中国

December 25, 2022

On the way back along Mekong.


旅の楽しみは計画を練っている時点で半分は消化しているのかもしれない。
漸く規制のない渡航が許されるようになると、浮き足立つように体が疼き始める。
滅多に公休以外に休まない自分だが、一日休暇を取って出かけることにした。
久しぶりのラオスへ―――と思ったら、発券直後に欠航の連絡が来た。
コロナ禍はまだ終わらない。
それならば、とシーズンオフの南の島をブッキングした。
ブティックエアラインと自称するバンコックエアウェイズでサムイ島へ。
シーズン中はダイビングやマリンスポーツで沸くリゾート地でありながら、10月〜1月はモンスーンの影響で天候不安定な季節とのこと。
時に酔狂と誹られることもあるが、私には誠に結構な季節でもある。
曇天あるいは雨天の下、本来は鮮やかに青いのであろう灰色の珊瑚礁を部屋から眺めつつ、だらりと無為に一日を過ごしたい。
飽きるまでベッドへダイビング。午睡の海へ潜る。
睡眠こそストレス解消。
罪深い自堕落な休日に想いを馳せるだけで、もう楽しい。
思わず顔が綻ぶ旅行前。当日が待ち遠しい。

旅行が解禁になったことで、さっそく次の長期休暇を調べてみた。
次は2024年〜2025年にかける年末・正月休みが長い。
12/28(土)〜1月5日(日)までの実に9日間の休みとなる。
その頃には中国も解禁になっているであろうから、また雲南省の雨崩村へのトレッキングに挑戦したい。
前回の私は本当に道を違えたのか、再度雨崩村から尼農村への峡谷の道を歩いて確かめたいのだが、それよりも、荒々しく流れるメコン川上流にまた会いたいと思うのだ。

あわや遭難かと民家に置かれたタクシーに救われた翌朝、意外にも体に疲労は残っていなかった。
夕食の質の低さからホテルで供される朝食を敬遠し、日本から持ってきた携行食糧で済ませてチェックアウトの手続きをしているところで、タクシーの運転手が約束通りに迎えに来た。
南宗峠越えに挑む前日に声を掛けてきた運転手。
普通なら山を越える道で香各里拉まで戻るところを、敢えてメコン川沿いの低地を走って、香格里拉より手前の塔城(ターチェン)まで送らせた。
交渉の際には難色を見せた運転手だったが、言い値の900元を出すと約束すると、言った本人が驚きを見せながら受けてくれたのだった。

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山を越えない分、道程は長い。
川沿いを延々6時間、昼食も摂らずに走り続けたのだが、途中にある見どころで停まってくれるサービス精神を持ち合わせているのには驚いた。

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メコン川と並走する道を駆る。
運転手と一言も交わすことなく、ずっと川面を見続けた。
何故これ程まで自分はメコンに恋い焦がれるのだろうか。
死後は是が非でもメコンに散骨を願う。
ここまで来るのは大変だろうから、ルアンパバーンで妥協しても構わない。
ワット・シェントンの船乗り場からパークウー洞窟へ船で向かうと、急に視界の拡がる場所がある。
そこで是非撒いてほしい。
メコンに溶けてしまいたいとまで想う。
しかし道は途中でメコンと別れを告げて、塔城へと向かうことになる。
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町に入ったものの、目的の宿が見つからない。
運転手は町の人間に訊ねたが、皆目分からない。
往来の真ん中で車を停めて、運転手は黙ってイライラとした雰囲気を醸し始めた。
咄嗟に閃いてVPNでGoogle Mapを試してみると、もう殆ど真近まで来ていたのだった。
その宿は棚田の高台の上で樹々に隠れるように建っていた。

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「松赞塔城山居(Songtsam Tacheng Shanju Hotel)」
景観を損なわない3階建て。外壁はシックな煉瓦で覆われていながら、内装は樹の温もりに包まれた造りがたまらない。
最終日だからと思って少し張り込んだのだった。
午後4時、チェックインを済ませると、流暢な英語を話す女性スタッフが言った。
 「アフタヌーンティーはいかがですか?」
突然の質問に驚いた。
アフタヌーンティー?
軽井沢のペンションでもあるまいに、まさかの雲南省でアフタヌーンティー。
 「幾らですか?」
私の質問に彼女は首を傾げた。
 「多少銭?」
中国語でもう一度訊ねてみたが、言語の問題ではないのだった。
 「宿泊のお客様のみのサービスです。」
一泊二食アフタヌーンティー付き。
洋菓子と紅茶でもてなされる正真正銘のアフタヌーンティー。
値が張るとは言え、アフタヌーンティーまでデフォルトで給仕する宿など欧州でも見たことがない。
この系列のホテルは中国内に他にもあるらしい。
次来る時には是非もう一度抑えたい。
寒くて辛い登山よりも、むしろ宿泊を主題に置いても良いかもしれない。
もう今から楽しみでしかない。

客室内




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May 05, 2021

Recuerdo de viaje por Yu-Pong-Cheon. Aug/2015 #3


暇潰し写真整理2
Shangri-La


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シャングリラ〜徳欽行きバス



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ナパ海



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ナパ海



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宿泊したゲストハウス Ting Yu Xuan Hostel



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Ting Yu Xuan Hostel は松茸鍋屋の二階


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室内



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古城路地



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古城路地



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古城路地



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ゲストハウス案内



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干し松茸


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路地に無造作に置かれた干し松茸



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久しぶりの美味しいご飯(チキンカレー)



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チョルテンと旗めくタルチョ



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広場 金色の塔は巨大マニ車



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巨大マニ車の阿弥陀如来レリーフ



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巨大マニ車を回す初対面の男ら



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金沙江大湾曲



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香格里拉(シャングリラ)バス時刻表 今後の旅の資料に



#雲南省 #シャングリラ #香格里拉



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May 03, 2021

Recuerdo de viaje por Yu-Pong-Cheon. Aug/2015 #2


暇潰し写真整理
#201Migratory Bird Inn
This maybe my final destination.


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リンアルに誘われ日の出を待つ。



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雨季に日の出を期待するものではない。



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送電線のようなタルチョ(1)



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送電線のようなタルチョ(2)



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Fin.



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赤いマニ車を回す婦人



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雲の上を行く



Mekon river
メコン川上流



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明永氷河(1)



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明永氷河(2)晴れていればカワクボ(太子峰)の頂まで見える



010
明永氷河(3)



#雲南省 #香格里拉 #シャングリラ #梅里雪山 #雨崩村


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May 02, 2021

Recuerdo de viaje por Yu-Pong-Cheon Aug/2015 #1


陣中御見舞
2015年8月雲南省徳欽への旅写真
#201Migratory Bird Inn


Migratory Bird Inn 01
Migratory Bird Inn看板

Migratory Bird Inn 02
Migratory Bird Inn外観



Migratory Bird Inn 07
Migratory Bird Inn玄関

Migratory Bird Inn 03
Migratory Bird Inn食堂の一角



Migratory Bird Inn 05
Migratory Bird Inn食堂

Migratory Bird Inn 04
Migratory Bird Inn内側



Migratory Bird Inn 06
Migratory Bird Inn 3Fバー

View from Migratory Bird Inn
Migratory Bird Inn眺望



Migratory Bird Inn 08
Migratory Bird Inn朝食

Mgratory Bird Inn 09
Migratory Bird Innリンアルと(父親撮影)



#雲南省 #雨崩村 #香格里拉 #シャングリラ #梅里雪山

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March 06, 2018

Run away from nightfall.


五年目の結婚記念日は妻と二人でイタリア料理を食べに行った。
昭和六年に建てられた銀行跡を利用した三階建ての料理屋であり、建物は国の有形文化財として登録されている。
かつて金庫であった場所はワインセラーとなり、古い大時計は11時55分を指したまま止まっている。
料理の味は上の下といったところか、グラッチェグラッチェと言い寄る胡散臭いイタリア人ウェイターが些か気に障る。
結婚して五年だが、互いに特別な存在として意識したのは中学生の時だから、大方30年の付き合いになる。
14歳から現在まで、思えば遠くに来たものだと今の年齢を指折り数える。
もう一生の半分は生きたろうか。
人生のゴールは死だ。
しかし死の前に老いがある。
やがて身体の自由が利かなくなる時が来る。
不器用に四肢を動かし互助しながら、妻に看取られて死ぬのだろうか。
あるいは先立たれ、液状化した腐乱死体となって付近の住民に異臭を訴えられて発見されるのだろうか。
これを書いている今という一分一秒でさえ肉体は老化の一途を歩み続け、死への行進を止めることはない。
否、老いや死は今にも呑み込まんとしてこちらに向かって来るのだと、この年齢になって思い知る。
時間の流れは年齢を重ねる毎に加速する。
残る半生は転がり落ちる様なものかもしれない。
追い付かれてはいけない。
焦らずにはいられない。
毎日をクエストし、過去を清算しながら、背後から迫り来るその時に追い付かれまいと逃走を続ける。
たとえいずれ迎える死であろうと、生き切ってこそ勝利。
夕闇に追われ、逃げるように崖っ淵を歩いたあの日を思い出す。

 「え、今日帰るんですか。」
山を下りて宿にチェックインした彼は、私の宿まで付き合おうと申し出て驚いた。
彼は雨崩村に泊まって、日本の登山隊がベースキャンプを置いた跡地や、チベット人の聖地でもある神瀑と呼ばれる滝にも行くつもりらしい。
 「商社勤めは休みが短いからね。」
連休の一日くらいは妻と過ごしたいと考えていた私は、旅行期間を敢えて短く取っていたのだった。この日の内に隣村である尼農村を経由して飛来寺現景台前の宿に戻る。
 「尼農村って、そこの山の真裏ぐらいですよね。山沿いに歩いたら結構な距離ですし、今晩泊まって早朝帰るとかしてもいいんじゃないですか?」
日本でダウンロードしていた簡易な地図を見た限りでは、道は長いものの山を越えない分平坦な道が続いているようだ。
3時間も歩けば夕方には着けるだろうと考えていた。
雨崩村から歩いて尼農村まで行けばタクシーを掴まえ易いとの記事を読んだことがある。
時刻は午後3時半。暗くなるまでには十分な時間がある。
私は彼の親切な提案に謝して、手を振った。

四方を山に囲まれた雨崩村は静かな村だった。
人の気配があまり感じられない。
静謐と言うよりは寂莫と言うべきか。
山と山の合間から白く麗しい神女峰が見守るように聳え立つ。
神女峰を仰ぐように一体のチョルテンが広場の真ん中にぽつりと立っている。
そんな光景を傍目に眺めながら森に入る。
深い森を抜け、やがて木々が疎らになった林を抜けると、耕作地が広がっていた。
目的の山に沿って川が流れ、川に沿って畑が広がり、畑に沿って道が続く。
取り敢えず山の端を目指してひたすら歩けば良い。
愚かな私は山の端まで行けばすぐ裏側だと安直に考えていたのだった。

曇天の下、延々続く畦道を黙々と歩く。
「山の端」というアバウトで巨大な目的地は、歩けども歩けども近付いている気がしない。
中間地点である「山の端」までで3時間はかかるのではないかと、己の見積りの甘さを思い知る。
畑地に人がいたので訊いてみた。
 「尼農村は遠いですか。」
 「真遠。(本当に遠い)」
どれぐらい遠いのか詳しく尋ねたいが、語彙力に限界があった。
スマートフォンで翻訳アプリを使いたいが、もしもの時にはこの携帯電話が命綱となりかねない。
もやはカメラのフィルムは使い果たしていたが、バッテリーの消耗を危惧して写真を撮ることは諦めた。
5時半頃、欧米人カップルが進行方向から歩いて来て「やあ」と声を掛けてきた。
 「雨崩村まで何時間ぐらい?」
 「約2時間。」
 「マイガッ。」
と女が悲嘆の声を上げた。
彼女の表情には相当な疲れが浮かんでいるが、男は微笑みを絶やさなかった。
 「尼農村までは何kmぐらい?」
と私が訊くと、18kmとのことだった。
18km―――時速6kmで歩き続けることが出来れば3時間の道程。
雨崩村から3時間との見積もりが早くも崩れ去った訳だ。
私は歩を早めた。

第一目的地である山の端を越えると緩やかな上り坂となった。
山の斜面に沿って「尼農村歓迎您」と書かれた幟が数本立っていたが、とても山道が終わる気配は見えない。
上り坂の天辺に宿屋があった。
『尼農村秘境』と看板を掲げている。
 「どうだい兄ちゃん、泊まってかない?」
とでも言っているのだろう、中年女性が料金表を見せて来た。
恐らくは私のように時間の見積もりを誤った旅人が泊まったりするのだろうか。
私は衛生面が気になって通り過ぎた。
時刻は6時半。空はまだ明るい。
広大な中国は統べからく北京時間に統一されているため、緯度で計ると実際にはまだ5時頃なのかもしれない。

坂を下り、また森を抜けると川原に出た。
道を阻む巨岩群を足と手で登り、歩き難い岩場に足を取られながらどうにか前進を続ける。
気を抜けば足を滑らせ岩の間に身体を落としてしまいかねない。
慎重に足を運ぶ。
ようやく抜けると橋を伝って川を渡る。
橋を渡ると、川から水を取る用水路が流れていた。
村が近い証拠だ。
人の住む気配が近付いたことに励まされながら歩き始めて間もなく、先刻まで傍を流れていた川は大きな轟音を立てて視界の外へ落ちていた。
気付くと道は断崖絶壁の上を行く道となっている。
谷を挟んで遠くを走る車道を見ると、自分がどれほど高い断崖に立っているのか歴然となり、戦慄が走った。
落下防止の柵などある筈もない。
それでも用水路に沿って歩けば村に着くことは間違いない。
徐々に紫色に染まり行く空の下、岩肌に沿って心許ない細道を歩く。
時折り梅里雪山から強い風が吹き下りては体を屈めて歩を止めた。
この用水路を辿ってさえ行けば…と信じて歩くものの、1時間経ってもまだ村は見えない。
午後7時半、さすがに日は落ち、濃紺の空の下をマグライトで足元を照らしながら歩いた。
半ば泣きべそを掻きそうな心細さに、自棄糞に大声を出して気持ちを誤魔化す。
村に下りた時には既に真っ暗になり、午後8時半近くになっていた。
私はタクシーを庭先に停めている民家に救助を求め、這う這うの体でどうにか飛来寺の宿に帰還を果たすことが出来た。
その村が尼農村だったのか、救助を求めた車が本当にタクシーだったのか、実のところ定かではない。
運転手には謝々、謝々と繰り返し、100元紙幣を手渡した。
部屋に戻り、ひと息ついてSNS通話で妻に遭難しかけた旨を伝えると、大層叱られてしまった。

我、山に向かいて目を仰ぐ、我が助けは何処から来たるや―――
神と運転手に感謝しつつ、安寧の内に寝床に就いた。



後日談: 中国の旅行会社Ara Chinaにも雨崩村のツアーがあった。
     雨崩村から尼農村までのトレッキングは7時間とのことだった。
     己の無謀さを思い知った。



雨崩村地図
#雨崩村 地図


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November 26, 2017

Trek to Yu-Pong-Cheon.


朝、靴紐をフックに掛けながら足首まで力強く縛り上げると、俄然意欲が湧き上がる。
窓から見える空は藍のように深く青い。
日本から持って来た携行食品で朝食を済ませてロビー兼食堂に下りると、乗合タクシーの運転手がちょうど迎えに来たところだった。
南宗峠を越えて雨崩村(ユーポンチョン)へのトレッキングに挑む。

我々を乗せた軽ワゴン車の乗合いタクシーは、青い空に浮かぶ白い稜線を眺めながら滑走するようにメコンに向かって谷を降下していく。
3,600メートルの展望台から一気に2,100メートルの谷底へ。
最近になって判ったのだが、一昨年私が訪れたのは梅里雪山の登山口ではなく、明永氷河へのハイキングコースなのだった。
メコンを渡り右へ行くとその明永氷河への道に進むが、今回は左に折れてメコン川に沿って走る。
西当村と書かれた民家の間を縫って坂道を上った所に今回の登山口はあった。
登山口にはロバが繋がれて客を待っている。
麓から登山道の途中に設けられた駅までロバに乗って登れるらしい。
途中の駅でロバを乗り継げば、我が足で歩かずとも登頂することが出来る。
同じ車に乗り合わせた若者らはロバに乗ろうと御者と交渉し始めたようだが、私は構わず山道に踏み出した。

友人と談笑しながら登山を愉しむ幾つもの若者のパーティに囲まれながら、一人黙々と歩く。
毎日事務所で一日を過ごす四十を越えた身体には中々辛い。
前回の教訓を踏まえ、今回の旅に向けてジョギングシューズを買っては市内を走ったり、登山靴を買っては山を登ったりしてある程度身体を慣らしたつもりではいたが、この山の頂上は標高3,780メートル。
大阪最高峰の金剛山は1,200メートル程でしかない。
金剛山で慣らした身としては、歩けども歩けども気が遠くなる程に上り坂が続く。
途中、林道の合間からメコンが見えた。
次にメコンを見るのは雨崩村を越えた帰り道になるだろう。
ここで暫しの別れを告げて、再び黙々と歩き出す。
息を荒げながら、とにかく足を前に出すことだけに集中する。
巡礼とはこの様なものなのかも知れない。
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼を思い浮かべる。
フランスからピレネー山脈を越えてスペインの北西端の聖地まで、果てしない距離を黙々と歩き続ける。
雑念すら浮かばぬ程に身体を酷使しながら何日もかけて聖地への到達を目指す。
北京までの機内誌で特集されていたのだが、それによると「スペインに愛された偉大な画家いわく、巡礼の目的は聖地への到達ではない、巡礼すること自体が目的なのだ」―――つまりたとえ途中で頓挫を余儀なくされたとしても、既に目的は果たしているのだ。
そう思うと、頂上まで登らず諦めて下山しようかと心の迷いが燻り始める程に辛い。
 「ニーハオ。」
山腹にある牧場を傍目に歩いていると、不意に話し掛けられた。
男はさらに話し続けたが、まるで解らない。
 「ごめん、中国語は解らないんだ。」
と決まり文句の様に憶えた中国語で回答すると、今度は英語で話しかけてきた。
 「Where are you from ?」
 「Japan.」
彼は、おぉ!と喜んで見せて、傍にいた男を紹介した。
この土地を旅して初めて見た日本人だった。

 「毎日事務所で過ごしてるから、この山道はキツいね。」
などと言って己の体力の無さを弁解すると、
 「自分もです。こないだ市民マラソンに参加したら、走り出した時点で身体が鈍っているの実感しましたね。」
と彼も同調したが、マラソンに参加して完走している時点でもう基礎体力の差を見せつけられる。
その彼がしんどいと言う山を私も登る。無茶な挑戦だったのだろうか。
とは言えここまで登ると、引き返して下山するのもさらに疲れる。
 「どこまで行くんですか?」
 「雨崩村まで。」
 「自分もです。ここまで来る途中にさっきの彼と話してたら、殆どみんな登頂したらそのまま下山するみたいで、単に登山を楽しみに来たっていうか、ハイキングみたいなもんみたいですね。」
雨崩村は自動車も入れないドが付く程の田舎村だ。
そんな所を有難がってわざわざ訪れるのは、物好きな中国人か外国人ぐらいしかいないだろう。
話を聞いていると、彼は国内で登山中に岳友会の人間と親交を持ち、そこで梅里雪山で起きた史上最悪とさえ言われる日本人登山隊の事故を聞いたらしい。
彼はリュックの中から一冊の本を出して私に見せた―――『梅里雪山 十七人の友を探して』。
 「ぼくのバイブルですね。」
休憩を終えると、彼は足取りも軽く再び山道を登り始めた。
マイペースで行くからと、私は彼に先に行くよう促すしかなかった。

再び山道を歩く。
砂利を踏む音と自分の荒い息が大きく聞こえる。
見回すと、談笑していた若者たちも言葉少なく黙々と歩き、パーティから取り残されたのか一人で歩く者もちらほらと見かける。
もう3000メートル地点は越えただろうか、傾斜が更に上がり、数歩歩く度に休憩を入れた。
吹き出す汗が顔面を伝って地に落ちる。
多少は平坦な道があってもおかしくはない筈だろうに、カーブを曲がる度にまた上り坂が眼前に立ちはだかっては愕然とする。
とにかく足を前に出しさえすればいずれ山頂に着くと己を励ましながら、一歩、また一歩と足を運んだ。
山小屋があり、そこがほぼ山頂であると知った。
山小屋ではインスタントラーメンが販売され、火の番をしている男が登山客に湯を注いでいる。
日本人の彼とはここで再会した。

昼食を挟み、二人で歩き出す。山の向こう側へ。
下山の途すがら、梅里雪山連峰が有無を言わさぬ迫力でもって眼前を覆った。
彼はメツモやジャワリンガなど各山峰の名称を口に出しては子供のように喜び、何度もシャッターを切った。
下山の道は急勾配が続く。
危なげながら慎重に足を運び、幾重ものカーブを曲がると、眼下に小さな集落があった。
若草色の地と点在する民家。
正しく雨崩村だった。
山頂までの登り坂ではカーブの度に何度も期待を裏切られたものだったが、今度は間違いがなかった。
山に囲まれた猫の額ほどの小さな盆地に拓かれた村。
自動車が入れない未開の村とのことだったが、しかし眼下では近年になって増加した外国人観光客に宛ててのことか、屋根に大きな文字で登山客を呼んでいた。
屋根には英語で「Wifi Free📶」と書かれているのだった。

Roba
Mekong below
Top of MtNansoMan taking photo
Yu-Pong-Cheon


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August 16, 2017

Deqin, again.


何故又私は旅に出るのか。
安住の棲家を離れ、妻を一人家に残し、今度こそ最後だと胸に刻みながら、また雲上の旅路へと。
愉しくなぞない。この性分は只々辛い。


徳欽、再び。
標高3,200メートル。冷気が肌を刺す。
チベット自治区から香格里拉以南を往来する旅行者の中継地点として栄えたのだろうか、盆地ではなく山の裂け目に無理矢理築いたようなこの街は土地面積が狭く、そこに小さな商店が押し合うように居並ぶ。
バスターミナルも勿論狭い。
にも拘わらず長距離を走る大型バスが複数台隙間なく器用に並べられ、そこから離れて近距離を走るミニバスが1台出発を待っている。
飛来寺行きのミニバス。
定刻などない。客が集まり次第出発する。
 「フェイライス!フェイライス!(飛来寺!飛来寺!)」
ミニバスの運転手が声を張り上げ客を呼ぶ。
若い観光客の多くは徳欽より先の飛来寺現景台周辺に投宿する。
トレッキングに行く乗合タクシーが多く集まる場所でもあり、宿も安い。
勿論古いという短所も併せ持つが、若い旅行者には安い上に利便性が良いなら文句は無い。
 「おい、飛来寺なんだろ?」
運転手の男が私の左肩に荒々しく手をかけた。
トレッキング用のパーカーとバックパックを見て間違いないと踏んだのだろう。
確かに間違いはない。
大声で呼んでいるのに反応しない私に苛立ったのだと見える。
私はバスの時刻表を探していたのだった。
 「ちょっと待ってくれ。バスの時刻表を見たいんだ。」
男はバスの出入口に建つ五階建ての建物を指差した。
待合室を作る敷地が無かったからか、建物の二階に切符売場と待合室があった。
復路はメコン川に沿って帰りたいので、香格里拉ではなく維西行きのバスに乗りたかったのだが、確認したところ朝8時出発の1日1便のみだった。
登山の翌日だからとても起きられる自信が無い。
まあ良い、タクシーをチャーターすれば良いのだ。金に物を言わせれば断られまい。
北部ラオスを1泊1ドルや2ドルで渡り歩いた時代が懐かしい。
バスで帰る手段を諦め、急いで飛来寺行きのミニバスに乗った。

ターミナルを出て山道を走る。
一頻り高所を走って下り坂を右にカーブすると、青空の下で雪を被って聳え立つ梅里雪山が鮮明に視界に飛び込んできた。
一昨年の九月に訪れた際は天候に恵まれず全貌を拝むことが出来なかったのだが、カワクボ(太子峰)もメツモ(神女峰)も、両者共に尖塔の様に尖った頂上まで姿を露わにしている。
美しいなどという簡単な言葉で表現することすらおこがましい。
待ち望んでいただけに、もはや神々しいとさえ思える。
信仰の対象となるのも頷ける程に圧倒される。
飛来寺現景台から真正面に山を望むことは出来るのだが、今回は手前にある山を越えて更に接近し、雨崩村から見上げる計画だ。

今回の宿であるカワクボ酒店は飛来寺現景台の真正面にあった。
一階は食堂であり、ピンクの布を被せた円卓が並んでいる。
その奥のレジカウンターが宿の受付となっていた。
英語はまるで解さないため、またスマートフォンを介して会話する。
渡された鍵は二階の202号室。
部屋で寝転びながらでも梅里連山の麗しい姿を目に焼き付けられる眺望。
最高の部屋だと心を躍らせながら荷物を解いたり写真を撮ったりとしている間、水の流れる音が間断なく響いていて不思議に感じていた。
明らかに水道が少し開いたままになって水の中に零れている。
どうも自分の部屋らしいと思って浴室に入って理解した。
水は便器の中で響いていた。
洋式の水洗トイレが置かれいるのは良いのだが、水を流そうとコックを押込んでもまるで反応しない。
その代わり水を流しっ放しにして匂いが籠るのを防いでいるものと思われる。
つまりトイレが壊れていることを承知で特に修理を施すつもりもないのだ。
これだから辺境は…と望んで来ておきながら失望する。
まぁ良い。
水洗トイレは水量6リットルが世界標準らしい。
風呂場のバケツに水を貯めて同様に勢い良く流せば事足りると心に収めるものの、洋式の水洗トイレに向かってバケツで水を流す矛盾を含むやるせなさは如何とも収め難い。
かと言って宿屋に文句を言ったところで一朝一夕に直るものではないし、折角の部屋を替えられたくもない。

トイレの件は潔く諦めることにして散策に出た。
日の暮れないうちに飛来寺を目指す。
一般的に「飛来寺」と言うと、人はこの飛来寺現景台を指す。
一昨年、現景台の入場料を取る係員に「飛来寺は何処だ」と問合せても「此処だ」としか答えなかった。
にも拘わらず飛来寺という寺院はそこには無い。
現景台からバスで来た道を約1キロ戻りつつ歩く。
標高の高さも手伝って、上り坂に息が切れる。
冷気を含む風が時折吹くものの、春の陽気に似た天候が心地よい。
民家の庭から枝を伸ばした桜に似た樹にはピンク色の花が咲き始めている。
杏子だろうか。
遠くに徳欽の街を眺めながら歩いたところに、背の高い山門があった。
寺院に向かって急な下り坂になった参道に沿ってマニ車が幾つも並ぶ。
こじんまりとした寺院だが、金色に輝く一対の鹿が庇に飾られている。
寺の中には色鮮やかな曼荼羅が壁一面から天井にまで大胆に描かれている。
息を呑む迫力に一種の神聖さを感じ、写真撮影は憚られた。

来た甲斐があったと満足しながらホテルに戻る。
帰り道に声を掛けてきた乗合タクシーに明日の迎えを頼み、ホテルの一階で夕食に臨む。
明日の登山に備えて精を付けんとホイコーローと青菜のスープと白米を注文。
まずはスープ、次にホイコーロー、最後に白米が手桶のような櫃に盛って運ばれて来た。
広東省では食堂の食器洗いを信用せず、客はまず食器と箸を茶で洗ってから食べ物を盛る。
自分の身体は自分で守れという習慣なのだが、今回私の席には密閉された白い紙袋が置かれていた。
紙袋を破ると中には食器のセットが入っている。
つまり工場から運ばれたままだから安全だと言う訳だ。
成程、と得心しながらまずはスープを取った。
沸騰させ過ぎたのか非常に熱いのだが、青菜には火が通っていず固く青臭い。
ホイコーローは油が多すぎる上に肉が固い。
白米は、恐らくホイコーローを作り始める前に櫃に盛っていたのだろう、所々温かいのだが基本的に冷たい。
広東省では考えられないほど食に対する考えが疎い。

明日の登山に向けて腹は満たしたものの、高揚させるべき意気を落ち込ませながら自室に戻る。
これだから辺境は…とこぼしながら、バケツでまた水を流す夜。
何故住み慣れた家を離れて旅に出てしまったのだろうといつも半ば後悔する。
それでも待ちに待った明日という日を思うと、流れぬトイレへの嫌忌など水に流せる程に心が浮かぶ。
明日に備えて早めに灯を消した。

カワクボホテル部屋からの景色飛来寺現景台徳欽遠景
飛来寺


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August 18, 2016

This maybe my Final Destination.


飽くまでも個人的な見解、もしくは偏見であることを先に述べておく。
宮本輝の描くエロスは、生々しく、淫猥でいて、現実的だ。
対して村上春樹のそれは、青臭く、童貞の妄想のようにメルヘンに満ちている。
リアルの宮本とファンダジーの村上。
村上春樹を有難がる輩は、ブランドに群がる大衆的な価値観の持ち主なのではないかと懐疑する。
宮本輝の『泥の河』を久しぶりに読み返した。
生々しくもおぞましい人間の営みを純粋無垢な子供の視点で描いた、氏の代表的な短編小説として数えられる。
河と言えば同氏の著作、『ドナウの旅人』を思い出す。
十七歳も年下の男と旅に出た母を追いかけて、源流のシュヴァルツヴァルト〈黒の森〉から黒海まで約3000kmに渡ってドナウ川を旅する四人の物語。
50歳の母を連れ出した33歳の男の真意は。
二人を追う娘と、その元恋人との愛は国境を超えて再び結ばれるのか。
そして差し迫る殺し屋の影。
人生は長い川のようだとは使い古された格言ではあるが、一筋の川がか細い源流から海に流れ入るまでに幾つもの支流から助力を受け、徐々に太く、力強く成長していく様は、確かに人生の在り方と似ている。
友人と呼べる人の少ない私ではあるが、気付かぬ内に、様々な出会いと交流によって恩恵を受けていることを忘れてはならないと肝に銘じておく。
梅里雪山もまた、4000kmにも及ぶメコンに注ぐ源泉の一つだった。


麗江から中国に入って四日目、食堂で朝食に出された白粥とザーサイを食べていると、タクシーが約束の時間通りに迎えに来た。
最終目的地であるメコン川上流を目指す。
メコン川は中国では瀾滄江(ランサンジャン)と呼ばれる。
ランサンとは、14世紀〜18世紀にかけてラオス・ルアンパバンーンで栄えたランサーン王国から由来する。
ランサンの名を冠しているところを見ると、北接する中国では明の時代、メコン川を伝って両国の間で良好な国交が結ばれていたことが窺える。
タイのチョンメックでメコンと出会ってから約20年。
遥か上流で再会するメコン川に胸が高鳴る。

タクシーは宿を出てから坂道を上り続け、雲を見下ろすまで標高を上げた。
一日チャーターしたのだから、折角なので適当な所で車を幾度か停めさせ、雲を見下ろすパノラマ風景を写真に収める。
一頻り雲の上を走ると、道は山裾へ向けて緩やかに下り始めた。
途中で観光名所となっている飛来寺展望台に立ち寄り、三叉路を左折する。
直進すれば道はチベット自治区の拉薩(ラサ)まで続くらしい。
梅里雪山の万年雪を眺望しながら天上から下界へと、幾重にも折れるつづら折りの坂を下り続ける。
車窓から遥か下にまばらな集落や畑が見える。
その家屋や建造物は漢民族の無機質なそれとは趣を異にする独特の形態と色彩を纏い、まるで絵本の世界の様な静かで牧歌的な風景が拡がっている。
まだ水面は見えないものの、恐らくそこがメコンなのだろうと思われる谷を挟んだ向こう岸にも同様の集落が見える。
『失われた地平線』でシャングリラの麓の村として描かれた「青い月の谷」を彷彿させる。
谷底まで下りた所に辺境警備らしき建物が建っていた。
その後ろに土砂を含んだ茶色い川が流れている。
車から降り、パスポートチェックを受けている間に運転手に訊いてみた。
 「これが瀾滄江か?」
 「是。(そうだ)」
遂にここまで来たことに感慨に耽る。
猛々しく音を立てて流れるその様は、ラオスで悠々と流れる様とはまるで異なり、まだ若いメコンなのだと得心する。

橋を渡り、透明に澄んだ川に沿って暫く走った所に梅里雪山への登山口がある。
息を切らしながら登る最中にもその川は流れている。
小一時間かけて登り切ったそこには有無を言わせぬ迫力の氷河が、先端の尖った前人未到の霊山・カワクボから圧し掛かるように眼前に迫っていた。
その傍らには湧水と思われる滝が落ち、氷河から溶けて流れる水と交わり川となり、間もなくメコンへと注ぐ。
この氷河もまた、メコンの源泉の一つに違いない。

大きく感動したいところではあったが、この登山を単なるハイキングと甘く見過ぎていたらしい、スニーカーにジーパン姿でペットボトルの水しか携えなかった私は心身ともに憔悴し、下山中には水すら喉を通らない程に脱水症状を起こしていた。
数歩歩く度に立ち止まっては息を整え、また数歩歩いては立ち止まる。
ふらふらと覚束ない足で歩いていると、一人の男が擦れ違い様に立ち塞がった。
彼は大きく手を拡げて私の行く手を阻んだかと思うと、
 「ワーーッ!」
と叫んだ。
何の事かと唖然とする私に、もう一度
 「ワーーッ!」
と同様に叫ぶ。
呼応を促しているのかと思い、私も力を振り絞って叫び返した。
 「ワーーッ!」
 「ウォーッ!」
 「ウォーッ!」
と、彼と私は五回もそれを繰り返した。
恐らく疲労困憊した私を奮い立たせたかったのだろう、彼は笑顔で私の肩を両手で軽く叩くと、仲間と共に去って行った。
彼もまた私に流れた支流だったのに違いない、這う這うの体でありながらどうにか私は下山を果たすことが出来た。
待っていたタクシーに乗り込んだ私は、再びメコンを見ることも無く、宿に着くまで眠り続けた。


翌朝、チェックアウトした私を季候鳥旅游酒店は家族四人で送り出してくれた。
物腰の柔らかい男は私の為に絵葉書と栞のセットを土産として用意してくれていた。
喜んで受け取った私は、彼の名前を訊ねた。
 「リンアル。」
すかさず彼の父親が私の左手を取り、掌を指でなぞった。
 「林」 「二」
漢字を解する日本人で良かったと思える瞬間だった。
恐らくは林家の二番目の子という意だろうか。
 「謝々、リン・アル」
と私は彼と握手を交わし、家族全員に手を振って別れた。

香格里拉へ向けて走り出したタクシーのリアウィンドーから目が離せなかった。
きっと私は暫くこの土地に執着してしまうに違いない。
この地こそ私の理想郷。
是非また訪れたい―—否、必ず訪れる、静謐の朝を求めて。



scott_street63 at 02:51|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

June 09, 2016

#201 Migratory Bird Inn


天国とはこんな所であればいいと切に思う。
寂寥感漂う静謐に満ち、澄爽たる空気に包まれ、肌寒い微風が地を撫でる。
雪を被る山に囲まれた緑溢れる大地。
空では鳥が囀り、地では牛がのどかな声を上げる。
安穏の内に流れる時間。
季候鳥旅游酒店は、そんな所に建っていた。

徳欽からタクシーで約10分、バスで巡った道を逆行した所に目的の宿は建っていた。
季候鳥旅游酒店――英名で『Migratory Bird Inn』。渡り鳥の宿。
そのネーミングセンスが気に入り、インターネットで予約していた。
予めレビューで見知ってはいたものの、周囲には何も無い。
他の宿も無ければ商店も食堂も無い。
車が無ければ何処にも行けない。
よくぞこんな所に宿を開こうと思ったものだ。
タクシーには明日の梅里雪山行きを予約しておいた。

静かな宿だった。
三階建ての小じんまりとした建物。
玄関には木枠にガラスを張った、建物の割に大きな観音開きの扉。
タクシーが着いたと言うのに誰一人出て来ないどころか、人の気配すら感じない。
照明もない薄暗い玄関に入り、大きな声で「ニーハオ」「請問」「ウェイ?」と呼んでみたものの、何の応答もない。
諦めてフロントのソファーにバックパックを降ろし、周囲を散策にでも出ようと扉に手を掛けたところで誰かが下りてきた。
 「誰?」
不愛想な若い女。
 「インターネットで予約していた者です。」
すると彼女は同じ敷地内の隣の建物に向かって大声で呼んだ。
間もなくして年配の女性が現れ、淡々とチェックインの手続きを済ませてくれた。
渡されたカギは201号室。

部屋に荷物を下ろして散策に出る。
眼下の集落に寺でもあるのか、東南アジアの寺院でよく耳にするガムランに似た音が周囲に響く。
何処に寺があるのだろうかと上から捜してみたが、まるで見当たらない。
宿に着いた時からやたらと牛の声が聞こえると思っていたが、牛は至る所に放牧され、みな銘々の好きな所で草を食んでいるのだった。
牛がこの地を統べているのか、道路に出ると牛が三頭、徒党を組んで道路を塞ぐように横並びに歩き、私は目を合わさぬよう申し訳無さげに肩を狭めて端を歩くしかなかった。
擦れ違い様にガムランの正体が分かった。
ガムランに似た音は、それぞれの牛の首に着けられた鈴の音なのだった。
音の高低が不揃いなため、その鈴の音は様々な音階に綴られた旋律のように聞こえたのだ。
ミャンマーのバガンで聞いた読経を彷彿させる。
地平線まで続く無数の仏塔の景色の中で流れては空へと抜けていく読経。
その旋律が心を遠くへ陶酔させる。

チョルテンの建ち並ぶ展望台から雪を被る山峰を望む。
切り立った崖に張り出した祠に無数のタルチョが張り巡らされている。
盆地と言うよりも山と山の裂け目に拓いたような徳欽の小さな町の全体像を見据える。
眼下の集落へと下りる途中で見上げると、山から山へと谷間を越えて、まるで送電線のようにとても長い一本のタルチョが張られていた。
ここに住む人の篤い信仰心が窺える。
集落の奥には2メートル近い赤いマニ車があり、老婆が二人で回していた。
一周回るごとに鈴がチリンと鳴る。
疑うこともなく、救いと来世を願ってマニ車にすがる愚鈍にして純粋な信仰心。
生ぬるい私の怠惰な信仰に少しく恥を覚える。

ホテルに戻り3階のバーに上がると、先刻の不愛想な女と若い男がいた。
姉弟なのだろうか。
 「ニーハオ。」
と言うと、若い男ははにかむような笑顔で「ニーハオ」と応じてくれた。
私はスマートフォンで会話を始めた。
 「明後日、香格里拉まで車をチャーターしたいんだけど、幾らぐらいするだろう?」
彼は知り合いのタクシーに電話をかけた。
 「500元かかりますよ。」
驚いた。
徳欽から香格里拉まで約160kmで500元。
なのにホテルまで乗ったタクシーは梅里雪山まで400元だと言った。
そのことを彼に話すと、高過ぎる、200〜250元が相場だと言う。
タクシーの運転手の名刺を見せると、彼は運転手に電話を掛け、興奮したように話して電話を切った。
 「これで大丈夫。彼にはキャンセルしておきました。明日はぼくの知っているタクシーを手配しておきます。」
と一件落着した。
しかしながら、手元の残金は1,600元。
明日の観光や車代、この先の宿や食事等を考えると心許ない。
 「日本円を両替したいんだけど、明日、徳欽の銀行に寄れるだろうか。」
彼は少し顔を曇らせた。
 「徳欽に外貨を扱う銀行は無いですよ。香格里拉まで行かないとありません。」
それは困った。
これから帰り道に銀行に寄る余裕などない。
 「幾ら?」
と訊かれ一万円札を見せると、彼は姉と相談し、パソコンで今日のレートを調べて財布から両替してくれた。
540元。
高くもない、妥当なレートだ。
彼の優しさに助けられた。
部屋に戻ろうとしたところで、彼に呼び止められた。
 「明日の日の出は7時18分です。明日、ここのテラスで一緒に日の出を見ませんか。」
このバーから屋上に出られるようだ。
起きられる自信は無かったが、興味をそそられた。

翌朝、6時に目が醒めた。
外はまだ暗い。
顔を洗ってから着替え、三階に上がってテラスに出た。
あの物腰の柔らかい男はまだ来ていない。
昨夜の内に雨が降っていたらしい、テラスの床が水に濡れている。
冷気を含む瑞々しい空気は甘いのだと知る。
辺りは濃い靄に包まれ、近くの山も霧で頂が隠されていた。
静かだ。
ようやく空が白ばみ始めニワトリが声を上げると、応じるように牛が鳴き、またガムランの音楽が始まる。
小鳥も空で囀り始めた。
四方を囲む山の頂から陽の光が大地を射す。
静かに、緩やかに、そして厳かに迎える朝。
この時間がいつまでも続けばいいと願わずにはいられなかった。


追記

梅里雪山まで行くと、結局タクシーからは400元を請求された。
途中の飛来寺までなら250元とのこと。
キャンセルした運転手に申し訳ないことをしてしまった。



scott_street63 at 17:20|PermalinkComments(0)

May 11, 2016

On the way to Lost Horizon.


早朝のバスターミナルは薄暗く、肌寒い。
各方面への出発時刻を報せる掲示板の文字だけが煌々と橙色の光を眩く放ち、下から上へとスクロールしては消えていく。
コンクリートを剥き出した簡素な待合室は、様々な土地に向かう乗客で溢れていた。
買出しに来ていたのか麻袋やダンボール箱を幾つも足元に置く男、仕事に行くのか作業着の男、床に腰を下ろして夢中で話す婦人ら。
停留場から出発を告げる男が館内に向かって頻りに大声を張り上げる。
その中でカラフルな服装に身を包む若者らが、その異色ゆえに浮いている。
様々な地域から集まったバックパッカーらだが、日本人はおろか欧米人すら見掛けない。
皆、中国の各地からやって来たように窺える。
この中では恐らく私が最年長だろう。
四十を過ぎて単身旅行に出るなど、真面じゃないのかも知れない。
 「徳欽(ドゥーチン)!」
停留場からの声に立ち上がる。
異色の集団が皆一斉に停留場へと向かう。
バスの乗客はバックパッカーと数人の中年男性、そして三人のチベット仏僧だった。

バスターミナルを出て街中を走る。
私の隣の若い女は窓外に目を向けることもなく、バスに乗り込んでから終始俯いたままスマートフォンを打っている。
携帯電話事情は日本であれ中国であれ変わらないらしい。
バスは街を出るとすぐに坂道を上り始めた。
標高約2,500メートルのシャングリラから徳欽へ向かう途中には、標高4,300メートルの峠越えが待っている。
一時間ほど経過した頃、左側の窓から雄大な大平原が道路脇の障壁に阻まれつつも見え隠れし始めた。
カーブを曲がりながら急勾配を上った時、広大な湖に続く平原が見渡せた。
ナパ海だ―――と思ったのも束の間、ナパ海はそれきり見ることはなかった。
道路脇に展望台があったようだが、定時運行している公共機関が立ち止まる筈もない。
若い旅行者らは皆、名残を惜しみつつ首を後ろへ伸ばした。

バスは金沙江に沿って走る。
メコン(瀾滄江)、怒江の大河と並んで交わることなく直近を流れる三江併流の一河川。
その畔の食堂で小休止となった。
赤茶けた肌を露わにした山が眼前に迫る。
コカコーラの赤いベンチに腰を下ろして煙を燻らせている運転手に話しかけた。
 「私はこのホテルに行きたいです。貴方はこのホテルを知っていますか。」
予め印刷していた地図とバウチャーを見せてみた。
 「このホテルは徳欽までの道の途中にあります。私をここで降ろしてもらえませんか。」
運転手と並んで三人の男が紙に見入ったが、三人とも
 「不知道(知らない)。」
と口を揃えた。
再び出発となり、バスに乗り込む。
 「What did you ask him ?」
通路を挟んで隣りの女子が英語で尋ねてきたので驚いた。
 「英語話せるの?」
 「私たちホンコン出身だから。」
そこで再び地図とバウチャーを見せてみると、周囲の旅行者らも集まってきた。
私を置いて中国語で議論が始まった。
 「看板がある筈だから、そこで降ろしてって言えばいいのよ。」
と彼女が皆の意見を通訳してくれた上、運転手に掛け合ってくれたが、
 「ダメだ、ダメだ。」
と一蹴された。
融通が利くものと思っていたが、時刻表を遵守する定期運行なのだから仕方ない。
徳欽からタクシーでも拾うしかない。
 「走巴。(行くぞ)」
と運転手が一声上げ、バスは再び走り出した。

バスは更に坂を上り続ける。
右手に展望台の看板が掛かっていた。
金沙江が山に沿って大きくカーブを描く「金沙江大湾」。
シャングリラ県の大きな観光スポットとしてどのガイドブックにも必ず掲載されている。
言うまでもなくバスは素通りして行く。
旅行者は少しでも見えないものかと大きく首を後ろへ伸ばしたが、展望台に妨げられて一目たりとも見えることはなかった。

山深い道を走り続ける。
こんな所でも完全にアスファルトで舗装され、定期的に整備されているのか凸凹もない。
これがラオスならば信じられない。
しばらく走り、カーブを左に曲がったところで歓声が上がった。
植林された緑の山が切れ、万年雪を被った岩山がおもむろに現れた。
白馬雪山(標高5429メートル)。
幾つかの峰が連なっているが、総称して白馬雪山と呼ぶらしい。
その美しさに息を飲む。
ホンコン女子が何事かを運転手に言ったが、先と同じ言葉で「ダメだ、ダメだ」と断られていた。
白馬雪山は間もなくして山に隠れたが、また暫くして再び現れた。
今度は先刻よりずっと視野が開け、更にダイナミックな景色が眼前に拡がる。
ホンコン女が再度何かを運転手に訴えかけると、今度は呼応するように車内の若者らも騒ぎ始めた。
仕方なく運転手は勾配の途中でバスを停めた。
 「休憩!写真を撮りたいヤツはさっさと撮れ!」
とでも言ったのだろう、乗客はみな我先にと立ち上がって車外に躍り出た。
大口径のレンズで何枚も撮る者、山を背景に友人と交代で撮る者、自撮り棒で一人で撮る者。
見るとチベット仏僧も満面の笑顔とピースサインで撮り合っている。
縁石に腰かけ煙草を吸う運転手が、抜けるような青空に向かって白い煙を吹きかける。
峠を上る道すがら。
坂道はまだ続く。


scott_street63 at 22:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0)