初インド旅記録
November 02, 2011
Sanctuary.
コルカタ・ハウラー駅は、ターミナル駅の割には人でごった返していることもなく、意外に落ち着いていた。
アーチ状の高い天井の下、色鮮やかなサリーやパンジャビドレスを纏った女性らが並んで歩きながら会話に興じ、彼女らの端正な顔立ちや高い鼻、大きな瞳、そして風にそよぐスカーフに、天女とはこのような人種かと自然に思い浮かぶ。
不意に「ジャパーニー」と足元から呼ばれて目を向けると、元は白かったのであろう灰色に煤けたシャツを着た子供が 「ワンルピープリーズ」と手を伸ばして来た。
天女と餓鬼が行き交う駅。
私は周囲を窺い、他に子供がいないことを確認してからズボンのポケットに突っ込んでいた1ルピー紙幣を素早く渡した。
運が良かったのか他の子供が駆け寄って来ることはなかった。
午前8時50分。
私の乗る列車までまだ1時間強。
構内のレストランで時間を潰そうかと思って覗いてみると意外にも満員で、店員が慌ただしく動き回っていた。
駅の中が落ち着いているだけにその差に驚いた。
とりあえず9時まで待ち、公衆電話から帰りの飛行機のリコンファームを試みた。
が、何度かけても繋がらなかった。
ベンチはプラットホームにあるようだが、暑い日向で1時間も過ごす勇気は起こらない。
仕方なく柱に凭れて座り込み、朝起きてからの出来事を日記に書こうと筆記用具を出してはみたものの、屋根の下とは言えやはり蒸し暑く、どうにも気持ちが落ち着かない。
ここはひとつスカッとしようと、レストランに併設されたジューススタンドに行ってみた。
外からレストランの窓をノックすると、黄色いTシャツの男が顔を出した。
「ジュースを注文してもいいですか?」
「オフコース。何がいい?」
「セブンアップを。」
「ホワイ?」
思わず耳を疑った。
「え…、ホワット?」
と聞き返すと、彼は私が英語に弱いと思ったのかゆっくりと話した。
「何故キミはセブンアップが飲みたいんだ?」
軽い気持ちで注文したものにまさかそんな質問を返されるとは思ってもみず、驚いた。
何故自分はセブンアップを飲みたいのか?
確かに、別にセブンアップではなくコカコーラでも良かった筈だ。
いやしかし今の気分ではコカコーラよりも軽い味が好ましかった。
ならばスプライトでも良かったはずだ。
なのに何故自分はスプライトではなくセブンアップを注文したのか?
何故なら日本ではスプライトの方がメジャーだが外国ではセブンアップの方がメジャーだと、昔通っていた英会話教室で聞いたからだ。
つまり自分は本当はスプライトが欲しいのではないのか?
彼は回答に窮している私を真っ黒な濃い目で直視し、店内は忙しい筈なのにじっと私の回答を待った。
私は苦し紛れにシンプルに答えることにした。
「何故なら、私はセブンアップが好きだから。」
インド人は何でも理由を聞きたがるが、どんな回答でもそれが理由であれば納得すると、横尾忠則氏の著書で読んでいた。
だがこの店員は違った。
「ホワイ?」
つまり今度は、何故私はセブンアップが好きなのか、と。
彼は私の顔を見ているのではなく、まるで私という外殻の中に隠された私の核なる部分を見透かそうとしているように思えた。
後天的に学習した経験から形成される理性ではなく、先天的に生まれ持った真実なる自我。
海面下に隠れた氷山と喩えられるエゴ。
誰にも触れさせたくない、私だけのサンクチュアリ。
彼の瞳の漆黒の闇に飲み込まれるような錯覚から逃れたくて、私はまた苦し紛れに回答した。
「何故なら、セブンアップは世界的に有名だから。」
私の答を聞いた彼は一呼吸を置き、
「ふーん、なるほど。」
と言って、漸くサーバーのコックを引いてセブンアップを入れてくれた。
有名だから好き―――それは私が最も嫌悪する回答だった。
暫くして列車が入線した。
インドの鉄道は指定券を購入していても、座席は出発の間際にしか発表されない。
20両近い編成の各車両に張り出される名簿から自分の名前を探さなければならない。
各乗客の座席配置はすべて車掌に一任されているからだろうか。
出発の10分前になり、各車両の入口に模造紙が張り出された。
それぞれ特急券番号と名前が書かれている。
私は機関車を除く2両目から19両目まで目を皿のようにして探した。
先頭車両まで探したが見付けられず、また最後尾まで戻りながら探したが見付けられなかった。
車掌と思しき制服を着た男に聞いてみると、「もっと前の方じゃないか」と適当なことを言われたが、やはり見付けられない。
差し迫る出発時刻に焦りながら日差しの強いプラットホームを何度も往復している内に、奇妙な考えが浮かび上がった。
自分は本当にバラナシに行きたいのか?
ただ有名だからバラナシに行きたいと願っただけなのではないのか?
つまり自分はまだバラナシに呼ばれていないのではないか?
長く切望していた旅だけに諦められず半泣きになりかけていた時、何度も見た筈の9両目に漸く自分の名前を見付けた。
何故見付けられなかったのか、見えない力で目を閉ざされてでもいたのか、不思議に思うほど私の名前ははっきりと書かれていた。
聖地巡礼などと恰好つけず、ただ行きたいから行く、理由はそれだけで良かったのだ。
車掌の警笛とともにゆっくりと動き出す。
いざ、バラナシへ。
August 08, 2011
Escape from Kolkata.
翌朝、私は6時にハッキリと目を醒ました。
あの青年が迎えに来る前に出て行かないと…!その気持ちで一杯だった。
30分で身支度と荷造りを済ませてフロントに行くと、ホテルの男たちがソファや床に布団を敷いて寝転がっていた。
声をかけると昨夜の髭の逞しい男が起き上がり、手続きをしてくれた。
彼は眠気まなこで宿泊費の1,000ルピーを数えると、
「OK, Bye...」
とだけ言って再びカウンター下の寝床に戻った。
タイでの午前6時は市が最も賑わう時間帯だが、インドではそうでもないらしい。
街はまだ静かなものだった。
路上生活者は軒下でまだ寝ていたり、ただ茫然と立ち尽くしていたりと、昨夜の騒がしさが嘘のように息を潜めている。
ひっそりとしたフリースクールストリートを写真を撮りながら足早に歩く。
中古で買った銀塩カメラの小切味良いシャッター音が響いて聞こえる。
街はまだ仄暗く、シャッタースピードを遅く、露出を大きめにしなければならず、撮る際にはブレないように細心の注意を払った。
昨夜チャイを飲んだニューマーケットを無事に抜けると、ひとまず胸を撫で下ろした。
それにしてもここの大人は本当に無邪気らしい。
異国から来た私に「ヘイ、ジャパーニー。」と気軽に声をかけては、写真を撮ってくれと頼んでくる。
水道か何かの工事をする男などは、わざわざ穴に潜ってツルハシを構え、いかにも真面目に働いているというポーズをとった。
それでいて自分の住所に送ってくれとも言わないのだから不思議だ。
写真というものは日本でも昔はハレの日にしか撮らないものだった。
そう考えると、撮られるだけで彼らは嬉しく感じるのかもしれない。
チョウロンギ通りを渡ってしまえばもう安心だ。
時刻は7時15分。鉄道の時間まであと3時間強。
有り余る時間の消化に困ったが、ゆっくり歩きながら駅に行けば大丈夫だろうと考え、
取り敢えず露店のチャイ屋で一服。
歩いていると、時間と共に徐々に人通りが多くなってきた。
コルカタはインドの中でも有数の商業都市らしく、市電は人で溢れ、地下鉄の出口からぞろぞろと人が流れ出て来る風景を見ていると、日本となんら変わらない。
やがて庁舎と思われる古めかしい英国様式の建物が幾つも並ぶ通りに出た。
イギリス統治時代の歴史を物語る苔生した外壁に感動しカメラを構えたところで、私を制止する声が飛んで来た。
インドでは珍しく髭を蓄えていない老人が私の方に向かって歩いてきた。
「ここはコルカタ・カントと言って、政治的な建物が多いから写真を撮ってはいけない。見付かったらカメラは没収される。そら、その古い建物は裁判所だし、あそこは議事堂だ。カメラは早くカバンにしまいなさい。」
なるほど、道理でここら辺は古めかしい建物が多いはずだ、とすっかりその男の言葉を信じこんだ私は礼を述べ、また歩き出したら彼も並んで歩いた。
「日本人かね?」
「いえ、韓国人です。」
日本人と言えばカモにされるかもしれないと思い、敢えてウソを吐いた。
「今から何処へ行く?」
「ハウラー駅からバラナシへ行くところです。」
「とすると10時半の急行だろう?まだ3時間もあるじゃないか。」
「だから写真を撮りながらゆっくり歩いてるんです。」
「カーリー寺院は見たかね?ヒンドゥの寺だから君は入れないが、私が一緒に行けば
OKだ。すぐそこだから行ってみないか?」
老人に促されるままに歩いて行くと、確かにガイドブックでも見た白い建造物が見えた。
彼はカメラを隠すように言い、辺りを窺いながら私を案内しつつ、今の内に撮れと指示したりした。
ひと通り見た所で外に出ると、彼は、
「おっと、私もお祈りをしていかないと…。」
と言って寺院に戻ったのだが、私の前に戻って来てこう言うのだった。
「お前さんの分も祈っておいてやったぞ。なに、お賽銭は300ルピーだ。」
そう言って手を差し出す彼の仕草に、暑さも手伝って私はすぐに頭に血を昇らせた。
「いつ俺がそんなことを頼んだ?余計なお世話だ。俺は払わない。」
と言うと、彼も興奮して見せた。
「儂は親切で案内をしてやったんだぞ。ガイド料を支払うのが当然じゃないか!」
「俺は頼んでいない。契約もしていない。だから払わない。」
すると彼は急に弱々しい悲しそうな表情に変え、
「儂は貧しい生活をしてるんだよ。この老いぼれにそんな酷いことを言うのかね。」
と泣き落しに入った。
彼を放って丁度通り掛ったタクシーを捕まえると、老人とは思えない素早さで彼も乗り込んできた。
「ハウラー駅の飲食物は殆ど腐っているから駅のレストランに入っちゃいけない。ここで買っておいた方がいい。そら、あの店だ。買って来てやろう。」
と彼は運転手に待っておくように指示したが、彼が車を降りた隙に私が「出してくれ。」と言うと、経緯を推してくれたのか運転手はアクセルを踏んだ。
私は後ろを見ないことにした。
彼が買い物を済ませた姿を見ると、哀れに思えて買い取ってしまうに違いなかった。
老人の事はもはや過去の事。
過去への執着など捨て去って、聖地バラナシを目指していざハウラー駅へ。
果たして、彼は本当に買い物を済ませたのだろうか?
自称ガイドの老人の事を思うと6年が過ぎた今でも胸が痛む。
そんな私はとんだお人好しだろうか。
執着はそう捨て切れるものじゃない。
(きょうの写真:早朝のサダルストリート入口)
June 04, 2011
A long night in Kolkata 4
「また会えるなんて、なんてラッキーなんだ!一緒に飲もう!」
彼の登場はまさに渡りに船といったタイミングだったが、厄介な人間に遭ったという思いが脳裏を過ったことも否めない。
コルカタへ向かう飛行機の中で、彼は私のジュースがぬるいとキャビンアテンダントに掴み掛かったり、2本目のビールが遅いとギャレーへ怒鳴りこんだり、とにかく人騒がせな男なのだった。
彼は新聞紙で包まれたビール瓶を2本片手に持ち、見るからに貧しい身なりの女性を二人連れていた。
「それより、この人達はどうしたんだ?」
「向こうで会ったんだ。…お、そこの店で飲もう。」
彼は女性二人を連れて私の背後の食堂に入ったが、すぐに騒ぎが起こった。
「なぜ入店拒否なんだ?カネなら払う。」
「ダメなものはダメだ。」
「何故だ?料理だって注文する。何も損しないだろう?」
「ダメだ。出てってくれ。」
インドはカーストの国だ。
恐らくは連れていた女性の身分に問題があるのだろう。
「無理だよ。よそへ行こう。」
と私が背後から話しかけても、彼は決して諦めずに店の主人に喰いついたのだが、最終的に店の外壁脇なら構わないという許しが貰えた。
つまり結局のところ入店は拒否されたのだった。
四人で地べたに座り込んでビールを回し飲んだ。
と言っても女性二人はビールを口に含んだ途端にがい顔をして、二度と口にしなかった。
「で、子供が何人いるんだって?」
スペイン人が恐らく私と会う前までの話の続きを始めた。
「わたしゃ4人だよ。上の2人はあっちの駅の中で住んでる。下の2人はまだ小さいんだよ。」
「わたしは2人。小さい子供だけさ。」
「なんで子供なんか作ったんだ?金も家もないのに。」
「男がカネをくれると言ったから。」
恐らくこの二人はこのスペイン人に物乞いをして、さっきのような「何故だ?」攻撃に遭ったのだろう。
しかし二人の外見からではとても赤ん坊がいるような若さには見えない。
私は何も言えず黙ってビールを飲みながら話を聞いていると、スペイン人はとんでもないことを質問した。
「で、何回ヤッたの?」
思わずビールを吹きかけた。
いくら疑問に思っても普通聞かないだろう?文化の違いとかそれ以前の問題だ。
ところが、そんな不躾な質問をぶつけられた2人を見ると、驚いたことに少女のような気恥ずかしさを見せ始めたのだった。
顔を赤く染めてモジモジと俯きながら、
「7回。」
「アンタなんかまだいいわよ。わたしゃ4回さね。」
と短く答えた。
時間はもう夜の10時を過ぎていた。
スペイン人は2人に200ルピーずつ渡して帰らせた。
「さて、踊りに行かないか?」
老婆のように見える二人を帰らせた後、スペイン人は私にそう持ちかけた。
これだけ繁華街に近ければナイトクラブの一軒くらいあるはずだ、と彼は言う。
明日は朝早いというのに今から踊りに行くとなると帰れるのは一体何時になるだろうか…などと悩みつつ、かと言ってこのご機嫌な笑顔を見せるスペイン人の気持ちを挫くのも申し訳なく、結局私は意に反して「イイねぇ!」と答えてしまうのだった。
「ところで…これから宿を探さないといけないんだ。」
驚いた。
もう夜中近いというのに、しかも私と同じ時間にコルカタに着いたというのに、まだ宿を決めていないとは無計画にも程がある。
とりあえず踊りに行く前に宿だけは先に決めた方がいいと説得し、サダルストリートにある欧米人には有名らしい古い洋館のゲストハウスに行った。
門の前でさっきのリクシャーの爺さんが門番らしい男と話していた。
建物に入るとすぐに受付の男が出て来て、スペイン人は交渉し始めた。
私は洋館のリビングのソファで座って待つことにした。
仄暗い静かなリビングで、私の他に欧米人が二人、ひと言も話さず本を読んだり寝転がって天井を眺めたりしていた。
暫くして激しい口論が閑静な館内に響き渡った。
「何故だ?オレは一人で泊まるんだ。なぜ二人分も払わなくちゃならないんだ。」
「だから言ってるだろう。二人用の部屋しか空いてないんだ。」
「でもオレは一人なんだ。ツインの部屋しか無いからって、なぜ二人分払う必要がある。」
「イヤならいいんだ。宿は他にもあるだろう。」
かなり長く揉めた結果、部屋代を多少負けてもらうことで決着がついたようだった。
じゃあ踊りに行こうということになり、門番とリクシャーの爺さんに近くに踊れる所はないかと尋ねると、二人は考え、話し合い、一つの答が出た。
「あっちの方向にあるが、君らは入れてもらえないだろう。」
「何故?」
「上流階級の坊やの集まる所さ。そんな汚いカッコじゃ無理だ。」
実際に行ってみると、たしかに話の通り店の中には奇麗に着飾った青年が集まっていて、店の前にはスーツを来たガードマンが立っていた。
その前を彼は自然にスルーし、扉を開けて中に入った。
私は外から様子を見守っていたが、当然の結果として彼は中にいたガードマンから押し戻されて出て来た。
そしてまた「何故だ!?」の押し問答を繰り広げる。
更にあろうことか私を指差し、
「オレの友達は僧侶なんだぞ!」
などとウソを言う始末。
結局踊るのは諦め、私と彼はすぐ近くのやや高級なレストランに入ってカレーとパンを食べた。
私は彼の呆れるばかりの強引さに、もはや尊敬すら覚えていた。
「君はまったくグレートな男だよ。尊敬してしまう。」
「何故?」
「君ほどポジティブな奴は見たことがない。ぼくはネガティブだからね。」
「それはダメだ。キミ自身を変えないと。」
「分かってる。分かってるけど出来ないんだ。」
「何故?」
「……。」
「You must change.」
彼はまた、スペインに残して来た恋人のこととイスラエルにいる愛人のことを話し始めた。
「オレはいずれスペインに帰ってイザベラと結婚するつもりなんだ。だけど本当に愛してるのはこのサラなんだ。」
と、彼はノートに挟んでいた二人の写真を見せてくれた。
「愛こそ真実さ。君もそう思わないか?」
不貞を働きながら何が愛かと私は呆れたが、地中海に面した土壌では降り注ぐ太陽がそんな思考を生み出すのだろうか。
日本の湿っぽい土壌とは全く異なるのだろう、私は彼を苛めるつもりではなく、全く他意なく彼に答えた。
「違うよ。愛なんて夢さ。結婚は現実だ。」
私の言葉に彼は目を丸くして驚いて見せた。
彼は「Love is a dream... Marriage is the real...」と私の言葉を何度も復唱した。
彼のショックを受けた姿を見て、なんてネガティブなんだろうと私は自責の念に駆られた。
私の頭の中では彼の言葉が何度も響いていた。
「You must change.」
レストランを出て、私と彼は途中まで一緒に帰った。
真夜中のサダルストリートは静かで、野良犬の街と化していた。
彼のゲストハウスの前まで来たとき、彼は持っていたカバンからノートを取り出し、私に名前を書いてくれと言った。
書くと、今度は彼がそこに自分の名前を書き、そのページを破って私にくれた。
マルコという名前だった。
彼との出会いから6年が過ぎた今も、私が彼の名前を忘れたことは一度たりともなかった。
May 06, 2011
A long night in Kolkata 3
注文して間もなく、所々いびつに歪んだアルミ製のカップに注がれたチャイが運ばれた。
シナモンとクローブのよく効いたエキゾチックな香りが強く惹き付ける。
男は青年と初めて会ったような会話を英語で繰り出していた。
「君は何処から来たの?――へぇ、バングラディッシュ。するとダッカ?――あぁ、やっぱり。」
自称バングラディッシュ出身の青年は、静かに頷いたり短く一言二言話すだけだった。
「私ハはうらー駅カラ5駅離レタ所ニ住ンデイマス。今日ハ2週間前ニ注文シタ妻ノぱんじゃびどれすヲ受ケ取リニ来マシタ。」
彼は妻の誕生日祝いであることを説明し、彼が日本の埼玉から帰国して彼女と結婚した経緯や子供が何人いるなどの話をしたが、私は殆ど上の空で聞いていたのでよく憶えていない。
静かにチャイの香りを楽しみたかったから、男の話が煩わしくて仕方がない。
寧ろさっさと本題を出せとばかりに思っていた。
彼は一通り話し終えたところで言った。
「今カラソノ店ニ行クンダケド、君モ来ナイカイ?いんどデ絶対ニ損シナイ交渉ノ仕方ヲ教エテアゲル。」
男は言った言葉を英語で青年にも話した。
「そうだ、それがいい。君はまだインドに来たばかりだから、きっとみんな君を騙して高く売り付けるに違いない。」
青年も補足するように英語で促す。
興味がないからと断ると、
「オ土産ハ買ッテ帰ルンダロウ?本当ニ良イ店ダカラ行ッテ損スルコトハナイ。気ニ入ラナカッタラ買ワナキャイインダカラ。」
青年も「うん、そうだ。そうした方がいいよ。」と半ばゴリ押しされ、まぁいいかと、どのように騙すつもりなのかと興味もあって結局付いて行くことにした。
時刻は既に夜の9時を回っていた。
店は本当に近かった。
しかし全く人気のない奥まった所で、看板も出しておらず、誰にもその存在を気付かれないほど小さな店だった。
狭い店内に私を挟むような形で3人で座り、ショーウィンドー越しに店員二人と向き合った。
ショーウィンドーの中にも外にも所狭しと刀剣類やら木彫りの像やら宝石やらが並べられていたが、私の目を奪うような魅力的なものは何一つなかった。
日本語を話す男がパンジャビドレスを受け取り、私に見せたり触らせたりしたが、やっぱり魅力を感じない。
「悪いけど、買いたい物はここには何もない。私は帰ります。」
まぁ待ってと店員は私を制止し、次から次へと私に商品を出してきたが、やはり何も買いたいと思わなかった。
「どれも要らない。」
「何故だ?こんなにいっぱいあるのに、何故何も買わないなんて言うんだ?納得がいかない。」
インド人は何故だ?という質問が好きだと何かの本で読んだことがある。
たとえどんな下らない理由であろうと、それが理由である限り納得するらしい。
「説明してあげましょう。率直に申し上げて、どれもデザインが古い。今どきこんなデザインは流行らない。あなたは街で若い女性がこんなスカーフしているのを見ますか?私は中年のおばさんか、それ以上の年齢の人しか見たことがない。指輪とか小物にしても、どれもセンスが悪い。だから買いたくない。」
そこまで説明したらグーの音も出まいと思ったら、さすがに商魂逞しい、「ちょっと待っててくれ、いま倉庫へ取りに行くから。」と店員の一人が出て行った。
まだやるつもりなのかと、この4人でグルになった猿芝居にさすがに辟易した。
「申し訳ないけど、数時間前にインドに着いたばっかりでもう疲れきってるんだ。もう帰らせてくれよ。」
いかにも弱々しくそう言うと、日本語を話す男が、
「ソウダナ。ジャアマタ明日、ばらなしニ行ク前モウ一度ココニ来マショウ。」
と言って私を解放し、青年に私をホテルまで送るようにと言い付けた。
「明日ハ何時ノ列車ダイ?」
「10時。」
「ジャ、明日ノ8時ニサッキノ店デ待チ合ワセシヨウ。約束ネ。」
誰が来るものかと思いながら、私は店を出た。
青年の付き添いも断ったが、夜の一人歩きは危ないからと離れてくれなかった。
青年と私は賑やかなニューマーケットを通り抜け、フリースクールストリートを歩いた。
出来ればホテルを教えたくなかったが、どうしても付いて来るつもりらしい。
どうしたものかと悩んでいると、後ろから声が飛んで来た。
「Hey, Friend !」
振り返ると、バンコクからの空路で隣りに座っていたスペイン人だった。
新聞紙でくるんだビール瓶を2本片手に持ち、見るからに貧しい身なりの女性を二人従えていた。
青年は怪訝そうに彼の頭から爪先までを首を上下に動かして見た。
「知り合いかい?」
青年に聞かれ、私は心強く、
「あぁ、マイフレンドだ。」
と答えた。
「君のホテルはすぐそこのだね?明日7時半に迎えに行くから、ボクにチャイを驕ってくれよ。それと、あの男には気を付けた方がいい。君に悪さをするかもしれない。」
そう言われてようやく、この青年が私を騙そうとしていたことを確信した。
私にこう注意することで、自分の悪意をごまかそうとしたのに違いない。
彼はそう言い残して足早に去って行った。
(つづく)
April 16, 2011
A long night in Kolkata 2
サダルストリートを目指して夜の街へ飛び出すと、玄関前に皺くちゃの爺さんがリクシャー(人力車)の持ち手を地面に休ませて座り込んでいた。
「ヘイ、ジャパーニー、何処かお出かけかい?」
嗄れた声でにこやかに話しかけて来たが、こんな年寄りに1時間もかかるサダルまでなんてとてもじゃないが頼めない。
「サダルストリートまで行くんだ。」
「オーケー、オーケー、50ルピーで行くぜ。」
何キロも離れた所までたった約125円で行くと言うのか?
いくらインドだからって安すぎる。
「サダルって遠いんだろ?出来るだけ早く行きたいんだ。」
「ノープロブレム。50ルピー、O.K.?」
「だめだ。30ルピーだ。」
突然ホテルのドアボーイが横から割って入ってきた。
背は高くないがガッチリした体格のいかつい男で、ドアボーイと言うよりもむしろ門番と呼んだ方が相応しい。
男は爺さんを睨み付け、渋々30ルピーで了解した爺さんのリクシャーの座席へと私を丁重に促し座らせてくれた。
リクシャーは夜の街をゆっくりと走った。
人力とは言え車なのだから「走った」と表現する他ないのだが、実際には彼は歩いていた。
えっちらおっちらとゆっくり歩き、時折ひどく咳き込むものだから、このまま心臓発作でも起こして死んでしまうんじゃないかと気が気でなかった。
しかし人力車でゆっくりと往くというのもなかなか風情があって良い。
京都の八坂神社辺りを人力車に乗ってみるのも良いかもしれないと、インドまで来てそんなことを思った。
三叉路を左折した所で彼は尋ねて来た。
「で、何処まで行くんだい?」
「え…、サダルだよ。サダルストリート。」
ついに呆けたのかと一瞬冷や汗をかいたがそうではなかった。
「ここがサダルストリートだよ。」
驚いた。
10分もかからず着いたと言うのだ。
さらにもう少し直進してもらうと、次第に若い欧米人や日本人が道に溢れて来た。
なるほど、確かに安宿街の集まるサダルストリートらしい。
フロントスタッフの言った「1時間」とは何だったのか?
空港から乗ったタクシーも、「あと1キロ」、「あと5分」と言っておきながらなかなか辿り着かなかった。
アバウトにも程があると言うべきか、つまりそういう国民性なのか。
リクシャーには適当な所で降ろしてもらい、最初に言った50ルピーを渡すと大層喜んでくれた。
サダルストリートを歩いていると、しばしば「ジャパーニー」と声を掛けられた。
それは物売りであったりタクシーであったりリクシャーであったり物乞いであったり、あるいは単に好奇心で声を掛けただけであったり…
いや、むしろ皆好奇心だったのかもしれない。
とにかくインドの男は大人になっても無邪気なのだ。
そのまま真っ直ぐ突き抜けると自動車が勢いよく走る大きな道路に出た。
車の通りも激しいが、歩行者の数も並ではなく、皆押し合い圧し合い歩いてる。
ただでさえ人の多い歩道だというのに、そこに露店もずらりと並んでいるものだから窮屈なことこの上ない。
なるほど、ここがチョウロンギ通りかと、ようやく自分の位置を確認した。
夥しい人混みの中を歩いていると、また「ヘイ、ジャパーニー」と声を掛けられた。
振り向くと、柔和な顔をした人の良さそうな青年だった。
「一人かい?良かったら一緒に歩かない?」
こちらも特に行くアテがある訳でもないから、またゲイだったら嫌だなぁと思いながら
「いいよ。」と答えた。
タイやラオスでは何度かゲイにナンパされている。
どうやら私の顔は男が好む人相らしい。
歩きながら私らは話した。
彼はバングラディシュから定期的に買出しに来ているらしく、カルカッタにいる時は叔母の家で滞在しているらしい。
彼は私に、いつカルカッタを出るのか、バラナシからいつまた帰ってきていつ日本に帰るんだと詳しく聞いてきた。
彼の自然で奥ゆかしい振る舞いから何も隠さず話すと、彼は言った。
「キミは英語が上手いね。」
そんな筈がない。
私の英語は中学生レベルだ。
わざわざそんなことを言うのは私をおだてて気を良くさせようという魂胆なのだと、今までの経験が警告を放つ。
「ところで、ここら辺でチャイでもどうだい?いい店を知ってるんだ。」
警戒しながら、しかしチャイという言葉に惹かれてそのまま付いて小さな食堂に入った。
1杯5ルピー。
私が金を出そうとすると彼に止められた。
「これぐらい驕るよ。その代わり、次の機会に出してくれたらいいから。」
「ヘイ!アーユージャパニーズ?」
いきなり隣のテーブルにいた男が話しかけてきた。
「コニチハ。ワタシハ日本ノ埼玉ニ3年間住ンデマシタ。ワタシ日本人ダイ好キ。」
偶然にも私らの席の隣りは日本語の堪能なインド人だった。
(つづく)
February 16, 2011
A long night in Kolkata. 1
陽の暮れかかる頃、飛行機はコルカタに着いた。
空港を出るとすぐにタクシーの運転手が群がって来る。
ここではタクシーを整理するシステムは無いらしい。
私は髭面の小太りな中年の運転手を選んだ。
「サダルストリートまで。」
「Sure.」
丸っこいフォルムの黄色いタクシー。
後で調べたところ、ドイツ製のアンバサダーという車らしい。
タクシーがトヨタじゃないというだけで、遠くまで来たという到達感に浸ってしまう。
タクシーは陽が落ちて薄暗い街を気が狂ったように飛ばした。
市内に近付くにつれて交通量が増してもなお飛ばした。
クラクションをお構いなしに鳴らし続け、あわや衝突かと思われるギリギリのところで器用に素早く交わす。
ひどい時は中央分離帯を越えて対向車線を逆走するものだから、生きた心地がしない。
しかしそれは私の乗ったタクシーだけではなく、皆そうなのだ。
車線など在って無いに等しかった。
片側3車線の道に5〜6台が並ぶ。
交差点に差しかかるともはやカオス。
その中に自転車までもひっきりなしに手元のベルを鳴らしながら入り込んでくる。
これでは事故が起こっても誰にぶつけられたのか分かったものじゃない。
タクシーはやがて大きい通りから外れ、ぐねぐねと曲がりくねる住宅街へと入って行った。
抜け道なのか…?
信号で停まった所で訊いてみた。
「サダルストリートはまだ遠いのか?」
「ノー。あと約1キロだ。」
信号が青になり、再び走り出す。
それから裕に20分は走ったが、まだ到着する気配はなかった。
「あと何分かかる?」
「なに、あと5分だ。」
それから10分過ぎたが、まだ走っていた。
再び信号で止まったところで、今度は運転手から訊いてきた。
「ホテルは予約してあるのか?」
「いや、まだ。」
「いいホテルを知ってるんだ。」
来た。
こんな誘いには十分注意しなければならない。
とは言え、こういった客引きでスペインでは二度も助けられている。
話を聞くと、1泊1,000ルピー(約2,500円)で長く泊まれば割引きもある。
フロントスタッフも常駐で安全だと言う。
「部屋にカギは付いてるか?」
「風呂は湯が出るか?」
いくつか確認で聞いてみる。
風呂で湯が出るというのはホテルの質を測る大きなポイントとなる。
回答は「Yes.」だった。
最後に念押しで、
「それは本当にサダルストリートだろうな?」
と訊くと、それももちろん「Of course, Yes。」だった。
1,000ルピーはちょっと高いが、短期の旅行なんだからちょっとぐらいいいか。
そう考え、OK、行ってくれと回答した。
運転手の薦めるホテルに着いた。
小さな間口のホテルで、フロントはあってもロビーはない。
フロントにはターバンを巻いた顎髭の逞しい大きな男が立っていた。
チェックインの前にももう一度、部屋にカギが付いているのか、風呂は湯が出るのかと確認する。
それでも半ば疑いながら宿泊者名簿に記帳した。
「パスポートを見せて下さい。」
言われるままにパスポートを渡し、ポーターと思しき若い男が私のバックパックを持って階段を上り始めた。
「待て。パスポートを返してくれ。」
「後でお返ししますから、お部屋でお待ちください。」
そう言われてポーターの後を付いて行った。
部屋は大して広くなく、大きなクイーンサイズぐらいのベッドが部屋の大半を占めていた。
その手前に小さなイスと机。
鏡台には一丁前に便箋セットがあった。
便箋のレターヘッドにはこのホテルの名前と住所が書いてある。
住所は……Free School Street?
どこにもサダルストリートなどと書いていない。
慌ててフロントに電話した。が、通じない。
バックパックをチェーンロックで戸棚の取っ手に固定してから部屋を出、フロントの顎髭の男に問い詰めた。
「おい、ここは何処だ?オレはあのタクシーがサダルストリートのホテルだと紹介したからここに来たんだ。だけどここはサダルじゃない。」
「Yes。ここはサダルストリートじゃない。」
「サダルまでここからどれぐらいかかる?」
「約1時間。」
やられた。
約1時間て、何キロ離れてるんだ?そもそもここは何処なんだ?
コルカタのメインストリートであるチョウロンギ通りに行けば分かるだろうか。
「チョウロンギ通りはどっちだ?」
顎髭の男はアバウトに右の方を指差した。
タクシーでもつかまえてこの目で確認しようと、私は夜の街に出た。
(つづく)
January 07, 2011
モラトリアム
謹賀新年。
門松は冥土の旅の一里塚
めでたくもあり、めでたくもなし
(一休上人の詩とも、地獄大夫が一休に宛てた詩とも言われる。)
我々は何処から来て何処へ行くのか―――そんな途方も無い思案はただただ時間を無駄に浪費するだけに終わってしまう。
建設的に考えるにはまず仮説を立てなければ一向前には進まない。
こう考えてみてはどうだろうか。
死が不可避な事実ならば、我々は死ぬ為に生きているのだと。
人は誕生した瞬間から死への旅路を一途に歩む。
つまり誕生とは即ち死刑宣告であり、人生とは執行までの猶予期間に過ぎないのではないだろうか。
とんちで名を馳せた一休上人いわく、人生とは「有漏地より無漏地へ帰る一休み」と。
煩悩の世界から煩悩の無い世界へと帰る。
つまり我々は黄泉より出でて黄泉に帰るのだ。
しかし帰るべき黄泉は何処にあるのか、生前には知り得ない。
我々に許されたモラトリアム―――我々は知らず帰依すべき場所を追い求めているのかもしれない。
カマボコ型の窮屈な空間は様々な人種で埋め尽くされた。
国際線の割に小型なエアバス320は中央の通路を挟んで左右に3席ずつ所狭しと座席を配置し、天井は低く、背の高い欧米人などは今にも頭を打ちそうな勢いで、傍目に危なっかしい。
そんな機内に豚小屋よろしく、洋の東西を問わぬ様々な人種が押し合い圧し合いしながら流れ込んで来る。
褐色の肌に目をギラつかせたインド人、浅黒い肌に目や口の腫れぼったいタイ人、黄色い華僑、目の青い欧米人…
ごちゃ混ぜの人種の中、私の座席は13A―――3席並びの窓側。
出るに出られぬ不便極まりない位置取りに己の不運を呪う。
「アーユージャパニーズ?」
私に尋ねているのかと思い振り返った。
しかしそれは私の右隣りに座るヒッピー風の欧米人が、さらに右隣りの東洋人女性に話しかけているのだった。
「まさか、タイ人です。」
「失礼。あなたの黒い髪がヤマトナデシコのように美しいので、つい。」
彼女の眉間に寄せた皺が彼の肩越しに見えた。
「ありがとう。あなたは何処から?」
「スペイン。バレンシアから。」
「あらそう。」
迷惑なのか作り笑顔を浮かべた彼女は腰を捻って後方に目を遣り、遠くの座席に離れてしまった友人か同僚かに所在を知らせるために手を振った。
なるほど、確かに彼はスペイン人らしい、男の私には目もくれようとしない。
「JUICE or BEER ?」
まるで人形か彫刻の様な小さな顔に白い目玉をギョロリと見開かせたインド人CAが機内サービスを持って来た。
選択肢はジュースかビールの2つのみ。
ジュースを頼むとブリックパックのアップルジュースを渡された。
人肌と同じ生温かいジュース。
隣りのスペイン人の頼んだビールは十分に冷えているようで、プシュッといい音を立ててプルタブを引上げると、泡立つ黄金色の液体をプラスチックのカップに流し込んだ。
横目で盗み見ながら思わず唾を飲み込んでしまう。
「Cheers !」
と彼は隣りの女性に笑顔を振り撒き乾杯を求め、驚いたことに私の方にも初めて振り向いて、「Cheers !」とカップを掲げた。
私は生ぬるいブリックパックを持ち上げ、
「Salud.」
と大学時代にかじったスペイン語で応えると、彼はきょとんと驚いた顔を見せた。
「いま何て言った?」
「Salud.」
「スペイン語?」
「大学でちょっとだけ習ったんだ。」
表情の豊かな彼は大袈裟なぐらいに喜んで見せ、私と彼は改めてスペイン式に「Salud !」と乾杯した。
「Why India ?」
彼は私に尋ねた。何故インドなのか?
その質問は、インドを旅するにはそれ相応の理由があって然るべきことを前提としていた。
「バラナシに行きたいんだ。ぼくはクリスチャンだけど、日本は仏教文化だから、ぼくの人格の半分は仏教徒なんだ。仏教はインドで生まれた宗教だろ?だからインドの聖地バラナシは仏教徒にとっての聖地でもあるし、ぼくの半分の聖地でもある。つまりインドはぼくの半分のoriginだと思うのさ。」
自分の中の聖地巡礼。
そのために私は旅行前に床屋に寄って二枚刈りに頭を丸めたのだった。
「君は?」
「オレも同じさ。オレのoriginもインドにあるんだ。スペイン人はみんなフラメンコを子守唄に育つんだ。フラメンコをスペインに持ち込んだのはジプシーで、ジプシーの出身地はインドなのさ。」
彼は通りがかったアテンダントを呼び止めた。
「ビールを2本くれ。」
「2本?ぼくはあまり飲めないんだけど。」
「オレも同じさ。」
勢いに負けて半ば強引にビールの缶を渡された。
「Let's back to India ! Salud !」
もう一度乾杯した後、彼はインドへの想いやスペインに残してきた恋人のことやイスラエルにいる愛人のことなどを熱弁し始めたが、気圧の高さも手伝って、間もなく私は眠りに落ちた。
朦朧と消えゆく意識の中で、彼の乾杯の声が心地よく響いていた―――さあ、インドへ帰ろう。
かつて栄華を極めたソロモン王いわく、
汝の若いうちに創造主を覚えよ。災いの日が来たらぬ前に。「何の喜びも無い」と云う歳月が近付く前に。
帰依すべき場所を求めて、魂の旅は続く。