パキスタン

October 05, 2011

Walk with His hand.


来たる10月9日、私の母は古希を迎える。
その記念として、彼女がコツコツと描き貯めて来た日本画の個展を開くことになった。
趣味で描いているだけの名もない一家人のため、茜屋という煎餅屋の2階にある小さく簡素なギャラリーを借りて開催する。(2011年10月5日〜10日迄)
彼女の名は「直生」と書いて「ナオミ」と読む。
クリスチャンであった祖父が、旧約聖書に登場するナオミからその名を取り、字を充てたのだった。
ちなみに私の父の姓には「生」という字があるため、入籍以降、姓名を書くと「生」の字が二つも連なることになり、一見生命力に富んだ名前にも見えるが、実は彼女は6歳までに死ぬと医師から告げられていたのだと祖父母から聞いた。
無事に小学校に入学したものの、卒業するまで持たないとも言われ、体育は常に見学、遠足の日は欠席だったそうだが、今も元気に生きている。
名は体を表すと言うが、案外馬鹿に出来ないものかもしれない。

ところで個展の案内状は私と兄で協力して作成したのだが、案内状を郵送するリストに不思議な名前があった。
 「山本亀」
母に尋ねたところ、「亀」と書いて「すすむ」と読むのだと言う。
たとえ遅くとも、一歩一歩確実に前進する。
子供の頃は同年代の友人から馬鹿にされたであろうことは容易に想像出来るが、DQNネームが蔓延する昨今、年を経るにつれて味を出す名付けに感心する。
歩くという動作は凡そ人間にとって最も基本的な行為であろうが、ただ足を交互に前に出すだけの単純な行為が非常に困難に思えることがある。
心が折れそうな時、人は何を糧に更なる一歩を踏み出すのか、誰かに教えを請いたい。
未来に光無く、濁流に溺れ懸命に足掻く先にあるのは奈落の滝壺か洋々たる大海原か、誰ぞ知る。
案内人の差し伸べた手に必死にしがみついたことを思い出す。


北フンザとも呼ばれる地方にあるパスーは静かな村だった。20110503_141603

中国からクンジュラブ峠を越えたマイクロバスはカラコルムハイウェイを駆け下りた。
ハイウェイとは名ばかりの未舗装の砂利道には、左側に轟音と共に濁流を流す川、右側に樹木など一本も生やさない裸の山が聳え、山の斜面は乾燥した砂利に覆われ、いつ崩落に遭遇してもおかしくない様相を呈している。
落石にでも遭おうものなら、ひと溜まりもなく渓谷に突き落とされること間違いない。
パキスタン側スストでマイクロバスを降り、入国審査を済ませた後に車を捉まえ、パスーに到着した時には既に日が暮れていた。
中国の広大な大地は統べからく北京時間に統一されているため、ちょっとしたバス旅で3時間もの時差を越えることになる。

ツーリストロッジに泊まることにした私とW氏は、チェックインと同時に翌日のトレッキングを申し込んだ。
パスー氷河なら初心者向けだとバスの中で聞いていた。
W氏がスニーカーだが大丈夫かと宿主に尋ねたところ、「No problem. Easy trecking.」とのことだった。
翌朝、ガイドに導かれて私とW氏はパスー氷河へと向かった。
KKH(カラコルムハイウェイ)沿いとは言え車が通るのは5分に1台程度のもので、砂利道を歩く足音だけが妙に大きく聴こえる。
暫くKKHを歩いたのち、道から逸れて道なき道を行く。
小川を越え、草を踏み、上下にうねる大地を幾つか越え、いつしか両手両足を使って斜面を登っていた。
標高が高いせいか照り付ける太陽は灼熱を帯び、乾燥した空気に喉が張り付く。
足元は拳大の石ばかりで、気を抜くと踏み外すか石ごと落ちてしまい兼ねない。
見る間に汗が吹き出し、飄々と上るガイドを何度も呼び止めては休憩を取った。
とても「Easy Trecking」とは思えなかった。

斜面を上り切った所から漸く見えたパスー氷河は、氷河と言う割には規模が余りにも小さく、いささか拍子が抜けた。20110503_161504
この暑さにも拘らず溶けて無くなることはない雪の塊りが横たわっているのだが、よくテレビや雑誌で見るパタゴニアやアラスカを想像していると遥かに規模が小さい。
ガイドが言うにはパスー以外のフンザの氷河はもっと大きいらしい。
ロッジが持たせてくれたランチボックスで昼食を摂り、そのまま来た道を下りるのかと思いきや、ガイドはさらに山の奥へと進んだ。
山をぐるりと回って裏から下山するのだと言う。
緩やかな斜面を上って下山ルートに達したのは、山羊が駆け登る急斜面だった。
砂利で滑る斜面を腰を落としながら慎重に下り、遥か下に川を見下ろす片足1本分の幅の道を行き、僅かに足場の残った急斜面を飛び跳ねながら足を運ばなければならなかった。

ところで、私はトレッキング用の革のブーツを履いていた。
このブーツは底が頑丈な分、重かった。
いや、靴の重さの所為ではなかったのかもしれない。
私は最後の足場を跳ぶことが出来なかった。
一歩間違えれば山から滑落する恐怖からか、足がすくんで及び腰になっていた。
身体の疲労が更に勇気を削ぐ。
ガイドが手を差し伸べてくれるのだが、肝心の一歩が出せない。
ガイドを信頼出来なかった訳ではない。
今になって思うと、自分を信じる事が出来なかったのだ。
彼はそんな人の心理を分かっていたのだろう、笑顔で私を安心させながら「Come on!」と呼びかけ手を差し伸ばした。
結局彼の手にしがみ付くようにジャンプ出来たきっかけは、進む以外の道は無いという諦めに似た心境からだった。

時間は止まらない。
人生には前進しかない。
疲れている暇など無い。
それでも、一歩も踏み出せない程に疲労困憊した時に差し伸べられるのは誰の手か。
その手に導かれて行く道の先には光明が差すに違いないと私は信じている。

われ山に向かいて目を上げん。我が助けはいずこより来たるべきぞ。(詩編第121編)


自分を信じられないのは不敬虔ゆえだと、改めて思い知る。

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(写真:(上)KKHを歩く (中)パスー氷河 (下)下山中の風景)

scott_street63 at 02:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0)