日常

March 08, 2015

Travel to my own sanctuary.


母の作る雑煮は、鰹出汁に焼いた餅を入れる澄し汁である。
具は大根、蒟蒻、金時人参、小芋、鶏肉、水菜、最後に花鰹を大量に振りかけて食す。
元旦の朝は居間の炬燵に入り、和装の父を中心に家族揃って新年の挨拶を交わした後にお年玉が父から手渡され、新年の抱負を述べさせられてから漸く雑煮にありつける。
石油ストーブの天板に雑煮の鍋を置き、その脇で餅を焼く。
母は子供たちに餅の数を尋ね、塗りの椀に焼けた餅を入れてから具沢山の雑煮をよそって皆の前に配り、各自で最後の仕上げとして花鰹節を好きなだけ振りかける。
どういう訳か二日目には白味噌を入れられるため、澄し汁の雑煮は元日の1日しか食べられない。
私は母の作った澄し汁の雑煮が好きだった。
いつか食べたいと思いつつ、ここ十余年、正月を日本で過ごしていない。
旅に出たい欲求、理想郷への探求欲が母の雑煮よりも勝っていたということか。
今年こそはと思って口に出したのだが、その十余年の間に母は、正月だからと言って雑煮なぞ作らない習慣を身に付けてしまっていたのだった。
青い鳥の逸話ではないが、理想郷とは案外そんなものかもしれない。
母の雑煮は私の理想郷の一つに違いない。


どよりと重く圧しかかる雪雲に覆われた景色が好きだ。
幼少の時分、正月になると親戚一同で祖父母宅に集まっていたのだが、私は同世代の従兄弟と遊ぶことなく、一人で田畑に囲まれた農道をよく散歩したものだった。
とりわけ元日の朝は殆ど人も車も通ることがなく、雪雲が雑音を吸収するのか世界は静寂に包まれ、広い田圃の中、空一面に広がる重々しい雪雲をぽつりと一人で見上げる時が、自分にとって何よりも幸福なひと時だった。
不惑を迎えた今でさえ、その風景を思い出す毎に胸の奥で憧憬が蘇り、甘い感傷に浸らせてくれる。
冬の朝の寂寥感。
2015年1月1日、目を醒ますと窓外は雪景色だった。

12月30日〜1月2日まで、妻と二人で新年を迎えようと奈良県吉野の老舗旅館に三連泊した。
私一人で中国とミャンマーの国境の町まで旅する計画もあったのだが、その旅に要する総費用を利用すれば、妻と二人で近郊の露天風呂付き客室で舌鼓を打つ美食と温泉を堪能しながら新年を迎えることも出来ると考え直し、趣旨を変えた次第だった。
アジアの辺境の町の不味い食事と汚い宿の不快なベッドで妻の安否を気遣いながら一人で新年を迎えることを思うと、実に英断であったと自讃する。
年齢の所為か、決して過酷な旅に臆した訳ではない、とは断言できないことも事実かもしれない。

お屠蘇と共に重箱で出されたお節と雑煮を戴いた後に朝寝を貪り、正午過ぎ、寝正月を決行した妻を宿に残して単身雪の中を散策に出た。
雪を踏みつつ古民家の並ぶ道を歩む。
標高が高く余程寒いせいか車の轍で雪が醜く溶けることもなく、未だ誰の足跡も無い道端の雪は絹のように目が細かく柔らかい。
踏んだ所で鳴き砂のような音も鳴らない。
足は静かに運ばれた。

後醍醐天皇が南朝を開いた吉水院を訪ねた後、同天皇が祀られているという如意輪寺へ向かう。
アスファルト舗装の道から外れ、谷に向かって山道を下りて行く。
雪に隠れ恐らくはこれが道なのだろうと思われる地面を慎重に踏みながら、草や落葉に覆われた道を行く。
私の他にこんな山道を歩く者はいない。
四月にもなると桜が咲き乱れ、多くの花見客で賑わうのであろう光景を想像してみるも、冬の吉野は寂寥感に満ち、宿や食堂でさえ閉館している所が多い。
見上げると、葉も無い寒々しい木々の上に重苦しい雪雲が圧し掛かるように拡がる。
雑音が全て雪雲に吸い込まれているのかと思えるほどに静寂に満ちた世界。
周囲が静かな分、己の中のエコーに耳が傾く。
甘美なるひと時。
真に己と向き合える場所。
成程、結局のところ、理想郷は己の中にこそ在るのだと思い知る。
己の中へと深く沈む聖地巡礼。
一人旅と書くことは似ている。
書くに際して自己の深い部分を探求する。
これを書く今でさえ私は聖地を旅している。

理想郷はこんな近くに在りながら、果てしなく遠い。
雑音の無い聖地へと向かうためにこそ、今まで単身旅に出ていたのだ。

妻には申し訳ないが赦してもらいたい、またいつか独りで旅に出るこの勝手を。


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April 30, 2011

Busy for Life.


人は何故こうも生きるのに必死なのだろうか。

キリストは言った、人はパンのみにて生くるに非ずと。
人には2種類の生命がある。
一つは肉体のそれであり、もう一つは霊(精神、自我)である。
肉体が死ねばどちらも亡くなろうが、自我を殺して生き永らえる肉体に何の意味があろうか。

ガンジーは言った、明日死ぬように生き、永遠に生きるように学べと。
生無くして死は無く、死無くして生もまた無い。
生と死は表裏一体を成し、対義語であると同時に同義語である。
死を意識しながら生きるなら、その生は輝きを増すに違いない。
必死の宿命を知ろうとも、決して生を諦めてはならない。

トルストイは言った、生の目的は幸福の獲得であると。
しかし同時に、己我の幸福を追求する限り人は決して幸福にはなれない。
他者の幸福の為に生きてこそ人は真に幸福を得る、即ち隣人愛をその著『人生論』で説いた。
この生のパラドックス。
然しそれは真実に違いないと判っていながら諦めきれない私は、やはり未熟者に違いない。


2011年4月29日、私は再びウルムチの地を踏んだ。
明日カシュガルへ飛び、クンジュラブ峠を越えてパキスタン・フンザを目指す。

昨日、父方の祖母が特別養護老人施設から病院に移った。
大病を患ったことのない祖母だが、98歳ともなると流石に肉体が限界に達したのか、先週から殆ど物を食べなくなった。
施設が勧める病院で検査したところ、医師は多臓器不全および心肥大と診断し、いつその時が来てもおかしくないと所見を語った。
危篤状態にありながら彼女の意識は明確であり、質問すれば回答する。
静かに老衰を待つ祖母を置いて旅に出る私を愚か者と言わず何と言おう。


カミユ著『異邦人』で、主人公ムルソーは母の死を電報で知ったその日、海水浴へ出かけ、映画を観て笑い転げた。
裁かれるなら甘んじて裁かれよう。
大衆の嘲笑に晒されながら絞首台へと向かうことを夢見るムルソーの気持ちは解らないでもない。

死に行く者の為に生きている余裕は無い。
こうして書いている毎分毎秒、私もまた死へ向かっている。
生きるとは即ち死に行くことなのだ。
私は今を生きるのに忙しい。

裁かれるなら甘んじて裁かれよう。
大衆の嘲笑に晒されながら、いざ絞首台へ。


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April 02, 2011

No title.


このブログの主旨は旅にある。
実は私の文章の訓練を主たる目的として開設している。
もしも読者が拙文を読むことで旅する気持ちを分かち合えたなら幸甚この上ない。

しかしここは飽くまでも仮想空間でしかなく、紛うことなき現実を眼前にすれば脆くも崩れ去る白昼夢に過ぎない。
強烈な現実に打ちのめされた今、数年をかけてこの浅薄な世界に形作った自分の空間はいとも簡単に色褪せてしまった。
私には現実を書き留めずしてこのブログを平気で続ける度胸はない。



あの日、大阪市本町のオフィス街が静かに揺れた。
不穏な横揺れが2分程続いただろうか、異常に長く感じられた。
すぐにNHKを付けろという言葉にテレビのリモコンを操作する。
隣りのビルからは驚いた従業員がわらわらと道路に躍り出ていた。
震源は宮城県沖。
そしてすぐに発令された大津波警報。
モニターは宮城にある漁港の一つ、塩釜港を映していた。
津波警報は幾度となく聞いたことがあるものの、大津波警報とは…?

画面を見守りながらも海外からの電話やメールは容赦なく、
日常の業務から手を休める訳にもいかない。

「来た!」

一人の声にテレビの前に戻る。
その様はまるで浴槽から湯が溢れたようで、岸壁から水面が盛り上がって陸地を侵して行った。
その力は凄まじく、数々の漁船がいともたやすく弄ばれ、陸上へ押し上げ、
また海上へと引き寄せ、横倒しになった船を橋梁にぶつけた。
見れば海上の高架道路を走る自動車がUターンして引き返している。
旋回できずトレーラーが立ち往生している。
盛り上がる高潮に、もはやそこは「高架」道路には見えなかった。

画面はヘリコプターによる上空からの撮影に切替わる。
津波はまるで引くことを知らず、漁港から住宅街へと押し上げ自動車も家屋をも飲み込んで行く。
流される家屋、ぶつかり合い破壊される建造物。
子供の玩具のように軽々と浮かび上がる自動車に人が乗っていないことを祈る。

それだけでは飽き足りないのか住宅街の裏に広がる田畑まで侵し続け、
やがて逆流により氾濫した川の水と合流したことで更に力を増した。
見れば田畑の中の農道を自動車やトラックが走っている。
津波がすぐ目の前まで押し寄せていることに気付いているのかどうか。
画面の手前に波、右側にも波。
先ほど画面から切れた自動車の行方は如何に?

日常業務をこなしながら、テレビという小窓から非日常を覗き込む。
これは本当の出来事なのか?
自分はいま何処にいて何をやっているのだ?
手元の日常と遠くの惨状の差異に目眩を覚えずにはいられない。
強烈な現実にただひたすら息を呑んだ。




私だけでなく大津波による惨劇を報道を通じて衝撃を受けた全国民が喪に服するように暗い日常を過ごす今日、日常とは張りつめた1本の細糸だけで均衡を保つ危うげな世界なのだと改めて実感する。
ウェブという虚構に己の巣を築くようにブログを維持し続けて来たが、目の醒めた今、全てが虚ろに目に映る。
陰鬱な気分が続き、ブログの継続を断念しようかという考えも起こった。
かと言って日常を放棄するわけにはいかない。
こうして生き残った今、我々は与えられた生命を燃焼し尽くす義務があるとさえ思える。
東日本大震災だけでなく、世界の全ての場所で起こる災害や戦争、飢餓や難病の犠牲者を思えば、それは最低限の使命ではないだろうか。


日常を死守せよ。
生命という釜に薪をくべ続け、機関車の如く疾駆せよ。
生きとし生ける全ての者の最低限の義務と心して、私は今日を生きることにする。
いずれその日が来るまで、私は生きる。


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September 23, 2005

バス旅

アサオです。

3連休を利用して東京・横浜まで行ってきました。
東京で働いてた時代に出会った友だちや、
海外で知り合ったらたまたま東京出身だった友だちに会いに。
あるいは、
銀座アスター・アジュール竹芝店でレイボーブリッジを眺望する絶景と
繊細かつ味わい深い中華を堪能しに、
江ノ島の断崖絶壁に立つ料理屋で端から端まで続く水平線を
見下ろしながら名物・釜揚げしらす丼を味わいに、
横浜を見下ろす山手に建てられた英国風建築をリフォームして
営まれるティーサロンで素朴なスコーンと甘いミルクティーに癒されに、
行ってきました。

行きは空路で早朝から。
帰りは深夜バスで。
3連休フルに遊んで早朝帰阪して即出勤。
タイから深夜便で帰国したのとは微妙に異なるテンションに戸惑う。


帰りの深夜バスでふっと思い出した。

ラオスを周遊してタイに戻った私は、次に豪州のケアンズに行くことになっていた。
ケアンズってどこよ?
オーストラリアの北の方だってことは知ってる。
シドニーがメルボルンより北だってことも知ってる。
なんだ、つまりシドニーからバスでちょいと行けばケアンズじゃん。
そう思った私は、カオサンでシドニーまでの航空券を買った。
…大陸の大きさを身を持って知った。

シドニーからケアンズまで3泊4日(車中泊)の旅。

8月末、一年中真夏のタイから冬の南半球へ。
南と聞けば暖かいというイメージがどうしても払拭できなかった私は、
Tシャツ姿で冬のシドニー入り。
一気に風邪をひいた。
車内でガタガタと震え、鼻をかむためにトイレットペーパーが手離せなかった。

ビルの建ち並ぶ都市部を離れ、住宅街からも出ると、
バスは何にもない原っぱの真ん中を通る道路を走った。
たまに映画で観たような木造のドライブインがある。
中に入ると、やはり映画で観たような無愛想なおばちゃんが店員をやってる。
ハンバーガーを頼んだ。
でかい。
聞いてはいたが肉もバンズも全てがでかい。
もはやこれはファーストフードとは呼べない。
これが大陸なのか、と一人で納得。

行けども行けども道は続く。
実は何かの聞き間違いで、本当は今日ケアンズに着くんじゃないか、
なんて絶望的に儚い希望を夜が明ける度に抱いては、
それが無駄だったことを日が暮れる度に思い知ったものだった。


それに比べれば東京から大阪なんて朝メシ前よ。
そう思って乗った。

…20歳代と30歳との間にはとてつもなく深い溝があるらしい。。。

またひとつ勉強になりました。


(今日の写真:夕焼けの江ノ島 at 江ノ島/神奈川県)

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September 06, 2005

涙の理由


アサオです。

お盆に母をルアンパバーンに連れて行ったところ予想以上に気に入ったらしく、
彼女が書いた旅行記を彼女がデジカメで撮った写真を挿入しながら
ワードで編集作業などをしていたわけですが…
いいかげん自分の旅行記も書かないと。
インドとか、ラオスとか。

普段のジョギングでもそうなんですが、
私はまず最初に恰好から入るんですね。
ジャージとか、シューズとか揃えて、
いつ誰に見られても気兼ねせず堂々と運動できるよう
準備万端にしてからじゃないと出来ない。

それと同じで、CSSで行の間隔の調整とか憶えてからでないと。
じゃないと行と行が詰まってしまって見づらくてしょーがない。
そんなものを公表してしまうのも恥ずかしいし。

と思ってたのが、つい最近になってようやく憶えたので、
これから旅行記を書こうかと。
下書きだけでも書いておけばいいのに、まだ何にも書いてません。
いや、旅行中に書いた日記とかは手元に残ってるから。
これからなので、まだいつになるかは分からいんですが。

-------------------------

先日、久しぶりに映画を観に行きました。
『奥様は魔女』
あのメリケン・ジョークが好きだったんですよねぇ。
ドラマの中で視聴者(?)かスタッフ(?)らの笑い声が入ってるのも
当時の日本のドラマには無い感覚。

それはともかく、

どーも最近ストレスが溜まってるのか、涙腺が緩くなってしかたがない。
映画館で何度か泣きかけました。
『奥様は魔女』
が始まる前の宣伝で…。

『私の頭の中の消しゴム』とか
『シンデレラマン』とか
『亀も空を飛ぶ』とかとか……

…泣くとストレス発散になるというし、一人で見に来ようかな。

もう20年以上人目を気にせず泣いたことがない。
もともと感情的な人間なので泣きかけることはあるものの、
目頭が熱くなって、よしもうちょっとで泣ける、がんばれ、
なんて思ってるうちに冷めてしまったり。

最後に大粒の涙を流したのは、
小学6年の時にソフトボール大会でボールが目と目の間に当たったときか。
涙腺に当たり、たいして痛くないのに涙が止まらなかった。
さらに中1のときにケンカして、まだ腫れの引かないそこを殴られたときも同様。
教室だったから恥ずかしかったなぁ……

そんなわけで、『奥様は魔女』を観る前にもうかなり満足。
1日に4〜5本観た気分。

やっぱり映画館ていいね。


(今日の写真:らんちぼっくす at バンコクエアウェイズ機内/タイ)

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July 27, 2005

素材屋にて


アサオです。

ここ最近、しょっちゅう『素材屋』に行ってる。
在京時代によく見かけた居酒屋チェーン。
最近になって大阪にも進出してきた。
安い上に個室が充実してる。
2人からでも個室利用可。

仕事中に突然、大学時代の友人(♀)からメッセンジャーで質問された。
「幸せって何?」
その晩、彼女と待ち合わせて素材屋へ行ったのがきっかけ。
実は結婚を考えている相手がいるのだが、条件が合わないとか。
今では定例会のようにそこで会合を開いている。
その彼女に先日また質問された。
「結婚のイミって何?」

最近、私の周囲は私を含め第2次結婚ラッシュを迎えている。
まさしく雨後の筍の如く、ここでもか!と驚く日が続く。
大学時代の友人と会って話してる時なんて
気持ちは未だに二十歳そこそこだというのに、
そーかぁ、もうみんなオトナなんだなぁとしみじみ思ったり。
10代の頃は競ってオトナになりたがっていたというのに、
年齢的にはもう大人なんだという現実に直面すると
やたら危機感を覚えてしまう。

人はいつからオトナになるんだろう?
年齢的に大人というのではなく、精神的に、
あるいは人格としてオトナとみなされる境界線はどこにあるんだろう?
やはり現実との向き合い方、現実問題への対処の仕方だと思う。

最近、やたら醒めた子供が多い。
彼らはたぶん現実に屈してしまった大人たちを手本としている、
いわば猿マネに過ぎない。
でもそれはもしかすると、早くオトナになりたいと夢見る彼らなりの背伸びなのかもしれない。
私が10代の頃は喫煙や飲酒がオトナへの近道だと思っていた。
時代が違えば視点も違うというものか。

ふと、カルカッタで出会ったスペイン人とカレーを食いながら議論したのを思い出した。
愛こそ真実だと力説する彼に対して私が、
愛なんて夢だ。結婚は現実なんだ。日本人の多くはそう考えてる。
と言うと、彼は驚いていた。
そんな考えを初めて聞いたという感じだった。
店を出る時、彼は暗唱するように小声でぶつぶつと繰り返していた。
Love is a dream. Marriage is the real...
なんて醒めた考えなんだろう、と自分が嫌になった。

現実に屈するんじゃなく、
現実を打破する力を持ってこそオトナと呼ばれるべきじゃないか。
子供が夢見れるオトナになりたい。
それがコドモっぽいと言うのなら、
無理にオトナになることなんかない。

結婚も、無理にすることないんじゃない?

…文中、さりげなくアピールさせてもらいました。
ホント、さりげなく。

(今日の写真:生マリリン・モンロー at バンコク/タイ
       注:♂です。)

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July 22, 2005

スローカット


アサオです。

「忙」という字は心を亡くすと書くんだなー、
なんてしみじみ思う今日この頃。
自信に溢れてた若かりしあの頃は何処へ行ってしまったんだろう…
なんて悲嘆に暮れてみたり。

インドに行ったGWから早や3ヶ月。
丸坊主にした頭もさすがに汚らしく伸びてきた。
なんで均一に伸びないのだろうと考えたけど、
よく考えたら骨格の形がヘンだった。

髪型にはほんと無頓着な性格なんで、
散髪はいつも\1,000-のカット専門店。
仕事の後に行くからヒゲなんて剃ってもらう必要ないし、
床屋に置いてるシャンプーってなんか臭いから
帰宅後また髪の毛洗うし、って考えると
ふつうの床屋で\3,000-ちかく払うのってすごいムダなように思えて。
だからいつも通うのは「QBハウス」。
髪切ったあとはでっかい掃除機みたいなホースで吸い込んでくれる。

ムダをなくして低コスト化。

…でも、それってホントにムダ?

HPからリンクしてる写真家・イトウアキラさんは、
デジカメよりもフィルム派らしい。
デジタルなら撮ったその場でブログやHPで公開できるのに、
フィルムが現像から上がってくる時間や、現像されたポジフィルムを見る時間…
そのタイムラグが良いのだと彼は言う。

スローライフ。スローフード。スローカメラ。

ムダを楽しむ余裕が現代人には欠落している。
ムダと決めて手間やコストを捨ててるけど、
実は大事なものまで捨ててしまっている気がする。

そう思って先日は敢えてQBハウスに行かず、ふつうの床屋に行った。
「…らっしゃい。」
ヒゲ面の毛深くゴツイ腕の寡黙なおっちゃんの店。
会話もなく、黙々と私の髪を切っていく。
静かな店内に響くハサミの擦れる音。
断続的に低く響く空調。
ヒゲを剃る音なんてもうたまんない。
ジョリ…ジョリ…ジョリ… 
ハサミのせわしなく擦れる音とは全く趣を異にする、
永遠に続くかとさえ思われる間を残しながら剃り続ける。

そんな時間を楽しみながら、思考や気持ちを整理していく。
べつに故意に整理しようとしたわけじゃない。
なんだか、自然と落ち着いていった。

スローライフ。スローフード。スローカット。
時には立ち止まる勇気がぼくらには必要なんだ。

伸ばしたいと言うのを忘れてまたバリカンで刈られてしまったのは
敢えて言わない方向で。

(今日の写真:OSAKA HIGHWAY at 阿波座/大阪)

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July 18, 2005

ゼー六


アサオです。

なんだか色々行き詰ってるみたいでして、
どうにも色々なことが後手々々に回ってしまう。
忙しいから…なんてのは言い訳に過ぎず、
きっと不規則な生活に起因するとしか思えない。
なんて分かってても直せないのも事実で。

それにしても暑い。
最近はもっぱらネクタイを締めずに出勤することが多い。
クールビズでもないからだらしないのだけれど、
取引先に行くのでもない限りノータイで外出する。

先日、商工会議所へ原産地証明を取りに行った帰りに自転車を漕いでると、
本町通り沿いにある小さな喫茶店「ゼー六」に行列ができていた。
「ゼー六」独特のアイスクリームを詰めたアイスもなか(\100-)。
客先や自社へのおみやげに買って帰る人が多く、
一度に30個注文する人がざらにいる。

「ゼー六」は創業大正2年。
もともとは和菓子屋だったらしい。
いつからアイスクリームを売り始めたのかは知らないけど、
本町通り沿いにあるあの小さな店はなんと戦前から残ってるらしく、
大阪大空襲の戦禍からも免れて2005年の今日に至るというのだからスゴい。

本来は喫茶店なのだけど、昔からアイスクリームが有名らしい。
牛乳とバニラをふんだんに使った最近のものとは違って、
どちらかと言えば水っぽいかもしれない。
牛乳やバニラがまだ贅沢品だった時代のものだからか、
あるいは、冷えて固まった牛乳の中に微細な氷が混ざるように作られているのか、
とにかく透き通ったクリアな感じで、その冷たさが脳天を直撃してくれる。
まるでカキ氷を食べたみたいな感覚。
そして香るのはバニラではなくレモン…?
蒸し暑い気分をスッキリとさせてくれる香りが鼻をくすぐってくれる。

たまたま行列が出来てないときに寄ってみた。
「1コください。」
これまた戦前から残る主人が出てきてくれた。
「はいよぉ。1コやからひゃくまんえん。」
戦前ギャグに何も言い返せなかった自分が恥ずかしかった。。。

(今日の写真:ashtray at 吉野山のカフェ/奈良)

050715

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