい。
旅の疲れも手伝ってか、店内の騒がしさが寂しい気持ちに拍車をかける。
誰か似た境遇の人はいないかと辺りを見回すと、メガネをかけた、
この場に似つかわしくない日本人男性がいた。
ポロシャツにスラックス―――ビジネスで来たのだろうか。
話しかけて良いものか長く迷ったが、彼が「地球の歩き方」を開いたところを見て
旅行者だと判断を下して話しかけてみた。
 「お一人ですか?よければ同席させてもらっても構いません?一人で食べるのも飽きてきたので…」
彼は快く承諾してくれた。
話をすると某大学の助教授にして工学博士らしく、NGOの要請を受け、
10人のグループを組んでビエンチャンの大学に赴き、
IT関連の開発に携わったと言う。
ラオス滞在は1週間。
他の9人と通訳は今朝ひと足先にバンコクに戻って
夜の盛り場を楽しんでいると言う。
しかし彼は自分の足でこの街を歩きたいと思い、
ビエンチャンに滞在することにしたらしい。
 「なにせ毎日ホテルと大学の間をお迎えの車で行き来して、食事はレストランやホテルで用意されてるわけですからね、日本にいるのと全く変わらないんですよ。この国の中にいるのに、外から眺めてるだけ。時間があればもっとこの国のことを知りたかったんですがね。」
彼はこの一週間の滞在で感じたラオスの教育の遅れ、経済状況の酷さを語ったのち、
国内の他の地域について尋ねてきた。
私はデジカメで撮った写真を見せながら話した。
話は盛り上がり、ビアラオの追加を注文してさらに話しこんだ。

さて時間もいい頃合いだし、とお愛想となった。
彼は4.5ドルの伝票に対して20ドル紙幣しかなかった。
私はクレジットカードで払おうとしたが、カードリーダーが故障との理由で、
泣く泣く残り少ない米ドルを手放すことになった。
一方彼は、お釣りとして15.5ドル分のラオスキップ紙幣をどっさりと渡された。
互いに苦笑し、是非いちどルアンパバーンにも行ってみて下さいと
彼の手の分厚い札束を指して勧めた。


トラベルカフェにて、さっきの店員が戻ってきた。
 「ボジョレーはボジョレーです。」
自信満々に答える彼女に呆気に取られた。
社員に聞いてそんな回答とは、ボジョレー並みに浅く若いということか。
旅を語るには深さも経験も足りない。


(今日の写真:夜のKIX at かんくう/大阪)

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September 19, 2006

タイムトラベラー II


三次元に足りないのは時間軸の概念らしい。
幅・奥行き・高さの三次元から構成される空間に時間をプラスすることで
四次元となる。
ならば四次元の世界では時間軸上の移動、すなわちタイムトラベルが
可能なのだろうか…?
久しぶりに訪れたバー「シャヴィ」でグラスを傾けながら、
ふとそんなことを考えた。
客は私ひとり。
静かな店内に、手の平で弄ばれる氷の軽やかな音が響く。
琥珀色の澄んだ液体に、張り詰めた神経も溶けていく。
17年の時を経て私の前に注がれたウィスキー「響」。
彼の17年を噛み締めるようにちびりちびりと胃に流し込む。
これもまたタイムトラベル。

バンビエン発ルアンパバーン行きのバスは白人だけでほぼ埋め尽くされた。
約60人を詰め込んだ超満員のバスだが、眼前に拡がる広大なアスファルト舗装の
大地の上ではほんのひと摘みの人数に過ぎない。
ベトナム戦争時に米軍が使用した飛行場跡。
バンビエンの町はこの飛行場に沿って展開されている。
あの枯葉剤を積んだ飛行機もここから飛び立ったのだろうか。
当時に想いを馳せてみる―――何十台ものプロペラ機の耳をつんざく轟音が
脳裏に響く。

ベトナム戦争がラオスも舞台としていた事実はあまり知られていない。
バンビエンを発ったバスはルアンパバーンまで約8時間、
国道13号線を延々と走る。
山の中を駆け回るなら話は別だが、ルアンパバーンへ通じる道は
この一本しかない。
かつてこの道をほうほうの体でベトミンから逃げたモン族の姿が目に浮かぶ。
ベトナム戦争は、ベトナムからラオスに浸透する共産主義を食い止めるために
アメリカが起こした戦争だった。
敗戦を喫した米軍兵はさっさと本国へ帰還すればしまいだが、
米軍に傭兵として雇われた少数民族・モン族は、戦後、
ベトミンによる凄惨な掃討戦に追われることとなった。
多くの血がこの13号線で流され、
米国への憎悪を抱きながら果てて行ったに違いない。

凹凸の激しい国道に疲弊しながら、夕刻、ルアンパバーンに着いた。
ルアンパバーンの町の中心部には小高い山があり、
その頂上には「ワット・プーシー」と呼ばれる寺がある。
328段の階段を上り、ワット・プーシーからメコンに沈む夕陽を拝む。
その寺の裏に回ると、樹木に隠れるように重機関砲の砲台が今も残っている。
砲台の前は見晴らしが良く、故意にそこだけ樹木を取り除いているように思えた。
これもベトナム戦争の名残なのか。
目を閉じれば重機関砲の凄まじい爆音が聞こえて来る。
何も知らない子供たちは、公園の遊具のように砲台を回して遊んでいる。

9.11から5年。
ハワイの真珠湾を除き本国を狙われたことのない米国民にとって
あのテロによる衝撃は我々の想像をはるかに上回るだろう。
しかし、日本に未だ残るヒロシマ、ナガサキ、オキナワの傷跡は
紛れもなく彼らによって作られた。
韓国と北朝鮮も然り、アフガニスタン、イラクも然り、
過去を遡れば、米国民のテロに対する憎悪以上に、
世界中の憎悪が米国に向けられている。
9.11は起こるべくして起きたものなのかもしれない。
それを事前に察知しておきながら放置していたブッシュ大統領の策略も
酷いものだが。

タイムトラベルは過去を遡るだけではない。
未来に想いを馳せるのもまたタイムトラベル。
歴史を知ることで、未来への理想もより具体的なものとなる。
実現まで一千年かかってもいい。
一年に一歩でもいい。
より理想的な未来へと続く旅路を歩みたい。

……とりあえず、ブッシュ大統領、イッとく?

あ、ミャンマーの写真アップしました。
よければHPから見たってください。

(今日の写真:宙(そら)を想う at なんばパークス/大阪)

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August 18, 2006

Nostalgic Journey


この盆休み、またルアンパバーンへ行ってきました。母を連れて。
母が一人でも行くと言い出したものの、やはり心配なので、
急遽たまったマイルを特典航空券に交換して。

ルアンパバーンは観光客が年々増加の一途を辿っているらしく、
雨後の筍のように其処此処で新しいゲストハウスやホテルが建てられている。
小さな街だから、観光客が現地人と同じぐらいいるんじゃないかと思わされるほど。
以前は無かったナイトマーケットも然り、
クレジットカードavailableな洒落たショップも然り。
夜になるとレストランから流れる音楽が騒々しく、
来年辺りはクラブハウスまで出現するんじゃないかと心配になる。

「何も無い」のが魅力だったラオス。
貧しい民が外貨を稼ぐ機会が増えたと考えれば嬉しくも思うが、
個人的な感傷としては、また一つ帰るべき場所を失った寂しさは否めない。

旅とは所詮、原風景への憧憬なのかもしれない。
自己の感情を昂ぶらせる未知なる何かを求めているつもりでも、
結局辿り着くのはいつか何処かで見た風景なのではないだろうか。
…私だけ?

幼少の頃より常に私の中に根付いている景色がある。
祖父母の住んでいた家から少し歩くと、見渡す限り田圃が拡がっていた。
正月や盆に親戚一同が祖父母宅に集まるのが慣わしだったが、
私は夕食の始まる時間まで一人で広い田圃の真ん中を散歩したものだった。
とりわけ正月の朝の田圃は、どんよりと雪雲の垂れ込む一面の空の下、
だだっ広い空間に誰一人通らず、
世界には自分一人しかいないのかと錯覚させるほど静寂に満たされていた。
その田圃を歩いていた時のことを思い出すと、甘く切ない気持ちに襲われる。
あの静かで穏やかな時間が私には何よりも幸福だった。

来年の正月にスペインに行きたいと妻から言われた。
某航空会社の特別レートで、通常50万円以上する運賃が、
一月一日からの出発だと8万円弱で往復できるのだ。
地中海に面する白く慎ましい町・ミハスで静かに時を過ごしたいという。
山肌に咲く白い小さな町。
教会の裏のミラドールから眺めるコスタ・デル・ソル。
地中海の上に拡がる青い空。
穏やかな気候のもと絶景を眺めながら、
町中のバルで買ってきた絞りたてのオレンジジュースとサンドウィッチで
遅いブランチ。

……いいかもしれない。
確かにそれもいいだろう。
それもいいと思う反面、私には全く逆の計画がある。

正月は中国四川省にある夏河(Xia He)に行きたい。
チベット族が8割を占める小さな街。
日本から北京あるいは広州で国内線に乗り換え蘭州へ。
蘭州からバスで約7時間。
冬の平均気温はマイナス8度。
写真で見る限りはどうやら盆地にできた町らしく、
周囲の山には樹木が生えておらず地肌が晒されている。
何があるのかと言えば、チベット仏教の寺が一つあるだけで、
他は大して何も無い。
しかし私は期待している。
雪雲が低く垂れ込む静寂がそこにはあるんじゃないかと。
寒さに堪えながら、何もない乾いた山肌を踏みしめたい。

ノスタルジーが産み出すものは何だろうか。
ノスタルジーとは、人を怠惰に後退させる甘い毒なんじゃないだろうか。

判ってる。
判ってるんです。
でも、正直ホント、心身ともに疲れてるんで、
甘んじる私を許してください。


(今日の写真:睨む竜 at ルアンパバーン/ラオス)

060818

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October 15, 2005

地に足を着ける。


アサオです。

今さら見てる人もいないと思うんですが、忙しくしてました。
月末月始のシゴトが立て込んでたのに加えて、
新居探しやら電化製品や家具の購入やら司会役との打ち合わせやら…。
まぁなんというかその……、そーいうワケです。

そんなワケで、旅に出る口実ができました。
来年の1月末〜2月初旬にかけてアルゼンチンへ…!
マルコ!
アメデオ!
宮崎っ!!

ちょっと気になって調べたんですが、
『世界名作劇場』で放送してた『母を訪ねて三千里』(1976.1月〜12月)って、
なにげに宮崎アニメだったんですね。

そんなハナシはともかく。

高校の時から可愛がってもらってた社会科の先生から常日頃、
地に足の着いた生き方をせよと諭されてきた。
私のように、
何処の土地にも属さず、旅(移動)の最中にしか自分の生命活動の意義を
見出せない人間には、それ以上苦に思えることはない。
家庭を持つことで定位置に束縛されることが幸福なのかと問われると、
今の時点ではまだ“そうだ”とは断言できない。


17人乗りの小さなセスナ機でルアンナムターに着いた。
煩雑な用件や仕事に忙殺される日常から脱出し、
観光客も少ない小さな町で静かに過ごしたかった。
掘っ立て小屋のような空港で帰りの便のリコンファームも済ませ、
市内に向かうトゥクトゥクに乗り込む。
私とラオス人の青年との乗り合いとなった。

雨季にも関らずその日の空は抜けるように青く、
日は遮られることなく燦々と降り注いでいた。
トゥクトゥクに揺られ後方へと過ぎ去る光景の中に、
日傘代わりに色とりどりの雨傘を差し、気まぐれに回しながら歩く女たちや、
何頭もの水牛を連れてゆっくりと歩く腰の曲がった老婆、
「ハロー」「サバイディー」と声をかけては追いかけてくる無邪気な子供らの姿が飛び込んでくる。
牧歌的にゆったりと流れる時間に心が洗われるようだった。

 「韓国人?」
乗り合わせたラオス人が英語で尋ねてきた。
 「いや、日本人。」
 「いつまでルアンナムターにいるんだい?」
 「1日だけ。明日のフライトでヴィエンチャンに戻らないといけない。」
 「なんで!?短か過ぎる!」
 「仕事が待ってるからね。日本のホリデイは短いんだ。」
彼はアメリカ人のように大袈裟な身振りで同情してくれた。
 「ところで、南の方には行ったことあるかい?」
 「いや、ない。」
 「いちどチャンパーサックにも来てくれよ。いいトコロだから。」
 「あれ?キミはルアンナムターに住んでるんじゃないの!?」
 「オレはチャンパーサック出身なんだ。ヴィエンチャンでエンジニアをしている。
 今日は出張でここまで来たんだ。」
そうだ。なぜ気付かなかったのだろう。私には非日常でも、彼らにはここが日常の生活の場なのだ。


 私は何故旅をするのだろう?
 もしかすると単純に、ありもしない理想郷を夢見ているだけなんじゃないだろうか?
 地に足を着けるとは現実を直視することだとは思うが、私は単に現実逃避しているだけなんだろうか?
 
 ……旅はしばらくおあずけかなぁ。。。

(今日の写真:突き抜けるほど晴れたある日 at 青海/東京)

051014

scott_street63 at 00:48|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

August 29, 2005

Furo


アサオです。

時々ふっと、片道航空券でタイを訪れたことを思い出す。
バンコク国際空港で入国審査を済ませ、残りの航空券をゴミ箱に捨てた。
身体を地に縛り付ける重力から解放された快感。
自分はどこにでも行けるんだという錯覚。
それから4ヵ月後、やっぱり私は日本に帰ってきた。

旅は、帰るべき所があるからこそ旅と呼べるのかもしれない。
“旅”【tabi】と、繰り返すという意味の“度”【tabi】。
漢字が大陸から伝わる以前の日本語は、
恐らく音や響きで意味を分類していたんじゃないかと思う。
たとえば、相、会、合、逢、愛… 
すべて【ai】と発音できる二者あるいは複数の関係を表す言葉。

今でも女の子の名前は意味よりも響きを重んじる傾向が強い。
日本語って美しい。
そう気付いた時、あぁ、やっぱり日本っていいなぁ、と思える。

ラオスやタイなど東南アジアでは、
身体を洗う際、「風呂に入る」という概念がない。
男はパンツ一丁で、女は巻きスカートを胸まで隠すようにたくし上げて、
水道や井戸で水をかぶる。
全裸にならないのだから人前でも堂々と身体を洗う。
ラオスを周遊していた2週間は私もその生活を余儀なくされた。
井戸の水を被るなんてことはなかったけど、
シャワーが付いてると良い方で、ドラム缶に貯めた水を掬って被ることもあった。
湯を被ることなんてない。
東南アジアの住人らはこう思うんだろう。
なんで暑いのにわざわざ熱い湯なんて被るんだ、と。

ラオスに入国して2週間目、ビザが切れる直前に私はフエサイから出国し、
メコン川を渡ってタイに入国した。
タイ側の入国地はチェンセン。
そこからバスで3時間ほど走るとチェンライという観光都市に着く。
ラオスでは1ドル、すなわち約100円でさえ無駄にしない旅をしていたから、
チェンライでは、到着したのが夜遅かったからというのもあって、
10階建てぐらいの豪華なホテルに飛び込みで泊まった。
ポーターに部屋に通されるなり、私はすぐに服を脱いで風呂に入った。
蛇口からふんだんに放出される熱い湯を浅い浴槽に貯めて、
肩までしっかりと浸かる。

かーっ、たまんねェー!

身体の芯に溜まった疲れが横隔膜を刺激するのか、
堪らず声を出さずにはいられない。
この感動を知らないアジアの人々が可哀想に思えるほど、
日本人で良かったと心の底から感嘆した。

また奥多摩の温泉に行きたい…。

(今日の写真:雑多屋さん at ルアンパバーン/ラオス)

050829

scott_street63 at 23:31|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

August 19, 2005

プーシーに思う


アサオです。

お盆休みを利用して、3泊6日(機内2泊)でタイへ行ってきました。
ついでに足を伸ばして4年ぶりにラオスの古都ルアンパバーンまで行ったり。
バンコクからPG(バンコクエアウェイズ)でルアンパバーンまで直行。
…なんとゆーか、カオサンみたいになっててちょっと残念。
メインストリートを歩行者天国にしてナイトバザール開いてたり。
といってもしょせんラオスですから、
タイのパッポンに較べたら1/100ていどの規模なんですけど。
欧米のヒトが出資してるのか、
築100年近い家屋をリフォームしたオサレなショップがいくつか開いてた。
ラオスってなんにもないのが魅力でもあったのに、
賑やかなルアンパバーンにちょっとヘキエキ。。。

ルアンパバーンはカーン川とメコン川が合流する地点に開けた街。
かつてランサーン王朝の首都が置かれた街で、
その王宮には「パバーン」と呼ばれる守護仏が祀られている。
偉大な(ルアン)守護仏パバーンという意味でルアンパバーンと名付けられたらしい。
毎年1月4日にそのパバーン仏を王宮博物館からワットマイという寺に移送される際には
古式ゆかしい行列とともに輸送され、読経や潅水の儀式が行われるらしい。
一度行ってみないと。

ちなみにルアンパバーンは街全体が世界遺産に登録されたスゴイ街。
なのに日本人にはまだまだ知名度が低いみたいで悲しいような嬉しいような…
日本人のおばちゃんらが集団で闊歩するよーになること想像すると、
正直ゾッとするかも。
でも欧米人はホントに多い。
欧米人の中でも意外に年配のアメリカ人が多い。
きっとベトナム戦争時代のこととか思い出すんだろーなぁ。

今回は上らなかったけど、
街の真ん中にプーシーという小高い丘に立つ祠がある。
そこに上ると重機関砲のごっつい砲台がある。
ルアンパバーンの北側のずっと向こうまで見渡せるスポット。
そこから敵の侵入を狙い撃ちしたんだろうか?
今では子供が乗ってくるくる回る遊具と化している。
子供たちは知らなくても、たとえ砲台が無くなったとしても、
歴史の傷跡は消えない。

太平洋戦争が終わって60年。
何年経っても、たとえ戦争を知らない世代だけになっても、
歴史に刻まれた傷を忘れてはいけない。
語り継がなくちゃいけない。
同じ過ちを繰り返さないために。
今年の夏は特に核の被害者としての放送が目立ったけれど、
日本が行った残酷非道な行為も忘れてはいけない。
…なんて、終戦記念日にタイに行ってた人間が言えることじゃないんだけれど。

いまNHKでやってる『アウシュヴィッツ』に釘付け。

と言いつつ、帰国後すぐに録画しといた『スローダンス』に飛びついた。
『スローダンス』、胸に滲みるわ……

(今日の写真: 南無 at 吉野/奈良)

050818

scott_street63 at 10:03|PermalinkComments(0)TrackBack(0)